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石巻市雄勝中学校の給食写真の拡散を分析して考えよう!

2011年6月24日

こんにちは。
クラブマネジメントの小幡万里子です。

石巻市雄勝中学校の給食について、FB、ツイッターで拡散が起きています。
貧しい給食について、取り沙汰されています。

情報を共有したいので、この写真を載せます。
昨日、宮城に行っていたのですが、これ、石巻市雄勝中学校の給食なんです。
これで全部です。
石巻は大きなダメージを受けた被災地ですが、現在では食料はすでに充分行き渡ってます。充分すぎる食料がある避難所もあります。
では、なぜ給食がこんな状態かというと、行政側の言い分では『給食センターが復旧しないから』とのこと。さらに、この状態は、あと1年ほど続くと見られています。
給食センターが学校に給食を供給するというのは、平時での基本ですが、今は緊急事態ですよね。どうしてこんな時にまでタテマエにこだわっているのか。。。この写真に写っているもので290円だそうです。センターがダメなら、地元のお弁当屋さんを使ったら、お弁当やさんも助かるし、一石二鳥だと思うんです。
育ち盛りの中学生、しかも、生活は避難所か仮設住宅、とても過酷な状況にいる子供たちです。いくらなんでも。。。
以前、行政側は、ボランティは足りていると言いました。でも、実際にはまったく足りていません。それは『管理しきれないから』という理由でした。
行政側もあっぷあっぷなので、仕方ないとは思います。
でも、それならば、行政のそういった業務をを支援するボランティアというのはできないのかな?
せめて、とりあえずは、この中学校の子供たちに普通のお昼ご飯を提供できる方法はないのでしょうか?だれかそっち方面に強い方いないかな?

が、林真理子さん、勝間和代さん、藤原和博さんや三枝成彰さんの出前授業、日野皓正さんの音楽鑑賞、茂木健一郎さんの授業と、彼らは普通の中学生では味わうことのない稀有な体験をしています。

石巻市雄勝中学校HP:リンク切れ

また、温泉に合宿に行ったり、制服を寄付してもらい、16人の新入生たちは嬉しそうな顔を浮かべています。

仙台市の教育委員会は被災した学校のためにと、天文台への招待や、他校との交流を行っています。

行政は何もしない。
人は簡単にそういう言葉を出します。

けれど、誰もが必死に一生懸命に、その場所で自分の出来ることをやっているのです。

給食も以下の2ちゃんねるの速報では、一番貧しく見える給食が、たまたまボランティアに行った大学生によって伝えられてしまったことだと報じられています。

(リンク切れ)

なにが正しいのか誤報なのか、判断することは難しいし、誰もが好意の中で行っていることだからこそ、難しい問題を秘めているのだと思います。

ものを見るということは、裏も表も、上からも下からも、あるいは、もっと別の角度からも、見る人、見る時、感情によって異なります。
大切なことは、冷静に客観視し、あるいは鳥のように空から俯瞰してものを見ることが求められます。

なによりも、私は中学生になれば、調理室を使って自分たちで給食の足りない栄養素を補完できる能力と、どのようにそれをしていけばいいのかと、考える脳力を備えているはずだと思っています。
私は、中学生の彼らの力を信じています。

足りなければ、それをどう解決していくのか、その力をもっているはずだと信じています。

パリに在住の女優の中山美穂さんも、ツイッター上で、その他のつぶやきも含め、分析も検証もせず、安易なリツイートで拡散しています。

その場所で生活をしている人間からの声でしか判断しないのが、私の信条です。
他人はきちんとした検証を、自分で行ってから、正しい情報を伝えるということが、真摯に生きるということではないでしょうか?

自分の眼で見る!それが人間の基本だと思います。

ただ。
この文章は、拡散をされた好意を否定するものではないということを、申し上げておきます。

人間は、間違った情報を、自分の想いや感情と共に受け取ることがあります。
私自身も、自分が一生のうちで憎んだ2人の人間に似ている人を、避けて生きようとするところがあります。

なので、人の感情から生まれる好意や行為を否定するわけではありません。
著名人達も震災以来、自分の感情や浅はかさを露呈し、ツイッターの限界を示しているということも現実です。

だからこそ、市井に生きる私は、事実を見ることの大切さを失わずにいたいと思います。世の中に容易く受け入れられることに疑問をもつ目を常に持ち続けたいと思います。
自分なりに検証、分析したことのみを、情報発信して生きたいと思います。

とてもとても、わがままな私です。
でも、ただ、中学生という夢を語る力を持つ少年少女たちが、貧しい給食をいただきながらも、友達や教員と同じ食をいただく時間と空間を、決して否定してはいないだろうという、真実の大切なものを理解しているだろうという、彼らのピュアな心を信じているだけなのです。

どんな状況でも生きていくことを選択する強い人間を育成することは、平等という名の下に、物品、金を施せばいいという思考とは異なるけれど、真の力であると感じています。

だからこそ、ビジネスプロデューサーの養成という時間のかかる儲からないかもしれない仕事に命をささげているのです。

それは、被災地にいる教育者たちも同じ心持だと思います。

個人的な想いですが、タイガーマスク騒動でも感じたことです。
(今、誰も児童養護施設に関して声を出しておりませんね)
「かわいそう」という感覚は、あくまで自分は高みにおいての言葉だと思うのです。

また、この中学校は都会の学校と異なり、生徒数も決して多くはありません。
HPで見る限り、全校生徒で5,60人という数です。

教職員保護者で協力し合い、家庭科の調理実習を活用して、自分たちで不足分の栄養を考えるとか、教職員、保護者のPTAで考えて、自分たちの子どもを守るべきではないかと感じております。

本来、PTAとは、子どもたちが学校教育の中で足りないものを支援するためにつ作られた任意団体です。
戦後、物資が足りず、ベルマークなど企業の商品を買い、その点数で教育に必要なものを購入するために行動を起こした保護者と教員の集まりでした。
学校にピアノを置きたい。
地球儀を与えてもらいたい。
それが始まりです。

支援は当事者たちが、まず自分でやれる精いっぱいのことを自分達の頭で考え行動し、そこに足りないものやことを応援していくことではないのかな…と、厳しい子育てをしている私(笑)は、思っております。

それから、真に困ったこと、問題に出会った時こそ、それを解決するために人間は多いに考え、成長するチャンスでもあるのだと思います。
転んだ人に手を貸して起こしてあげることは優しさのひとつです。
しかし、自分で立ちあがる機会を奪うことで、転んだ人は転んで泣けば、誰かが手を貸してくれるということしか学べないと思うのです。

転んだ時、痛さに泣いても、それを堪える方法を自分でみつけ、どうやって立ち直るかを学ぶことの方が、今は大事だと思います。
周囲の恵まれている人間は、本当に困った時に必要なだけの援助をするという見守る我慢が必要ではないかと思います。

被災地の子どもたちが、新品の文房具しか受け入れたくないという気持ちは、裏返してみると、本当に必要なものなのか?という問いかけにもなります。

この給食でも、「友達や先生と一緒に食べる喜び」を感じている生徒もいると思います。
給食とは栄養を供給することも大切ですが、そうした生きていること、自分の周りの人を大切に想うことを学ぶチャンスでもあると思うのです。

生意気を言っているかもしれません。
宮城で2年間、子育てをしました。今回被災した友人もいます。
皆、自分の力で、今、与えられている中で精いっぱいです。
現状を知らせること、知ることは大事ですが、彼らは、決して、かわいそうではないし、生きるチカラを持った同じ人間だということを知ってもらいたいと思います。

レポート元は大学生のボランティアのようです。
志はとても尊いと思います。が、一日の触れ合いは限界があります。
現地で生活をしている人間の姿は生活している人にしか分からないですよね。

私は、他人の言葉を鵜呑みにできない捻くれた人間です。
信じられるものは、とことん信じ抜きます。
しかし、最初に嘘くさいと思ったものは、必ず、襤褸が出て、ああ、やっぱり!と思います。

ただ、だから言ったじゃない!という言葉は言いたくありません。
あなたは、その時、そう思ったんだね。
でも、次からは、ちゃんと心の目で見て、自分の頭で考えようね。と言います。

どうぞ。自分の頭で考えてください。
自分の眼だけでなく、多くの視点から、ゆっくりとものを見つめてください。
すると、分かるはずです。

今、あなたがするべきことを…
それは、誰かを批判することではないというこを…

この出会いと、時間を共有してくださった方がたに 心から感謝です。
今日も一日…ありがとう。

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