ニュースに想う

違和感 something wrong

2011年9月29日

こんにちは。
クラブマネジメントの小幡万里子です。

世の中に「違和感」を感じることが多くて、英語で何と言うのだろうと調べてみました。
「 something wrong 」
なんだか気持ち悪い感じ~そんな言葉でしょうか。

<福島第1原発>「お墓にひなん」奈良の小学生が新聞で紹介>
という記事に違和感を覚えてしまう私です。

リンク切れ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110927-00000019-mai-soci

(以下、インターネット記事より抜粋)
福島県で6月、原発事故に苦しむ93歳の女性が「お墓にひなんします」と書き残して自ら命を絶ったことを、小学男児が自由研究の手作り新聞で学校のみんなに紹介している。
男児は「未来の安心のために科学者になってがんばる」と誓う。
遺族は女性の無念さが子供たちに届いたと感じている。

女性は東京電力福島第1原発事故の直後に長男夫婦と別々に避難し、帰宅して再び同居を始めて間もない6月22日、「老人は(避難の)あしでまといになる」「毎日原発のことばかりでいきたここちしません」と遺書を残し、命を絶った。

新聞はその経緯や遺族の思いを7月9日朝刊で報じた。

この小学生は模造紙3枚の大作の手作り新聞で自由研究を発表し、新聞の切り抜きを貼り(記事では「張り」の誤字)
「日本を作ってきた大人の人たちが安心してくらせるように、ぼくたちががんばらなければいけない」と書いた。
優れた自由研究として市の施設に展示された後、今も校内に張られている。
小学生は「原発事故のニュースを聞いて調べてみると、原発は怖いと思った。おばあさんの話を知って悲しくなった」と言う。送られてきた手作り新聞のコピーを見て、亡くなった女性の長男(72)は「よくできている」と感心。妻(71)は「ばあちゃんの思いが届いたね」とうなずいた。
(引用終り)

少年が新聞に書かれていたように、原発のせいで93歳のおばあちゃんが殺されたと感じ、科学を未来の安心にするために科学者になる!と決めたという作文を書き自分の意見を述べることは大切なことです。

また、原発事故で避難生活を送り、帰宅しても不安に苛(さいな)まれた老女の気持ちも良く分かります。

ただ、もう一度、人間の心を考えてみてください。

「足手まといになる」と感じさせているのは、一体「何」なのでしょうか?

もちろん、目に見えない放射能の脅威で、今までに思いもしなかった出来事に不安を感じ、精神的に大きな傷を負われたことはあるでしょう。
ずっと一緒にいた長男夫婦と離れて、娘の家に避難し、体調を崩したことも、心細かったことでしょう。

しかし、家族や、田舎にありがちな近所の目が、おばあちゃんを「足手まとい」と感じさせることがなかったならば、共に、その不安を受けとめてあげていたら、93歳という年齢まで生きた人間であり、自分の足で動ける人間が、簡単に死を選択するでしょうか?

送られてきた手作り新聞のコピーを見て、「よくできている」と感心し、「ばあちゃんの思いが届いたね」とうなずく息子夫婦。
その言葉に、私は「ばあちゃんの本当の心の叫びを気づいていたのだろうか」と、違和感を感じてしまいます。
それが、その親子では最大の理解であり、他人の私には理解できないことなのでしょう。

「日本を作ってきた大人の人たちが安心してくらせるように、ぼくたちががんばらなければいけない」
と、少年は書いています。

100年近く、日本を見守り続けてきた大人の人が安心して暮らすために必要なことは、

「おばあちゃんは、足手まといな人間なんかじゃないよ。目に見えない放射能は怖いかもしれないけれど、おばあちゃんが、一緒に居てくれることで、私も僕もすごくうれしいんだよ。おばあちゃんはこの年で自分で歩くことも出来て、超人みたいじゃないか。そんな超人と一緒に暮らしていたら、私も僕も超人になって、放射能なんてちっとも怖くない。おばあちゃん。生きていてくれてありがとう!」

そんな言葉をかけられる人間に成長することではないでしょうか。

それは、残念ながら危険な場所になってしまった長年住んでいた場所でなくても、愛する人たちと一緒に暮らすことができたならば、どんな場所だっていいと思わせるくらいの愛情ある言葉なのではないでしょうか。

科学や医学が発達して、便利になったり、寿命が延びたりしても、本当に人が幸福に暮らせるようになったと言えるでしょうか。

24時間電気をつけて営業を続けるコンビニは、とても有難いけれど、だからこそ、個食も増え、家族の団らんも少なくなりつつあります。
それは、いけないことではないけれど、大事な人に、大切な人に、大事な言葉、大切な言葉をかけるゆとりも失くしてしまってはいないでしょうか。

避難生活が人間に与えるストレスは、とても大きなものです。
だからこそ、多くの他府県で、原発事故から避難された方が快適であるようにと、たくさんの人々が心を砕いてくれました。

そのことに感謝する心の余裕なんてない!と怒る人もいるでしょう。
それでも、年老いた人に「嫌なことはいっぱいあるけど、おばあちゃん、おじいちゃんがいてくれたら、幸せなんだよ」と言える心の余裕を持って欲しいと思います。

そうすれば、こんな悲劇は、きっと起こらなくなるはずです。

この出会いと、時間を共有してくださった方がたに 心から感謝です。
今日も一日…ありがとう。

 


お時間ございます方は、

今COCO にある ESSAYS IN IDLENESS – 徒然なるままに

ニュースに想う にある

拙文をお読みいただけましたら幸いです。

 

 

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