漱石先生

『彼岸過ぎ迄』 『我と汝・対話』

2008年7月13日

『彼岸過ぎ迄』 『我と汝・対話』 という漱石・マルティンブーバーを並び称した19歳の自分。

そんな過去の自分を懐かしく思いつつ、出たぜ!

今年のセンター試験の国語。

漱石先生のお出ましでしたね〜☆

さて、私。

卒論は漱石先生

短大を卒業後、専攻科で学びを続け
二度、漱石についての卒論を仕上げた。

それまでに、敬愛する教授の元
1年に100冊の岩波文庫の感想文を書く!という課題が課せられ
〆切に追われ、ヒイヒイと泣きわめきながら
真面目に期日を守るため
時に、解説しか読まないという暴挙にも出た(!)

現在、手許に残るのは
その中でも、自分の頭で考えたもので
90点以上の採点をいただいたもの
数点しか残っていない(笑)

こういう自分の性格が
我ながら恐ろしいと思う(笑)

自分の貧しい部分は消し去ってしまっているのだから…

それも、20歳という年齢ゆえとお許しいただきたい。

センター試験での『彼岸過迄』

試験として出しやすい(理解しやすい)部分が出ていた。

須永の千代子に対する
妻にするつもりはないけれど、高木という男の出現で気づく
自分にはなかったと思っていた男の嫉妬の部分。

今、この年齢になると
恋にはこの嫉妬が点火として必要なのかもしれないと…
思ったりもする。

若くしては感じることのできなかった
自らを少し離れた存在として考えてみると

『こころ』で交わされた「恋は罪悪ですよ」

『虞美人草』での女性は「恋をすると変わります」

「嫁に行くと変わります」

『行人』の
「結婚をして一人の人間が二人になると一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。恐ろしい目に会う事さえある」

という言葉が胸にストンと落ちてくる。

否、もちろん、センター試験の時間に
そんなことを思う余裕なんてないのだろうけど(笑)

年齢を重ね
時に、「白雪姫」の継母の気持ちが
ふと自分に重なるようになると
そんなことを思ったりもするわけで…

さてさて。

後期三部作と言わず
漱石の作品中では『こころ』が
一番完成された作品だと感じる。

しかし、視点を変えて小説を著すという構造

小品の集合が全体を表すという点で
『彼岸過迄』「行人』があったからこそ
『こころ』が書けたのだと思う。

『彼岸過ぎ迄』 『我と汝・対話』

これらがあるから
あの『こころ』に行き着いた大切な作品なのだ。

20歳の私が書いたものは
根本的な自分の骨子に差異はないけれど
今と比べ、表面的な薄っぺらい感覚を感じずにはいられない。

それでも、20歳の私の精一杯を
ここに書き記すことも一興かと…

誰も興味を持たないかもしれないが
私自身が20歳の自分との再会を楽しみたいと思う。

『彼岸過ぎ迄』 『我と汝・対話』

 


昭和の時代に書いた私の論文

『夏目漱石論 ーー 後期三部作 『彼岸過迄』 『行人』 『こころ』 における <われーなんじ> について』

テキスト 漱石全集 全十八巻(岩波書店)

『我と汝・対話』 マルティン・ブーバー著(岩波文庫)

目次 はじめに (7)

序章<われーなんじ>の定義 (15)

第一章 『彼岸過迄』 (25)

第二章 『行人』 (35)

第三章 『こころ』 (55)

第四章 <われーなんじ>の追求を終えて (73)

エピローグ (87)

参考文献 (101)

あとがき (103)


はじめに

夏目漱石を卒業論文に選んだ理由の一つには、
漱石の作品に描かれている人間や事件というものが、
これほどの時間を経た現在も、
私の内で、あるものを感じさせてくれるからである。

漱石の作品はそのほとんどが、平凡な人間の日常を描いている。

そして、それでいて人間の心の奥深くまで抉るような、自分とは違う、
しかし、自分と同じ生き方、考え方、感じ方がそこに映し出されているのである。

又、作品を分析する、ということは、作者にとってはいい迷惑なのかもしれない。

作者の意図とは全く別のことが論点になったり、
作者にしてみれば
「こいつはなにを言ってるんだろう。ほっとけばいいのに。」
などと溜め息をつくようなこともあるかもしれない。

そんなことを考えているうちに、
私のような人間が何を言ったところで余計なお世話かもしれないと思うようになり、
全く筆が進まなくなった。

そんな時、改めて「夏目漱石展」を観に神奈川近代文学館を訪れた。

そこで
<自分はただ小説を書く。その小説を読んだ人がその人なりに何らかのものを見出して意味づけをしてくれればそれでいい>
という内容のことばをみつけた。

私の考えは稚拙であったり、突拍子もないものであったりするだろう。

しかし、漱石の作品から私の得た何か(傍点)を、ことばにしてみたいと思っている。

 


 

私は、最初「行人」をとりあげ「行人」の中絶によって、
漱石が描こうとしていた主題の変化を中心に、
二郎と直の恋愛について考えるつもりであった。

しかし、途中で主題が変わったということは、
漱石にとって、より重要なテーマがみつかったということでもあり、
私自身、そのテーマの方により興味を持ったので、
視点を一郎へと移したのである。

こうして、一郎を考えた時に、
小森陽一氏の「こころ」論の人間のつながり、というモチーフが浮かび上がってきた。

そんな時、マルティン・ブーバーの「我と汝」を読み、
小森氏のいうつながりを、マルティン・ブーバーのいう<われーなんじ>という図式にあてはめてみようと思ったのである。

このように考えてみると、漱石の作品は、いつも何かを(傍点)求めているかのようで、一つ一つの作品に<われーなんじ>の問いがなされている。

そこで特に「彼岸過迄」「行人」「こころ」の後期三部作を選び、
「こころ」における<先生>と<私>の二人に生まれた<われーなんじ>に至るまでの、
主人公たちの生き方を追ってみたいと思う。

「彼岸過迄」は明治四十五年一月一日から四月二十九日まで、朝日新聞に連載された。

「行人」は<友達><兄><帰ってから>を大正元年十二月六日から翌年四月七日まで、そして、胃潰瘍のため中絶し、<塵労>五十二回を、九月十六日から十一月十五日まで、朝日新聞に連載された。

「こころ」は大正三年四月二十日から八月十一日まで朝日新聞に連載された。


序章 <われーなんじ>の定義

マルティン・ブーバーによると人間の態度は<われーなんじ>と<われーそれ>という二つの根源語で成されているという。

文章が難解で果たして私の解釈が正しいのかは別にして

私がこの文章の中で得た<われーなんじ>と<われーそれ>について述べてみようと思う。

まず、人間は自己<われ>自体では存在しない。

必ず<われーなんじ>の<われ>あるいは<われーそれ>の<われ>としてのみ、存在するのである。

<なんじ>は限界を持たず<なんじ>を語る人は関係(傍点)の中に生きる。

逆に<それ>は経験(傍点)にとどまっている。

私なりの考えだが、例えばAさんがBさんと知り合う。
これは知り合うという経験(傍点)を
AもBも互いにもったわけで<われーそれ>となったわけである。

ある日、Aの何気ない一言が(あるいは何気ない行動が)Bにとってある刺激となって、何かが生まれたとする。

ここでBはAに対して<われーなんじ>と成ったわけである。

たとえ、Aにしてみれば、未だ<われーそれ>であっても、である。
(しかし、Bに何かを生み出させたAにとっても、そこですでに<われーなんじ>であるかもしれない。)

それは<われーなんじ>は求めようとして得られるというものではなく、
ふとした時に<われーなんじ>に成っているというものだからである。

ただ互いを知っている、認識という経験(傍点)を超えて何かが生じ、
そこに関係(傍点)がもたれるのである。

しかし、<われーなんじ>は変わっていく。

BがAと<われーなんじ>であっても、いつしか<われーそれ>に成っていることもある。

<<根源語<われーなんじ>は自然的結合から、根源語<われーそれ>は自然的分離から、いずれも根源語の精神的実在がごく自然に生ずるということを、はっきりと認めることができる>>のである。

マルティン・ブーバーによると
<<誕生以前の幼児の生活は、純粋なる自然的結合、母親から子供への生命の流出であり、肉体的相互作用である。>>
<<すべて生まれ出る幼児は、他のすべての生命と同じように未分の、形もない根源的世界という大いなる母なる胎にやすらっている>>
<<関係を結ぼうとする努力の根源性は、すでに早期の幼児の朦朧とした段階において認められる。すなわち、幼児は対象を知覚し(経験(傍点)し)そのあとで関係(傍点)を結ぶのではなく、言葉なくして<なんじ>と語りかけることによって相手と関係を結ぶ>>
<<いま<ものになること>などは<われになること>と同じように、原体験の分裂、結び合っていた相手からの分離かた生じたのちの所産にすぎない。はじめに関係がある。関係こそ存在の範疇であり、他者を迎える備えであり、ものを捉える形体であり、魂の鋳型である。関係のアプリオリとは、<生まれながらのなんじ>である。>>

つまり、私なりの解釈を施すと、

幼児ーー生まれた子というものは、父・母という概念をもっていない。
自分を温かく抱いている何か、自分が唇を押しあてている乳房をそれとは知らずに求め、母の愛というものを無意識のうちに受けとめている。
それを何とも知らずにーー関係(傍点)をもっているのである。
海の中で生きる魚たちが生まれながらに、海という意識なしに海の中で生きるように、
私達が空気という、存在しながら意識せずにいる中で生きているように……。

しかし、幼児はやがて父を父と、母を母として<生まれながらのなんじ>でないものとして認識する。

私の勝手な解釈として、<父ー母ー子>という家族というものは、生まれながらに最も純粋な<われーなんじ>が崩れ去り、<われーそれ>という血の絆で結ばれた時にこそ生じてくるのではないかと思う。

つまり、認識が生じて初めて親子というつながりが生まれてくるのである。

(傍点 論文作成者)


 

ここまでで、 『彼岸過ぎ迄』 『我と汝・対話』 の序章を、どれだけの人に理解されたかは疑問である。
とはいえ、理解者をもとめて書いているのではなく、あくまで、20歳の自分が、卒業論として書いた文章である。
独りよがりのマスターベーション哲学を、我が子に伝えるがごとく、ここに書き記す。

私の漱石先生へのラブレターは 「漱石先生」 でご覧いただけます。

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