驚きと哀しみの中 愛川欽也さん死去の報道に謹んで哀悼の意を表します
2014年7月11日に、
愛川欽也氏・うつみ宮土理さんご夫妻が、
俳優のために作った「キンケロシアター」にて、
愛川欽也氏演出の大人のピンクコメディ
『薔薇色の女優』が上演されました。
役者で友人の 宮嶋靖郁 さんが、
このキンケロシアタープロデュースのお芝居に重要な役で抜擢され、
緊張と希望のお稽古の様子を拝見していて、
応援に行こう!
と、こっそり、初日の舞台に伺った際に、
終演後、愛川先生と御一緒にお写真を撮らせていただきました。
お優しい笑顔と口調から、ファンと後進の俳優を大切にされていることが伝わりました。
私が事務局長を務める BPA で情報発信しているメディア 「BPA JAPAN」 でも、
この日のことを掲載させていただいております。
本日、下記の報道を目にし、心から哀悼の意を表します。
「出没!アド街ック天国」など人気テレビ・ラジオ番組の司会を長年務めるなど、「キンキン」の愛称でお茶の間に親しまれ幅広いジャンルで活躍した俳優でタレントの愛川欽也(あいかわ・きんや、本名・井川敏明=いがわ・としあき)さんが15日午前5時11分、肺がんのため死去した。80歳。近親者で密葬を営んだ。妻はタレントのうつみ宮土理(みどり)さん。
実は、もう四半世紀も前に、
私が生まれ育った世田谷の磯勘というお寿司屋さん
(ご存じでしょうか? Youtubeに番組としても愛川欽也氏が出演されていらっしゃいました!⇒ https://youtu.be/BPm138ByQxk)で、
うつみ宮土理さんと ご一緒にお食事のところ、
20歳の私と両親がお隣の席で食事をすることになり、
母が20歳の時に生まれた私を見て、
愛川先生から
「親子なんですか? 姉妹かと思いましたよ。 お嬢さん美人さんですね」
と、お褒めいただいた想い出がございます。(笑) ← ちょっと自慢!
こども時代、ロンパールームのみどり先生を拝見していた私は、
みどり先生の美しい日本語の言葉が
こども心にも きれいだなあ と、
自然と身についていたように思われます。
当時、国文学を学んでいた私にとって、
メディアを通じた潜在的な お手本としての 存在になっていたのでしょう。
現在、全くテレビを観ない生活になったのも、
独立して貧乏生活であったことがきっかけではありますが、
言葉使いのなっていないアナウンサーの汚い日本語を、
どうしても受け入れがたい ということも 理由のひとつのようです。
閑話休題・・・
良質な番組作りを・・・というのは、
キンキン・ケロンパのお二人の
ライフワークになっていたのではないか・・・
と感じています。
キンケロシアターは、
ご夫妻お二人で、次の世代を育成するために、
芝居の稽古と お披露目の場 として作られました。
自分達が役者としての人生を究めた後を、
後進の育成のために準備をする・・・
社会は、そうした生命の循環によって 維持継続され、
未来が今よりもっとよくなっていくことを 感じさせてくれました。
現在、 自分さえ良ければいい という感覚が、
幼児から染みついてきてしまっている 世の中です。
実際に、愛川先生と共に、
お芝居を創り上げた方は、
芝居以上に 学ぶべきこと を 得たのではないかと思います。
(小学校1年生の時に女優になると 決めた私としては そうした意味でも この舞台に出演した 宮嶋さんが 羨ましい)
目的がビジネスの成功やお金を稼ぐことであっても、
人として生まれた以上、
次へと紡ぐ生き方こそ、
人が学ぶべき最大のことではないのかな・・・
と、愛川欽也氏の死から、改めて感じました。
謹んで哀悼の意を表します。
と、共に
その意志を継いで、
良質な番組作りを守る人たち が、
保身に負けずに立ち上がってくれたらいいな と思います。
業界の方には、愛川氏の死の病名や、
いつ亡くなられたとかいうことで ザワザワして
視聴率を稼ぐことに利用するのではなく、
テレビ離れの理由を、
録画機能や、スマホやPCのせいにしていても、
課題解決にはならないということに気づき、
テレビ業界を支え、
後進のために努力を惜しまなかった
愛川欽也氏の生涯から、良質な番組作りを学んでもらいたいなあ と思います。
一人の人間の死から人生を学ぶというのは、
年表のように、
どう生きたかではなく、
その人のイキザマが、
どれだけ未来の人に紡ぐものを遺せたか・・・
ということなのだと、
私は思います。
愛川欽也さん死去の報道に謹んで哀悼の意を表します
愛川 欽也(あいかわ きんや)
1934年(昭和9年)6月25日 – 2015年(平成27年)4月15日
日本の男性俳優・声優・タレント・司会者・ラジオパーソナリティ・エッセイスト。
本名は 井川 敏明(いかわ としあき)
愛称は キンキン
東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)出身。
俳優座、劇団三期会を経て、最終所属先は愛川企画室(個人事務所)。
身長168cm、体重72.5kg。
妻はタレントのうつみ宮土理さん。
「おまっとさんでした」の名ゼリフで著名。
2000年度 ナイス・カップル賞 (夫妻で受賞)
2014年 9月 「情報テレビ番組の最高齢の現役司会者」として ギネス世界記録に認定
(『出没!アド街ック天国』番組内にて、ギネス公認委員立会の元で認定書贈呈)
1981年 『なるほど!ザ・ワールド』開始 司会に抜擢 大ブレイク
1995年 『出没!アド街ック天国』開始
2000年 10月 愛川の下に集まった後輩の俳優たちと共に 「劇団キンキン塾」結成
2001年 11月 旗揚げ公演
以降 年1回のペースで本公演を上演
劇団をベースに 舞台公演・自主映画製作を行い、プロデュース・脚本・演出・音楽を全て自ら手がける
2009年 6月 私財を投じて建設した 小劇場「キンケロ・シアター」を 東京都目黒区青葉台にオープン
劇団キンキン塾の活動拠点となる他 自主製作の映画なども上映
2009年 12月1日 全日本空輸が かつての塗装デザインであるモヒカン塗装を 1機に復刻させて 運航を開始した際に 羽田空港での出発式に うつみ宮土理さんと共に招かれた
2012年 3月6日 3月で放送終了する『パックインジャーナル』の後継番組を放送するため 愛川企画室の製作・管理による ウェブ放送局 「kinkin.tv(キンキン・ドット・ティーヴィー)」を開局することを発表
2014年 『出没!アド街ック天国』での司会が「世界最高齢の情報番組司会者」としてギネス世界記録に認定
お時間ございます方は、
今COCO にある ESSAYS IN IDLENESS – 徒然なるままに の
拙文をお読みいただけましたら幸いです。
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