憎まれママの子育て日記

2500円の憂鬱

2011年6月21日

2500円の憂鬱 そんなものは 味わいたくないものだ。

 

本日。

次女の高校の 体育祭でした。

 

先週 公共施設のグラウンドで 行われるはずが

朝の 6時に 決行!

の連絡網で 現場に着いたら 雨で 延期となり 帰宅。

 

こんな梅雨時に・・・ とも思うのですが、

公共施設を利用すると スケジュールの都合で、

こういう時期に なるのでしょうね。

 

というわけで、

本日 念願の体育祭でした。

 

(私は 仕事で行けませんでしたが)

 

体育祭の後 打ち上げということで

焼肉に行くから 2500円 ちょうだいと 言います。

 

高校生のお小遣いは 5000円。

「お小遣いないの?」

と 聞くと

「焼肉に行くだけの お金が無い」

「じゃあ。 やめちゃえば」

「もう 約束しちゃったから。 そんなに高いって 思わなかった」

「じゃあ。 2500円 貸してあげる。今までも、毎日 お手伝いしたら 一回 100円って 言ってたよね。

ちりも積もれば山となる で、毎日 お手伝いしていたら こんなことに ならなかったよね。

嫌な顔しないで ゴミ捨てしてくれてたら、

ママだって、気持よく頼める。

でも、ふてくされた顔されていたら、

ママだって わざわざ頼んで ゴミ捨ててもらって 100円払うより、

自分で 捨てちゃった方がいいや。 って思うよ。

これから 今月いっぱい 毎日 ゴミ捨ててね。

トイレのダスターも 洗面所のゴミ入れも 全部 捨ててちょうだいね。

それが、2500円の お手伝いだよ」

 


2500円の憂鬱

2500円の憂鬱

ここ数日。

何を言っても ふてくされている態度の 理由は、

これだったのか… と 思った次第。

 

たかが 2500円。

 

住んでいるところも 知らせずに、

逃げ回っている 元配偶者が 100万ものボーナスもらって、

豪遊している 6月 というこの時期を 想像すると、

私の方が ふてくされたくもなります (笑)

 

たかが 2500円。

 

そんなもの、

四の五の言わずに 渡してやるのが 親かもしれません。

けれど、

無心すれば お金が手に入ると 思わせるような 子育ては したくないのです。

 

お金を 稼げない 高校生であっても、

家族の一員として できることを お手伝いさせて、

その労働に 報酬を与える。

 

社会に出た時に、

報酬とは 自分のできる精一杯の 労働の対価として 受け取るものである と いうことを知り、

感謝の心を 芽生えさせるために、

人材に 終わるのではなく、

本当の 人財として 求められる人間として、

社会へ送り出す 役目を果たすことが 家庭であり、

教育とは そのために 教育だと 思うのです。

 

そんなことを 思いながら、

彼女に 2500円を 渡したのでした。

 

夜。

焼肉から帰って来た 次女と、

こんこんと 話し合いをする羽目になるとは 思わなかった 万里子ママ。

 

今夜は 疲労度 120%なので この続きは 明日の夜に・・・

 

 

 

お時間ございます方は、

過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶

拙文を お読みいただけましたら 幸いです。

 

特に 憎まれママの子育て日記 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。

 


亡き弟が とても大切に思ってくれた 長女 が

亡き母と 弟が 新規事業を起こすために

奇遇にも 長女の生誕の年に 会社を創業しました。

それが ピュア株式会社 です。

手前味噌ではございますが とても優しく そして 精神の美しい PURE な 女性に育ってくれました。

亡き母 亡き弟 の 愛情を一身に受け 素直に成長した結果と

二人の愛情の深さに 心から感謝しています。

 

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