徒然なるままに

がんばらなくていいという言葉 と 子ども目線

2011年10月31日
がんばらなくていいという言葉 と 子ども目線

 

こんにちは。

クラブマネジメントの 小幡万里子 です。

 

がんばらなくていいという言葉

 

フェイスブックで、みなさまから多くの励ましをいただいております。

それは、本当に心から嬉しいことです。

 

その中で以下のように、

私を心配しての 言葉をいただきました。

 


 

小幡さんのコメントは いつも満点を 目指されておられます。

子供のことについて、子供目線の経験者としての 一言。

そーんなに、頑張らなくていい と思うのです。

もう十分なさってるし、子供は いいも悪いも あと数年で 気付きますよ。

少なくとも、自分は そうでしたから。

そのうち、「お母さん、私もう大丈夫だから」 と

言ってくれるのではなかろうか、そう思うのです。

 


 

とても とても、有難い言葉です。

けれど、

私は、心から この言葉を 素直に 受け止めずにいます。

 


 

それは、いったい、なぜでしょう?

 


 

「あなたは 十分に がんばっている。そんなに、がんばらなくていい」

という言葉に、

私は 苛立ちを感じます。

 

この言葉は、とても 優しい言葉のように 聞こえます。

 

カウンセラーや 精神科の医師は、

この言葉を 実に簡単に 使います。

 

しかし、この言葉を出すならば、

 

その人が 一生を「がんばらなくてもいい」状態を

続けさせてやれる器があり、

経済的にも 精神的にも、

一生、満たすだけのことができる人間が、

自分に責任を負って、

初めて 相手に言える言葉だと 思っています。

 

それが、ネットという 顔の見えない場であるからなのか、

簡単に、そんなことを言える人を、

相手のことを 本気で思って 言っているのだろうか?

という 嘘くささを 感じてしまうのです。

 


 

では、今、私が、がんばらなくても、

この母子の生活を 誰が成り立たせてくれるのでしょうか?

 

がんばらなくていいという言葉 と 子ども目線

 

はっきりいえば、こんな言葉よりも、

私の生活のために10円でも20円でも、

私の仕事に対して、

頑張りに対して

報酬を支払ってくれる人の方が、

何倍も嬉しいことです。

 

「がんばらなくていい」

 

この言葉を他人に発しておきながら、

責任を負った人を私は知りません。

 

なんの根拠をもって、

「がんばらなくていい」

と言われるのか、

言葉だけの気休めは、

はっきりいって時間の無駄だと思うのです。

 

がんばらなくていいという言葉

 

本気で相手のことを考えれば、この人に何を与えてやれるのか!

 

それが見えてくるはずです。

 

それさえ分からずに、

安易に、その人間の生き方に影響することを口に出すということは、

してはならないと思うのです。

 

私は、別に

自分のコメントに満点を目指してはいないのですが(笑)

誤解には慣れているので、

「ふ~ん。そういう感じ方もあるのだね」

という感じです。

 

これは嫌味ではなく、

私が、自分を作ったり、

繕っているのだと感じる方は、それで良いし、

私と実際にお会いした方は、

こういう感覚を、

おそらく誰一人、

感じられないだろうと思うからです。

 


 

片親だから~と

肩肘張っているわけではなく、

両親が揃っている時でも、

子どもに対して、

私はこのままです。

 

私は、離婚したから、

結婚したから、

会社を起業したから、

といった、

周りの環境で自分を変えたりしないし、

変えられない自分があります。

 

だからこそ、

別に自分の精神に嘘はないし、

100%のコメントなんて、

どこにもないと考えています。

 

あるとしたら、ただ、

一日、一日を、誰よりも、無駄にしたくない生き方をしているだけのこと。

 

それを、私は、精一杯とか

一生懸命とか

頑張る!

という言葉だと理解しています。

 


 

「子ども目線」というのは、

決して、子どもに「なり変わること」ではないのですね。

 

子どもだったら、遊びたいのは当たり前。

楽で楽しいことに向かいたいのは当たり前。

 

おとなとしての生き方を確立した上で、

子どもが何を思っているのだろうということを、

慮る力…

 

私は、それを、子ども目線といいます。

 


 

子どもの気持ちは、

まだ、とても未熟な中での葛藤です。

 

それを理解した上で、

方向を指し示してやれる人間を

(それが出来ない親が大勢いるので、たとえ実の親ではなくても)

 

「本物のおとな」

 

と言うのだと思います。

 

頑張らない人間は、誰も応援してくれません。

 

いくら、表面上は、

頑張らなくてもいいから~とはいいますが、

そんな言葉は甘い嘘です!

 

するのは、施(ほどこ)しをして、

優越感にひたることを喜ぶ人間です。

 

「そんなにがんばらなくていい」

という言葉は、

ある意味、

「あなたは、それだけの人間。」

「あとは、他人から施されて生きていけばいい」

という、相手の能力を決めつけたエゴイストの発言のように感じます。

 

なので、私は、その言葉を発する、

精神科ドクターや、心療内科医を信用しません。

 

私も精神科の先生とお話いたしますが、

自分が一番心弱くなっていたと思う時も、

「あなたは全く病気じゃない!」

「自分のやりたいことに進んでいくといい。」

「でも、エネルギーがあり過ぎるから、人生180度の振幅巾で、やくざの世界に入りやすいから気をつけなさい!」

とアドバイスされます(笑)

 


 

本当に相手を見て、

相手が生きる上で 目指していけるものを

共にみつけ、

方向を指し示してやることが、

誠実な人と人との関わり合いだと思います。

 

「私はもう大丈夫」

 

なんて思う時は、

人間、死ぬまでないと思います。

 

大丈夫なことなんてないから、

前に進むわけで、

ここで安心と思った人が、

これまでにも、どれだけの数、

死んでいったことでしょう。

 

生きるということは、

常に 危機感を持ち、

大丈夫ではないからこそ、

哀しみや苦しみを乗り越えて、

楽しく 心穏やかに 前に進んでいこうとするのです。

 

日本国内総鬱状態で、

「大丈夫」

「がんばらなくていい」

という言葉で、

どんどん、人の心が蝕まれています。

 

大事なことは、

生半可な根拠のない安心ではありません。

方向性の見える、

根拠や 可能性のある未来を、

本気で創り上げていくことです。

 


 

私は、子どもたちこそが、

本気の未来を作り上げる人財になれるように、

育くんでいかねばならないと思っています。

 

甘えと優しさは、似ているようで、全く正反対なのです。

 

甘えを捨て、本当の優しさを知る人間こそが、

これからに必要不可欠な人間です。

 

母親は 賢くあらねばなりません。

父親は 勇気をもって進んでいかねばなりません。

 

私のビジネスは、それを実現し、

家庭に心からの笑顔を取り戻させ、

さらに、隣のおうち、

またその先のおうちへと、

笑顔を生み出す仕事を 創り上げていくことです。

 

その多くの人の幸福のために、自分が がんばるのは、

私にとって、当たり前のことなのです。

 


 

大衆が、そんながんばらなくてもいいと

足を引っ張ることを言っても、

このままでは日本は確実に良い方向へ向かうことはありません。

 

誤りをみつけたら、きちんと謝り正していくこと。

 

それを、子どもたちに見せていくことが、

教育であると思っています。

 

れが、人間が正しい方向へ、

善き社会に向かう一歩だと感じています。

 


 

現在、多くのビジネスプロデューサーが、

心同じくして、一歩を踏み出そうとしています。

 

この国は、今、がんばらなくて、いつ、がんばるつもりなのでしょうか?

 

がんばらなくていいという言葉

 

「もうがんばらなくていい」

なんて甘い言葉で、

麻薬のように人を壊していく言葉を、

安易に発してはいけないと思うのです。

 

一人一人が、できることを、がんばらなくて、

一体、なんのために生きているのでしょうか?

 

自分だけ樂チンでいるのは、何だか後ろめたい。

だから、みんなで、がんばらない人間になろう!

 

そんな安易な誘惑の言葉に、私は感じてしまいます。

 

 

我が子にさえ、嫌われても構わない。

けれど、本気で、その人のことを 思っていたら

「もう、あなたは頑張らなくていい」

なんて、私は 口が裂けても 言えないのです。

 

「あなたには、こんなに素晴らしい能力がある。 それを生かしてこそ、自分が生きている実感を感じるでしょう」

~と。

そんな風に、伝えて生きていきたい!

と 思うのです。

 

人から嫌われることを恐れて、大衆に迎合し、

大衆の喜ぶことを言って、進んだ社会には、

ほんとうの幸福が訪れるとは思えないのです。

 

嫌われても、嫌われても、その人のためを思い続ける。

 

私は、そうし続けることで、本当の社会の歪みを、

正しい方向に向けていきたいと思います。

 

 

この出会いと、時間を共有してくださった方がたに 心から感謝です。

今日も一日…ありがとう。

 


 

お時間ございます方は、こちらの記事もご高覧ください。

(自分一人で 生きていけるとは 決して考えておりません。 しかし、微力ながらも、出来ることは 精一杯にがんばりたい! そんな人間です)

一人の力は微力であっても無力ではないと思うのです

 

 

 

 

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1 Comment

  • Reply ダン 2016年3月2日 at 10:25 PM

    なんでこれにコメントがついてないんだろう。おかしくない?
    俺は、胸にすっごくストーンッと落ちてきたけどなぁ。
    俺みたいな小学校教員は、口ばかり上手なインチキ野郎ばかりです。
    俺もよく自分の言葉を反省します。
    「がんばってごらん」とだけ言って目を外したり、
    「一人じゃないよ、先生は味方だよ」と言っときながらどこまでその言葉に誠意があるのか。
    子ども達の中にある、一人ひとり違う輝きに気付かせ、できるだけのサポートとなるように行動を起こすことの中にこそ誠意がある。

    頑張ってる自分が好きなの、あったりまえじゃない。もし頑張りすぎて辛そうに見えるなら、いっしょにやらせてって申し出ればいいじゃない。がんばらなくていい、は俺も言われたら困るなあ。

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