漱石先生

あとがき

2008年7月16日

参考文献

「こころ」(筑摩書房)「解説『こころ』を生成する心臓(ハート)」 小森陽一
「夏目漱石論」(青土社) 蓮貫重彦
「夏目漱石必携」(学燈社) 竹盛天雄編
「漱石的主題」(春秋社) 吉本隆明+佐藤泰正
「夏目漱石1」(有精堂)
「講座夏目漱石」(有斐閣)三好行雄・平岡敏夫・平川祐弘・江藤淳編
「漱石の心的世界」(至文堂)土井健郎
「漱石の病跡」(勁草書房)千谷七郎
「漱石の思い出」(角川文庫)夏目鏡子・松岡譲=筆録
「漱石の愛と文学」(講談社)小坂晋
「夏目漱石の恋」(筑摩書房)宮井一郎

あとがき

卒業論文を書いている間中、悩まされたものがある。鉛筆ダコである。筆圧が高いのか、この鉛筆ダコにはしょっちゅう悩まされる。そして私にとって鉛筆ダコの歴史は古い。そもそものはじまりは小学校の夏休みの宿題である。最初の十日間で漢字の練習、算数のドリルの四十日分をやってしまっていた。だから、夏休みに入ると中指はいつも鉛筆ダコができていた。

中学では試験のたびにできた。試験勉強をする時は、手を動かしていないと頭に入らない気がして、せっせせっせと鉛筆を走らせていた。高校に入って、かなり自由気ままに生活していたので、鉛筆ダコも影を顰めていたのだが、大学受験を失敗して浪人中に又、ムクムクと正体を現してきたのであった。はっきり言って浪人中ほど、よくお勉強をしたことがなかったので、この時期にかなり根強く居着いてしまったようだ。

おかげで今もって健在で、特に清書の時などはバンドエイドを二重に貼って書くような始末であった。今も、痛みを堪え堪え書いているが、あとわずかを鉛筆ダコ君とともに頑張ろうと思っている。

こうして鉛筆ダコが痛むほど、字を書いているわけだが、頭で考えたり、口で話したりすることを文章にしようとしても、なかなか、思うように筆が進まないのが非常に情けない。文章にして思うことを表現するということが、いかに難しいことか、言いたいことを適切に言い表せないことのもどかしさを痛感した。

又、自分と重なるようなところでは、どうしても自分の主観でものを言ってしまい、自分の意見や、作品ーー特に登場人物にのめりこんでしまったりして、客観視することができなかったりした。又、漱石の作品には様々なテーマが織り込まれていて、言いたいことがまだたくさん残されていて、歯痒さがある。
とにかく、自分の未熟さと鉛筆ダコが今の私に残ったのだが、卒論を書き終えて、私は、もっと人間的な面で成長し、自分でも納得のいくものをこれから作り上げたいと思っている。

平成の小幡万里子が贈る「あとがきのあとがき」

若いなあ〜!我が子のような自分との再会。

はっきり言って恥ずかしいのだが、羨ましい。

そして、自分の骨子は変わらないなあと思う。

自分の中のこだわりも変わっていない。

変えようがないのかもしれない。

「家族」にこだわってるなあ。私…

人と交わりたいと、痛いほど淋しい人間なんだって伝わるなあ。私…

ここから倍の人生を生きて、少しは成長していたかったけれど

成長しきれていない、相変わらずの未熟さが哀しい。

失ったのは、鉛筆ダコくらいのもの?

しかし、腱鞘炎になりそうな勢いのキータッチ!

よくぞ。

先生は、この生意気な女子学生を見捨てずに、育ててくれたことだろう。

二人の白雪姫を育てる私は思う。

彼女たちの若さに羨むのではないのだ。

彼女たちの中に、自分と同じ血が流れ、しかし自分と違う存在であると認識する時

嬉しさとともに、脅威を感じるのだ。

「こうなって欲しくはない」と思う片鱗を見せる時

おとなになるまで、寝かしておきたいと思ってしまったりする。

「紅〜い 紅〜い りんごをお食べ」と。

子どもから、おとなへの道筋を歩む時、そこで醜いもの、薄汚いものを

許容しなければならない時がくる。

家族がある意味で<われーそれ>と形で存在するというのは

親ー子という役割りを演じている部分があってこそ成り立つのだ。

家族でいることは形式化された安心感があり、我を隠すことで成り立つ部分がある。

私の場合、母はその家族という<われーそれ>の形態を死ぬまで守りつづけた。

母が、我を見せることはなかった。

一方で、父は、我を通し、男としての自分を我が子に見せ

私はそれを嫌悪していた。

父の見せる「世の中」の薄汚さが許せなかったのだ。

それを今も嫌悪する自分がいるのだろうと思う。

父親の姿として、世間を教える役割りを持つ。

父は間違ってはいなかったのだろう。

それでも、母を殴る男は、どうしても許せない存在だった。

人は傷つくことも必要で、それが成長に結びつくのだろうと思ったりもするのだが

傷つくことを恐れてばかりの私は、今も「淋しみ」を抱えて過ごしているように思う。

翌年の漱石論で「漱石の小説は、人間なのである」と書いた。

自分をさえ把握できない私を抱えて、指標を残したいと…

そして、傷つき、悩み、苦しむ姿こそ人間で

だからこそ、様々な人間の関わりの中で幸福をみつけたという心…

自分を相手に知ってもらいたいという心…

それこそが、真の人間らしい姿なのだろうと。

その最後に次のようなあとがきをつけた。

 自分の文章を読み返して、恥ずかしさで顔が赤くなってしまった。ちょうど、卒論と並行して、友人から
「村上春樹を読んで感想をきかせてほしい」
と、村上春樹の本をすすめられて「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「カンガルー日和」「ノルウェイの森」を読んだ。感想としては(この人は、頭で考えることを文章にしているんだなあ。かなり、自己顕示欲の強い人なんだろうなあ。)と、自己顕示欲の強い私は、感じたわけである。

 ところが、自分で卒論を書き始めると、頭の中に、あれも、これも、と浮かんで来て、結局まとまりのつかないまま、頭の中でこねくり回しているそのままが文章になってしまった。
また、他の授業で漱石について、友人達が自分の論を発表するという機会にめぐまれ、他の人達の漱石に対する取り組み方にも非常に刺激を受け、自分の考えが様々な方向に揺れ動き、悩みもしてしまった。

 ただ、今回の卒論を書き終えてホッとしたこともあった。私は幼稚園の頃、異常なまでの泣き虫で、たとえばクレヨンが一本折れたというだけで泣き出してしまう子供だった。幼稚園では泣くとすぐに「おしおきの部屋」という道具入れのような真っ暗な所へ入れられてしまった。だから、私は自分自身を、感受性の強過ぎる異常なまでの神経の持ち主なのかもしれないと思っていたのである。

 それは、ずっと自分の中にあって、周りの大人たちにも「神経質な子」と言われ、自分でもそうなのかもしれないと思っていた。だから常に(今、こんなに嬉しがっているのは嬉しがりすぎているのかもしれない)と思ったり、一年の冬に事故に遭った時も泣きながら(今、こんなに痛いと思っているけれども他の人にしてみれば、大した痛みではなく、ただ自分だけが痛がっているのかもしれない)と、その自分の心の基準値というものがわからず、いつも自分の心を疑っていたのだった。

 だから、今回の卒論で、人間は混沌としているもので、結局は基準値のないまま様々に動きながらいきているのではないだろうか、ということに、ふと考えあたった時、心が軽くなったような気がした。

 例えば、神経を病んでいる人が、実は真の人間としての精神状態であり、それを異常と決めつけ、自分は普通と思っている人間が、実は病んでいるという考えにもなるのではないだろうか……と。

 私の弟は、この秋、高校を中退してしまった。多分、彼の心には、彼の通っていた高校、あるいは、今日の教育体制が重過ぎたのかもしれない。私が、彼に前述の話をし、
「実はそうしたことに耐えられないような心を持った君のような人間こそが、人間らしいのかもしれないよ。」
と、話したところ、彼は
「そう言ってもらえると救われるけどね。」
と、はにかむように言っていた。

 とりとめのないあとがきになってしまったが、この論文を弟に見せたところ
「すっごく寒いところで、一語一語じっくり読めば、いろいろ胸に迫るものがあるだろうけど、こうして、あったかい部屋の中で読むと、わけがわからない。」
と、言われた。一番、的を射た意見かもしれないと思いつつ、筆をおきたいと思う。

春樹ニストにお叱りを受けそうだが、出だしの頃は、こんな感じで受けとめていた。

漱石も村上春樹も人間を書いている。

しかも、淋しくて人を求めてやまない姿を…

自分と同じ感性を感じる人に、魂は共振する。

そういう瞬間を、感じられる人を求めるのであろう。

口先だけの「あなたと一緒」ではなく

本当に求める時に

さりげなく一番欲しい言葉をかけてくれる誰かを

追い求めて人は生きているのかもしれない。

前年に

「最初の頃から比べると眼光が鋭くなってきて、漱石を読み抜く力を感ずるようになりました。しかし、これで満足してはいけません。<読み>をみがき続けてください」

と、書いてくださった先生。

この年

「片附くことなどはない、ということこにつきるのです。揺れ動いて、その軌跡の中だけに本当の自分の片鱗が見えるのです、何かと何かの間で格闘している状態、そこから抜け出そうとしている状態に一瞬真実らしき実感が待たれるのかもしれません。
小幡さんの明瞭・明晰な物言いの内側には、混沌が実感されているとわかっただけでも、論文の勝利があったと言っていい」

との先生の言葉。

すごく嬉しかった。

でも、きっと。

いつも私の物言いに、鼻持ちならないお嬢さんの部分があったのだろうな〜と思う。

で。

私に村上春樹をすすめた人って誰だったのだろう?

これは男の匂いがするが…

誰だったかも思い出せない哀しさよ…

そして、家族を失った私は、自分の家族を守らねばならないね。

たとえ、我の部分で「淋しみ」を抱えていても…

どこかで、共振する誰かを求めていても…

先生の

何かと何かの間で格闘している状態、そこから抜け出そうとしている状態に一瞬真実らしき実感が待たれるのかもしれません。

の言葉が、胸に響く。

混沌の中の自分を愛おしもうと思う。

その一瞬の真実らしき実感を感じることができるとしたら

それだけで、私はしあわせなんだと思う。

長い長いあとがき

白雪姫が眠りについた後。

紅いりんごをみがきましょうか。

You Might Also Like

No Comments

Leave a Reply