こんにちは。
クラブマネジメントの小幡万里子です。
9月20日の台風15号で行方不明であった小学4年生の男児が遺体でみつかったそうです。当日の報道によると、20日午後1時15分ごろに集団下校。同1時55分ごろ、同市松坂町2で、友人数人と「増水した用水路の流れの速さを調べる」と言って用水路に片足を入れたところ、バランスを崩して流された。とあります。
その後の学校で開催された保護者説明会では、保護者から、「保護者を迎えに寄こす判断をすべきであった」という声が多く寄せられ、校長も判断ミスを認めたのだと言います。
中日新聞(リンク切れ)
岐阜県多治見市で9月20日、台風15号による大雨で増水した用水路に
流され行方不明になっていた根本小学校4年、横山奨馬君(9つ)は8日、
現場から5キロ離れた同市前畑町の土岐川右岸の河川敷で、遺体で見つかった。
同日午後5時ごろ、堤防の草刈りをしていた男性作業員が河川敷の土から
手が出ているのを発見。多治見署が歯の治療痕などから奨馬君と断定した。
市教育委員会によると、奨馬君は9月20日に集団下校中、学校から
900メートル先の急な坂道の脇を流れる側溝で流された。これまでに、
同校PTA、多治見署、市消防本部などが土岐川下流の名古屋市の庄内川まで
範囲を広げて捜索していた。
根本小の栗田義久教頭によると、転落を目撃した児童は「奨馬君が流れの
速さを調べようとして足を入れたら、あっという間に流された」と話している。
当時は同じ地域の児童20~30人が縦列に並んで下校し、奨馬君は列の前方にいた。
女性教諭2人がハザードランプを点滅した乗用車に乗って列の最後尾に付いていた。
事故後に開いた保護者説明会で大雨の中で下校させたことが問題視され、
後藤康元校長は「判断ミスがあった」と謝罪。市教委は登校後に大雨警報などが
出た場合は原則として保護者に迎えに来てもらう方針を決めた。
村瀬登志夫・市教育長は「大切な子どもさんの命が失われたことは、非常に
残念でなりません」とコメントを出した。
——
2ちゃんねるでは、給食センターの都合で、作ってしまった給食を食べさせるために、午後まで子どもを引きとめたことが間違いだった等、様々な意見があります。
なぜ、教師が車で後ろからついて行っただけだったのか…など、教師の責任を追及する声もあるようです。
しかし、起こってしまったことに対して、分析をし、二度と同じ事故のないように努めることが大切なのことではないでしょうか。
学校として、一番良いのは、親に手渡し、そこから親に責任をもってもらうことです。
親が一緒で、用水路の流れを調べる!と足をつっこみ、子どもが流されたら、誰の責任でもなく、親の責任となるからです。
小学校では、入学した時に、災害時の説明のプリントが配られ、警報が何時に解除されれば、給食がある、ない、で、何校時に子どもを帰します。あるいは、休校にするといったマニュアルがあります。
それは、守るべきルールなのです。
高校生の次女の都立高校でさえ、災害時、お子さんを帰宅させますか?学校へ待機させますか?というアンケートがきます。
もっと、柔軟に~とはいえ、それが決まりごとならば、従わねばならないのが公務員です。
それが、団体生活というものです。
今回、亡くなったお子さんは、増水した用水路に、自分で足をつっこんだことが死の理由です。
給食を食べてからの下校だったから、死んだわけでもありません。
それが理由だったならば、下校した多くの児童が同じような目に遭っていたでしょう。
教師は、大雨で見通しの悪い中、児童の列の最後尾をハザードランプで道路を走る他の車に注意を促すという役割を担って車でついていたのでしょう。
教師が怠慢であったとは言えません。
むしろ、見通しの悪さから、他の車が児童の列に突っ込んできたならば(そうした事故の方が多くあります)その対応をしていなかったからと、またもや、学校や教師を責めることになるのでしょう。
大切なことは、子どもたちに、災害時には、浅はかな行動をとってはいけない!ということを、教え込むことです。
大人になっても、大雨の中、海に、川に、船を見にいきます!と出かけて、行方不明になる大人は、後を絶ちません。
こういう大人は、水の危険を甘く見たまま、大人になったのでしょう。
以前。
長女次女の通った仙台の中学校でも、他の生徒の起こした事故を、学校のせいだと言い、騒ぎ立てる親たちがおりました。
今回の哀しむべき出来事で、学ぶべきことは、我が子に、災害時は浅はかな行動を取らないことが、生命を守ることであると教え込むこと。
また、学校は、迎えに来られない親のいる家庭などを考えて、集団下校という形を親切で選んでいたのだとしても、今後は、親が迎えに来るまで帰さないということを徹底すべきなのでしょう。
わずか9歳という短い命で人生の幕を閉じたお子さんのご冥福を心から祈るとともに、同じく、9歳で小児がんと闘って、亡くなったお子さんもいるという現実を、思い出してもらいたいと思います。
同じ死であっても、そこから、残されたものが学びとるものは千差万別です。
命は、すべて、同じ重さであるのだとも思います。
けれど、同じ時間の中で、生きるということを、どれだけ精一杯に生き続けることをしたか…で、同じ重さ、同じ時間でも、遺された者に与えるものは、大きく違ってくるのでしょう。
出来得るならば、遺された者に、後悔させるような生き方はしたくないと思います。
私が死んだ時、「ママは、自分の思うように生きたね」と言ってもらえるように、毎日を精一杯に楽しく、そして、生き生きと過ごして生きたいと思うのです。
この出会いと、時間を共有してくださった方がたに 心から感謝です。
今日も一日…ありがとう。
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