漱石先生

第一章 『彼岸過迄』 〜 第二章 〜 第三章

2008年7月14日

 

第一章 『彼岸過迄』

『彼岸過迄』 の須永市蔵という青年は、母の妹の娘、すなわち従妹である田口千代子と、母の思惑によって結婚を望まれていた。
しかし、須永は、それを断る。
又、須永と、その母が血のつながった親子でないということが母の弟、須永の叔父である松本恒三によって語られる。

須永と須永の母は、自他ともに認める<最も親しい親子>である。
しかし、早い時分に死んだ父が、死ぬ二三日前に言った
<市蔵、おれが死ぬと御母さんの厄介にならなくつちやならないぞ。知つているか。>
と言ったことばや、
父が死んだ時
<御父さんが御亡くなりになつても、御母さんが今迄通り可愛がつて上げるから安心なさいよ>
と言った母のことばが
<生長の後に至つて、遠くの方で曇らすもの>
になったのである。

又、子供の時分に妙ちゃんという妹がいたが、須永のことを
<常に市蔵ちやん市蔵ちやんと云つて、兄さんとは決して呼ばなかつた>
という回想もその一つであろう。
こうした疑惑は、松本によって明らかにされた。

須永は、母の子ではなく小間使の子であった。

須永が母と殊更、真実(ほんとう)の親子よりも仲の良い親子であり得た理由は、
自分が母とは血のつながらない、

つまりは<生まれながらのなんじ>ではない母であったからかもしれない。

須永と母には最初から<われーそれ>という家族という形式の中に組み込まれ、
意識的な<われーなんじ>を作ろうとして、仲の良い親子に成り得ていたのである。
(果たして、それが真実の<われーなんじ>であったかどうかは別として)

そして母が、なぜあんなにも自分の妹の娘、血のつながった姪であり、須永の従妹である千代子と須永を結婚させたがったか、言わずもがなであろう。

須永とは血のつながっていない母は、自分と血のつながっている千代子を須永の嫁にすることで、自分も、新たに、須永と血のつながりができると考えていたのであろう。

しかし、須永にしてみれば、千代子と結婚することは
母との意識的な<われーなんじ>という関係を破壊し、形式的な家族という<われーそれ>に抱合されてしまうことになる。

又、千代子の清さ、美しさ、強さを知り抜いている須永と千代子は互いに<われーなんじ>の関係であったが故に、
須永にとっては(あるいは千代子にとっても)その二人が結婚するということは、
<われーなんじ>から、血で固められた<われーそれ>という家族の一部として葬りさられることであった。
(又、この場合、須永が不義の子である、という彼にとっての原罪が、被害者である母の親類との結婚を拒む理由の一つであったろうと思う。)

須永は、千代子が
<あまり自分に近過ぎるためか甚だ平凡に見えて、異性に対する普通の刺激を与えるに足りなかつた>
と言いながらも、千代子の周囲に現れる高木に嫉妬し、
又、千代子の本来の性質を、ある点では彼女の両親よりも理解し、認めている。

やはり、須永は、千代子との結婚において変わる、家族という血の絆を嫌悪したのではないかと思う。

しかし、須永にとって、血の絆を嫌悪しても、
結局は、それを断ち切ることは出来なかった。

千代子という存在は、須永にとって、

なくてはならないものであるとともに、あっては須永を苦しめるものであった。

『彼岸過迄』

『彼岸過迄』では<われーなんじ>という追求のための扉の前に立ったに過ぎない。

田川敬太郎の行なった<一種の探訪>をワンステップに<是から先何う永久に流転していくだらうか>を考えてみようと思う。


 

第二章 『行人』

ここでは、父・母・弟・妹・妻・娘の君主として扱われる一郎について述べた。

長男という形式での<われーそれ>にとらわれない弟の二郎、妻の直と

<われーなんじ>を求めてやまない一郎が直の節操を疑い

弟の二郎と夜を共にするように図ったことで、一郎と二郎にあった<われーなんじ>を

徹底的に打ち砕いてしまい、Hさんという他人を介して、自分を取り戻す旅に出る。

ここで、私は

しかし、一郎は求めることだけをしていれば、結局<われーなんじ>を得ることはできないだろう。

束の間の<われーなんじ>に身を沈めている時が永遠に続いたら、一郎は幸福かもしれないが、束の間の<われーなんじ>に甘んじ、真実の<われーなんじ>を得ることはできず、悲しみしか残らない。

と、結んだ。


第三章 『こころ』

『彼岸過迄』 の須永は、母と血のつながらない母子であるが故に
母子という形としてのつながりにこだわり、家族という形を守ろうとした。

が、結局は、血のつながりによって崩れる人間同士の関係<われーなんじ>を恐れ、逃げたのである。

『行人』の一郎は<われーなんじ>を、二郎に、直に、自分の身近な人に求めてやまなかった。

それを得られないと、自分に孤独という衣を着せて自分を正当化する人であった。

『こころ』の先生も、かつて一郎と同じく<われーなんじ>を求めてやまなかった人だが
父母を病気で、故郷を叔父の裏切りで自分の心と裏腹に失わねばならなかった。

一方、Kは、自分の道のために、養家を、そして血のつながった実家を
故郷を自らの意志で断ち切ったのである。

先生がどんなにKに<われーなんじ>を望んでも、
故郷に代表される血のつながりを引き摺りながら、淋しさを相手の中に見出し、
自分もともに慰められようと、相手に自分の淋しさをぶつけるだけだったら<悉く弾き返され>るのは当然であった。

そしてKは自殺した。

先生にKの<われーなんじ>を残して……。

そして、先生は<寂寞>の中で私と出会った。

私は、九州に住む兄と、他国へ嫁いだ妹、そして故郷に父と母をもっていた。

その私は先生と知り合うことで<ほんとうの父>より、<赤の他人>である先生に自分という姿をしらされ<われーなんじ>を成した。

<父を離れるとすれば、情合の上に親子の心残りがある丈であつた>私は、
今はの際にいる父を残し、すでに<不自然な暴力>で死んでいるであろう先生を選ぶのであった。

ここにおいて私は、すでに、家・親・故郷という血のつながりを、自らの手で断ち切ったことになる。

私が、先生と知り合った時は、先生はかつての先生ではなかった。

<私は淋しい人間です>と自分を認め<私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間じゃないですか>と尋ね、
<私はちつとも淋しくはありません>と答える私の隠された淋しさにも気づいているのである。

そして又、<私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、其犠牲としてみんな此淋しみを味はわなくてはならないのでせう>と言っている。

先生は自分を見極め、私の姿も見極めている。

そして、私には何をも求めてはいない。

ただ、淋しい自分と、淋しいから自分を知ろうとする(といっても、認識とは異なる意味の「知る」という点で)私とを得ただけである。

又、私も<先生を研究する気でその宅へ出入りをするのではな>く、
<真面目に人生から教訓を受け>るつもりであった。

<あなたは腹の底から真面目ですか>と聞く先生に、
<もし私の命が真面目なものなら、私の今いつた事も真面目です>と答えた私であった。

そしてそれは
<あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云つたから>
<私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜らうとしたから>
<自分で自分の心臓を破って、其血をあなたの顔に浴せかけ>てくれた先生を呼び起こした。

求めてやまなかったかつての先生は、自分を求める私と出会った。

私は、まだ、人生というほどの世界を知らなければ、自分自身の見極めも成り難い人間であった。

しかし、私は自分の心の内に生じた(それには理由などなかった)<われーなんじ>を信じ、血というつながりを自分で断ち切って、
新たに先生と<われーなんじ>を結び、先生に対して<われーそれ>となることは決してなかったのである。

だからこそ、以前<われーなんじ>を求めて、かえってそれを打ち砕いてしまった先生も、
私に対しては真剣に<われーなんじ>と成り得たのである。

そして、私と<われーなんじ>で成り得るとともに、

打ち砕いてしまったことの<われーなんじ>も、

私の内で息づくことになったのである。


 

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