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小幡 万里子 Mariko Obata
株式会社クラブマネジメント 代表取締役。東京都世田谷にて 妹弟三人きょうだいの 長女として育つ。 東京都宅建協会新宿区支部長を長年務め 宅地建物取引業を営むワンマン社長の父親を支える 母の忍耐強い背中を見て育つ。 世田谷区立 梅が丘中学校時代、 国語教諭の長谷川真一郎先生に 「小幡万里子の言葉は『マザーグース』のようだ。」 と称される。 青山学院女子短期大学国文科卒業・国文専攻科修了。 第二の父と慕う 日本近代文学研究者・青山学院女子短期大学 名誉教授の 栗坪良樹先生 に師事。 拙い論文を、 「あなたの気づきがあったことが、この論文を書いた勝利です!」 という 人生最大の賛辞 と 生きる力 を 与えていただいた。 2000年 秋 に弟、 5か月後の真冬に 母を亡くし、 愛する者の死を乗り越えて 人生を生きる課題を 天より授かる。 バンドブームであった高校時代に 音楽の道に誘われ、 ライブハウスを 常に満タンにした。 19歳のクリスマスイブに 自転車乗車中に交通事故に遭い 生死を彷徨う。 昭和大学病院 脳神経外科 土居浩先生 に救われ、 その後、 プロダクションにスカウトされ 女優の世界を垣間見る。 その血を受け継いだ次女は コンスタントに 年数本の大企業のCM・映画・テレビに出演。 マネージャーとして彼女の芸能生活を支えた。 2010年、 日本初コミュニティビジネスのサポート を 事業とする 株式会社クラブマネジメント を設立。 コミュニティを増やすことで 自然の笑顔が広がる ライフスタイルを提案する。 FB発信の BPAの成長を 見守りつつ、 プライベートでは 二児を抱えて 奮闘中。 周囲からは「女神」「女坊ちゃん」の 有難い異名を拝す。
サイトポリシー
失われつつある 日本語の言葉の力を、 我が子や 次世代の子どもたちに 伝え継ぎたいという思いから、 このウェブサイトを 立ち上げました。
自分の人生を振り返った時、 「師」や「母」から与えられた 愛情や命、 智慧が、 自分を形作ってくれたことに、 心から感謝しています。
自分が 与えてもらったことを、 自分の成長を 少しばかりプラスして、 誰かに与える(遺し、伝える)ことができれば 幸いです。
「聴く力」と同じくらい、あるいはそれ以上に大切なものは「言葉の力」です。
自分の苦しみを 言葉にすることで、気持ちが落ち着くことは もちろんですが、
苦しい時、ツラい時に、人は、何かの「言葉」を 求めます。
時には、言葉によって、薬以上の効果を もたらすこともあります。
人は生まれ、育つ中で、「言葉」が その人を創りあげていくといっても 過言ではありません。
母の胎内で聞こえる言葉の中から、 すでに感性や感受性は 創り上げられはじめています。
人は最初に聴覚を得、 死の間際まで 聴覚は 鋭敏に 周囲の言葉を 吸収するのです。
美しい言葉は、 すなわち、美しい人生(生まれ、そして死ぬ時までの時間・世界)を 与えてくれます。
私の二人の娘は、やがて、 新しい生命を育む 母となるでしょう。
学生時代、 20歳そこらの私たちに、 「二十一世紀の賢い母となれ!」 と、栗坪良樹先生 が与えてくれた言葉が、
自分が生命を継ぐという 素晴らしい人生を、 大いなるものから与えてもらった と 気づくのは、 十月十日の 我が胎内で 自分と 血液型も異なる 生命力に満ちた異物 を 宿した時でした。
自分の内から 何が出てくるのか 分からない。
それを 恐怖でなく、希望に感じた、 いいようのない、 これまでの自分が 生きてきた時間の中で、 初めての 感覚と感触。
私の人生が、 次の女性たちに、 何かしらの 生きるための言葉として、 生き残ってくれたら・・・
という願いで、 自分を 伝えていきたいと思います。
哲学者の 故 池田晶子 さんは、私の思う【言葉の力】と 同じ感覚を伝えてくれています。
(以下 引用)
水がなければ魚は死ぬ。 水の外に出ると魚は生きてはいられない。
我々にとって言葉とはそういう存在、それがなければ生きてゆかれないもの。 したがってそれは「生命」そのものなのに、人はそうとは思っていない。 生命とは、物理的生命のことだとばかり思っているから、物理的生命を維持するための「現実」にとっては、言葉なんてのは「しょせん」言葉にすぎないと、そう甘く見ている。
では、その物理的生命、それが明日失われることが確実となった。
「明日、私は、確実に死ぬ。」 こう分かったとき、あなたはどうしますか。
まずはとにかく八方手を尽くして、何とか生き延びる手立てを探すでしょう。 生き延びようと試みるでしょう。 しかし、それは不可能だと、いかなる手立てももはやないと分かったら、どうしますか。
あなたは、必ず、「言葉」を求めるはずです。
生死すなわち人生の真実を語る言葉、正しい考えを語る正しい言葉を、必ず求めるはずなのです。
古今の哲学書、宗教書、聖書や経典の中に探し出そうとするでしょう。 苦難や危機に際して人が本当に必要とするものは、必ず言葉であって、金や物ではあり得ない。 明日死ぬのか、気の毒だから一億円あげよう。 これでその人は救われますか?
人を救うことが出来るのは言葉であって、その意味で言葉こそが命。
普段の日常ではやはり生きるのが先決なのだと、なお人は言うかもしれません。
しかし、我々の日常とは、よく考えてみると、明日死ぬ今日の生、その連続以外の何ものでもない。 なのにどうして人は、言葉を求めずにお金を求めるのか。
世の中が息苦しくなっているのだって、言葉が汚れ、汚れた水の中で生きられなくなっているからにほかならないのですよ。
(引用 終わり)
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