第四章<われーなんじ>の追求を終えて
『彼岸過迄』の須永、『行人』の一郎、そして『こころ』の先生と私、の<われーなんじ>を追求してきた。須永から私に至るまで一つ言えることは、その誰もが「淋しい心」をもっているということである。否、須永、一郎、先生、私だけでなく、人間は生きている限り淋しいものなのかもしれない。
何も知らない、ただ無邪気な子供であった時なら、親子という血のつながりを、何の疑いもなしに信じ、その中にどっぷりと浸っていることができる。
しかし、いつの日か、親を闇雲に信じることができなくなる。それは、自分の内で自分というものを知り、親子の愛といったものでは埋め尽くすことのできない「淋しさ」を知るからである。人間は、たとえ親子きょうだいでも、自分でない人間の心の全て知ることはできない。ある人のことを、Aは良い人だと言い、Bは冷たい人だと言い、Cは嫌悪感を覚えるというように、人間は人間を自分から見える一面でしかとらえられないし、自分も又、ある一面からずつしか、他人に理解されないのである。だからこそ、人間は淋しくて淋しくて、かえって他人を求めずにはいられないのである。
『彼岸過迄』の須永は、自分と母は血がつながっていない親子だから、という理由で、自分の淋しさ、孤独を分析し、それ故に、自分の淋しさを抱えて一人で生きていこうとしているように思える。そして<われーなんじ>を得ようという積極さはないけれども、なんとかして(血のつながりがないがために)家にしがみつこうとしているのである。しかし、家にしがみついているだけでは、須永にとって「淋しさ」を埋めることもできなければ、「淋しさ」を理解されることもないだろう。だから、須永が<われーなんじ>を得ようと考えるならば、まず、自分で自分を雁字搦めにしている家から抜け出さなくてはならないだろうと思う。
『行人』の一郎は、家の中にいる自分の身近な人間に、自分の淋しさを理解してもらおうと考えた、そこで弟である二郎、妻である直に<われーなんじ>を求めたのだが、結局は自分の望むようにはならなかった。一郎は相手にも自分と同じだけの<われーなんじ>を見せてほしかったのである。そして、皮肉にも、自分が<われーなんじ>の相手として求めた二郎と直の間に深い結びつきが生まれてしまった。二郎は直の心の内の淋しさをみてとってしまったのであった。だから、一郎はもう耐えようのない孤独の中に吸い込まれていくしかなかったのである。
しかも、一郎には責めるべき人はいないのである。家の中の誰もが自分を理解しようとはしないし、淋しさに気づこうともしない。否、気むづかし屋の長男という目で見て、一郎の淋しさには気づくことができないのである。わかってほしいのに、わかってもらえない。その「淋しさ」、孤独に一人で耐えることもできない。人間は他の人間との関わりながらでしか生きていけないから……。
一郎の中には、そうした人間の絶対的孤独と言うべき「淋しみ」の姿が映し出されている。そして、『行人』の中には、そうした人間の、絶望的な姿までがうかがえるのである。しかし、その中に救いとしてみられるのは、一郎が<偽>だけを見ているのではなく、人間の<善>にも目を向けているということである。これから後も一郎は<われーなんじ>を求めつづけるであろう。そこには何度も失望があり、淋しさが、孤独があるに違いない。しかし<善>を信じている限り、いつの日か<われーなんじ>が一郎に生じるだろうと思う。
『こころ』の先生は、血のつながった身内に裏切られ、人間を信じられないと思いつつも、自分の「淋しさ」から、Kに自分を重ね、Kの淋しさを取り除くことによって、自分の淋しさをも除去することができると考えていた。しかし、所詮、「淋しみ」の押しつけでは本当の<われーなんじ>が得られるわけでなく、先生は生きたKを失ってしまったのであった。そして、先生は一人、「淋しさ」を抱えて(そこにはKの淋しさをも抱合して)生きてきたのだった。
そうした先生と出会ったのが私であった。そして、私は淋しさを抱えている先生の表面化はしていないが、その奥にある真摯な姿を感じ取り(それは見てとるというよりも、もっと直感的な、感覚的な閃きであったろう)先生を求めたのであった。先生にしても、一人で淋しさの中を生きていくには、やはり、人の<誠>をどこかで求めているところがあったのであろう。そして、私も又、自分と血のつながっている人間を断ち切り、先生を選ぶ。そして、そこに<先生の遺書>が残され、私の中で先生の<われーなんじ>が息づくことになった。又、同時に、同じ「淋しみ」をもったKの<われーなんじ>も私の中で再び生まれ変わったのであろうと思う。
漱石は、この三部作の中で、本当に淋しさに苦悩する人々の姿を描いている。人間というものは誰かに自分をわかってほしいと、他の人間と関わり合わずには生きていけないものである。しかし、自分をわかってもらうということは非常に難しい。互いにわかってほしいと言い合っていても、わかりあえないというのが人間なのである。そんな人間の、心の欲求が、淋しさが漱石の作品の中には描かれている、須永が、一郎が、家に固執しながらも、家とは関係のない、心を求めたように……。先生が、Kが、私が、ついには家から抜け出して、心を求めたように……。人間が何かを得ようとした時、そこには大きな何か別のものを捨て去る(あるいは犠牲にしなければならない)ことによってしか手に入れることのできないものがあるのだということ、そして、結局、人間は一人で生きていくには、「淋しみ」を抱えすぎているということが、ぼんやりとした私にも見えてきたような気がする。
エピローグ
漱石の描く、人間の淋しさや、心の結びつき<われーなんじ>について考えてきたわけだが、こうして自分におきかえて考えてみると、自分の中にも、須永が、一郎が、先生が、Kが、私が潜んでいることに気づいた。
人間は、淋しさでいっぱいのくせに、一方では実に我が儘な生き物である。私も真友(私は親友というよりもこの字の方がぴったりしているような気がするので敢えて使いたいと思う)だと思っている人に、ある一言がきっかけで、深く傷つけられたと感じ、それまでは、その真友が自分を一番よく理解してくれていたと思っていたのに、その日を境に、私を傷つけたものとして憎悪さえ感じてしまうというようなこともあった。
又、それこそ子供に対して無償の愛を注ぐと言われる両親にさえ、自分は、両親のために恩を返す義務を押し付けられているのではないだろうか、と考えることもあった。
本当に人間なんてものは勝手なもので、その時その時で、自分の思うようにならないと嫌だ、というものなのだ。そのくせ、一人になると、やはり、誰かに自分をわかってほしいと思って、つい手をさし出して、誰かに引っ張り上げてもらおうとしている。人間なんて、その繰り返しなのかもしれない。
誰かを求め、その人を信じ、裏切られ(そう本人だけが思い込んでいる場合もあるが)一人孤独になり、その淋しさに耐えきれずに、再び誰かを求める……。そういう中で、だんだんと、自分や他人がみえてくるのかもしれない。
私自身、かなり気分のムラが激しい人間なので、ひどく人の中にいて、わっと楽しむ時もあれば、猜疑心の塊のようになって、「皆が私を嫌っている」などと一人で落ち込む時もある。だから『行人』の一郎が、自分の投射のようで、ひどく胸に迫ってきたのである。
しかし、この世に、理想通りの人間なんていやしないと思う。自分を正当化するようだが、人間というものは根本的に我が儘だ。自分の我を他人に押し付けずにはいられないのだ。決して開き直っているわけではないが、そのことを忘れてしまうから、人間同士の衝突が起こるのだろう。そして淋しいから我をぶつけずにはいられないのだ。もちろん、誰もが「自分にも我があるとともに、他人にも我がある」ということを尊重しあって、相手を第一に考えれば、人間同士の交通整理はうまくいくのかもしれない。しかし、そうなると、やはり<人間らしい>という感じは失われ、機械的ないい子いい子の見本でしかない気がする。そうなれば、そうなったで、結局、歪みが出てきてしまうだろう。私自身、幼い頃、両親や学校、周囲の人々に”優等生”というレッテルを貼られて生きてきたが(大袈裟な言い方かもしれないが)ついには耐えられなくなる日が来たのである。人間というものは、所詮、交通整理をされてスムースに関わりあうことはできなくて、一人一人が紆余曲折しあって、ぶつかったり、撥ね飛ばされたり、交差したり、様々な形で関わり合ってこそ、人間なのかもしれないと思う。だから、時には傷ついたり、失望したり、裏切られたり、失くしたりするだろうが、そうしたことが、人間が一番人間であるということかもしれないと思う。
また、漱石の作品の中には「死」というものが色濃く描かれていると思う。「死」というものは人間にとって避けられない運命である。私も自分が死ぬかもしれない、という出来事に二度ほど遭っている。一度目は生まれてすぐに髄膜炎になって生死を彷徨ったそうだが、覚えていない。二度目は、昨年、自転車から落ちて頭の中の血管が切れ、頭内出血で血腫が出来た時だった。不思議なことに、事故に遭った時は頭が痛くて泣いていたのだが、頭のどこかで、(私は興奮していたし、普段から自分を大袈裟な奴だと思っていたので)いつものように自分で思っているほど痛くはなく、ただショックから泣いているのかもしれないと思っていたのである。家に帰ると、めまいで天井がぐるぐると回っているので、これはおかしいと思ったのである。しかし、まさか自分が死ぬ、などという考えは露ほども浮かばなかった。そして、記憶を失って気づいた時には、何度も嘔吐していたのだったが、周囲がその時、もうこれはいけないと思っている時でさえ、自分には「死」ということばはなかった。むしろ、容態が落ち着いてきた頃になってから、「私は死ぬかもしれない」という感覚が湧き上がってきたのである。そして、まるっきり健康となった現在、なぜか時折、「死ぬかもしれない」という感覚にとり憑かれるのである。今思えば、「死」線を彷徨ったという意識が、「死」を身近に考えるきっかけとなったのかもしれない。
漱石も<修善寺の大患>で「死」線を彷徨った人である。だから、やはり「死」についてある種の何かを、自分の中に置きつづけていたのかもしれない。そして、作品の中にそういったものが色濃く表れているのではないかと思う。
又、『こころ』の先生にしても両親の「死」と、そして壮絶なKの「死」とをみてきたことによって何かが変わったのだと思う。(私自身「死」について考えると、自分だけでなく周囲の人に何か(例えば「優しくしてあげたい」など)を与えたい、と考えたりするのである)先生にしてみれば、彼らの「死」を凝視し、又、自分の「死」を決断した時に、<私>に何かを与えようとしたことはうなずけるのである。
漱石によって得たものは、実にたくさんのことがあるような気がする。そして最も言えることは漱石が漱石自身を含めた人間というものの真摯な姿を酷というほど客観視して描くことによって、時代を超えて現在を生きている人間にも、その心の中に、人間を改めて考えさせるものをもっていることだろうと思う
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