映画の力

スタンド・バイ・ミー

2000年7月7日

スタンド・バイ・ミー (原題: Stand by Me)

1986年のアメリカ合衆国の青春ドラマ映画

原作はスティーヴン・キングの同名の小説。

1961年11月にアメリカで発表された主題歌を歌ったのは ベン・E・キング (ベンジャミン・アール・キング(Benjamin Earl King))。
元々黒人霊歌の「Lord,Stand by Me」という曲であり、これにインスパイアされた形で生まれた。
作詞・作曲はベン・E・キング、ジェリー・リーバー、マイク・ストーラー。
発売当時はBillboard Hot 100にて4位まで達した。当初、所属していた ドリフターズ への書き下ろしだった。
1975年に、ジョン・レノンがカヴァーした。


スタンド・バイ・ミー 出演者

スタンド・バイ・ミー

ゴーディ・ラチャンス
ウィル・ウィートン
主人公 / 本名 ゴードン・ラチャンス / 12歳。
性格は内向的で真面目。 物語を作る才能がある。
年の離れた兄デニーを事故で亡くし、両親からもその影響で冷遇されているため、劣等感を抱いている。

ゴーディ(大人) / ナレーション
リチャード・ドレイファス
劇中での語り手。 この時点の彼は妻子持ちの作家である。

クリス・チェンバーズ
リヴァー・フェニックス
本名はクリストファー・チェンバーズ / ゴーディの親友。
賢い少年だが、アルコール依存症の父親と不良の兄がいて、家庭に信用がないため、自分の将来を悲観している。
周りも自分自身でも将来は悪い人間になると思っているが、友達がいじめられていると助けるなど正義感があり、友達思いの面がある。
ゴーディの才能に一目置いて、将来物書きになるよう勧めた理解者でもある。
後に奮起して街を出て大学に進み弁護士となるが、ある日ファストフード店でもめていた客2人を仲裁し、客の持っていたナイフで喉を刺され死亡する。
原作では 法学部の学生の頃に刺殺されている。

テディ・ドチャンプ
コリー・フェルドマン
本名はセオドア・ドチャンプ。
大きな眼鏡をかけている。
粗野で無茶な性格。
父親の影響からか、軍隊に憧れている。
彼の父はノルマンディーで勇敢に戦ったという経歴を持つが、そのトラウマで精神を病んでいる。
テディは父から虐待を受けており、ストーブで耳を焼かれてしまった過去も持つが、父を尊敬する気持ちも持っており、父親のことを侮辱された時には大声をあげて激昂している。
この後、耳と目の問題で軍隊には入れず、一時刑務所に入ったが、出所後は臨時雇いで働いている。
原作では公共事業団に就職した後、飲酒運転の末に交通事故を起こして死亡している。

バーン・テシオ
ジェリー・オコンネル
少しノロマな太った少年。
性格は臆病でうっかり者。
自宅の床下にヘソクリを入れた瓶を埋めたが、どこに埋めたのか分からなくなってしまい、暇があると家の床下を掘っている。
兄は不良グループのビリーで、バーンは彼らの会話から死体についての情報を盗み聞きした。
その後、若くして結婚し、4人の子宝に恵まれ、材木場で働いている。
原作では高校時代にアパートの火事で死亡している。


スタンド・バイ・ミー 〈あらすじ〉

スタンド・バイ・ミー あらすじ

作家ゴードン・ラチャンスはある日、「弁護士クリストファー・チェンバーズ刺殺される」という新聞記事に目をとめ、少年だった頃をふと思い起こす。

時は1959年。
当時12歳だった頃に暮らしていたオレゴン州の田舎町キャッスルロックは、お世辞にも風紀がよい場所ではなく、何かしらの劣悪な家庭環境に置かれた貧しい人たちが住む田舎に暮らしていた。

作家になる夢を持っているゴーディ(ゴードンの愛称)、頭のいい少年クリス(クリストファー・チェンバーズ)、眼鏡をかけているテディ、ノロマで肥満児のバーンの4人は、性格も個性も異なっていたがウマが合い、いつも一緒に遊んでいた。木の上に組み立てた秘密小屋の中に集まっては、タバコを喫ったり、トランプをしたりと、少年期特有の仲間意識で結ばれていた。

ある日、バーンは不良グループの一味である兄たちの会話を盗み聞きしてしまう。
3日前から行方不明になっているレイ・ブラワーという少年が、30キロ先の森の奥で列車に跳ねられ死体のまま野ざらしになっていることを知る。
バーンがゴーディたちに話すと、「死体を見つければ有名になる。英雄になれる」と言う動機から、死体探しの旅に4人で出かける。

スタンド・バイ・ミー 線路

途中、喧嘩もするが、助け合いながら、鉄道の線路に沿って冒険のような旅を続ける。
鉄橋で危うく列車に轢かれそうになったりしながら、その夜は森で野宿をする。
クリスが持参したピストルを持って、交代で見張りをする。

見張りの間に、ゴーディとクリスが2人きりになる。
物語を書く才能があるゴーディは、親に疎まれていることを気に病み、将来への希望も持てないことをクリスに打ち明ける。
彼はゴーディの才能を評価し、作家になる夢をあきらめないよう助言する。
一方でクリスは家庭環境の悪さから将来に希望が持てない上、自分が教師の私利私欲に利用されたということを打ち明ける。
ゴーディは実は頭のいいクリスに、進学することを勧め、励ますのだった。

一方、バーンやクリスの兄たちがメンバーになっている不良グループを率いるエースが死体の話を聞きつけ、仲間を引き連れて死体のある場所へ車で向かい始める。

翌日、ゴーディら4人は、沼に落ちてヒルに血を吸われたりしながらも、ついに死体を発見する。
そこにエースたち不良グループが現れ、死体を渡せとせまる。
バーンとテディは逃げ出すが、クリスは毅然とした態度ではねつける。
エースが怒り、ナイフでクリスを襲おうとした瞬間、ゴーディが上空に銃を発砲し、エースに銃口を突きつけ、不良グループは退散する。
遺体のことを匿名で警察に通報して、ひと夏の冒険が終わり、4人はいつものように町外れで別れた。その後は進路もバラバラになり、お互い疎遠になっていく。

大人になったゴーディは作家となり、結婚して2人の子供にも恵まれ、大きな一軒家に住めるほど成功し、一方のクリスは猛勉強して弁護士になる。
そのクリスとも最近は10年以上会っていなかったが、クリスが亡くなった原因が、昔と変わらず正義感が強いがゆえ(喧嘩の仲裁)だったことに、「複雑な家庭環境のなかで仲間との友情を感じた12歳の頃のような友達は、二度とできることはない」と、静かに思い返す。


多分 私の生涯一の愛すべき映画

スタンド・バイ・ミー は、私が19歳の時に公開された。
「郷愁」・・・
それは、「子ども時代」をこの映画が思い出させるからだろう。

一応は主役のゴーディを超える印象を観客に残した クリス役の 14歳の リヴァー・フェニックス が
23歳という若さで亡くなったということも、

リヴァー・フェニックス

(リヴァー・フェニックス は、1993年、弟のホアキンと共に訪れた ウェスト・ハリウッドで ジョニー・デップ が経営しているナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」の入口付近にて、ヘロインとコカインの過剰摂取が原因で倒れ、病院に搬送されるが心不全で死去した。
当時、レッド・ホット・チリ・ペッパーズを一時脱退していたジョン・フルシアンテとはドラッグ仲間で、死の直前にも共にヘロインなどを摂取していた。
倒れて搬送される際には、親友であったフリーが救急車に同乗し、彼の最期を看取った。

スタンド・バイ・ミー BPA LIVE VOL.1

「神の子供たち」

リヴァーは幼い頃からヒッピーである両親に連れられて各地へ飛んだが、このとき両親の考え方からカルト教団「神の子供たち」(現在の ファミリー・インターナショナル) への参加を余儀なくされた。
この教団は、大人、子供に限らずセックスを奨励していたため、教団に所属していた幼児同士もセックスをしたという。
リヴァー自身もこれに参加したことを認めており、この出来事がその後の性に対する混乱を招いたと語る。
また早くして性経験をしたために将来の自分を変にしてしまうのではないかと悩んでいた時期もあった。
1991年11月の雑誌Detailsのインタビューで、「神の子供たち」に居た頃、リヴァーは4歳の時に童貞喪失をしたと述べた。
雑誌で「でも、それをさせないようにした。10歳から14歳までは、そのようなことは一切していない(禁欲的だった)」と言う言葉を引用した。
リヴァーの事務所代表は、リヴァーに対し「冗談だった」と発言を撤回するよう圧力を掛けたと報じられている。
1994年、雑誌『エスクァイア』は「あいつらは気持ち悪い…あいつらは人の人生を駄目にしている」と、怒りながらカルト(ファミリー・インターナショナル)のことを話すリヴァーの言葉を引用した。)

これらの様々な リヴァー・フェニックス の人生を知り、
後年、自分の「子ども時代」 もしくは 「こども」 だった自分という郷愁を、
より想う映画になったのだと思う。

子ども時代の自分と重なるシーンが、「線路」のシーンだった。


線路を歩いた記憶

昔の電車(汽車)は、田舎であればあるほど、本数が少なかった。

1970年代、千葉の姉ヶ崎から世田谷の明大前までは 2時間以上の旅であった。
私の7歳の七五三に、電車に乗ると酔ってしまう祖母が、酔い止めに梅干しをもち、
私の8歳年上の叔母と共に、私の七五三を祝うために、内房線で、世田谷まで来てくださった。

現在、東京から千葉方面の電車は、総武線と呼ばれる。

総武(そうぶ)とは、広範囲では、下総国(千葉県北部、東京都東端、埼玉県の一部と茨城県南西部)および上総国(千葉県中南部)と武蔵国(埼玉県、東京都、神奈川県の一部)の総称である。
一般的には千葉県(総)と東京都(武)の総称である。

内房線(うちぼうせん)は、千葉県千葉市中央区の蘇我駅から房総半島の西岸(東京湾側)を経由し千葉県鴨川市の安房鴨川駅へ至る東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。
房総半島を一周する鉄道のうち、東京湾側の鉄道として1912年(明治45年)に蘇我駅 – 姉ケ崎駅間が木更津線(きさらづせん)として開業したのが始まりである。
以後小刻みに延伸を繰り返し、1919年(大正8年)に安房北条駅(現在の館山駅)まで達したところで北条線(ほうじょうせん)と改称し、その後1925年(大正14年)に安房鴨川駅に達して、現在の内房線の区間が全通した。
1929年(昭和4年)には、房総半島の東側で建設されていた房総線が安房鴨川駅まで延伸され、北条線を編入の上、千葉駅 – 大網駅 – 安房北条駅 – 木更津駅 – 蘇我駅間が房総線(ぼうそうせん)とされた。
1933年(昭和8年)には再び蘇我駅 – 木更津駅 – 安房鴨川駅間が房総西線(ぼうそうさいせん)として分離され、1972年(昭和47年)に現在の内房線に改称された。

スタンド・バイ・ミー 小幡万里子

長々と説明したが、当時、祖母にとっても、私の母にとっても、
東京 世田谷 と 千葉 姉ヶ崎 は、ひどく遠い旅行であったのだ。

小学校高学年になると、夏休みには、年子の妹と共に、姉ヶ崎の祖母の元に出かけた。
母は、私と妹を祖母に預け、私より5つ年下の弟を連れ、世田谷に戻る。
祖母は、いつも、私の好きなコカ・コーラを当時の小さな冷蔵庫いっぱいに買っておいてくれた。

「ママに内緒だよ」

と、お小遣いをくれるのだけど、私は、母に

「おばあちゃんが、お小遣いくれたよ」

と、伝えた。

母は、

「おっかさん。そんな心配はしなくていいから。」

と、言いながら、祖母に、私たち姉妹が過ごすためという名目で
何某かの金子(きんす)を、祖母に手渡していた。

祖母の家で過ごす夏休みは、井戸で冷やしたスイカを思い切り頬張り、
縁側から、種を「ピュッ!ピュッ!」と飛ばしたり、
8歳年上の高校生の叔母のフミちゃんと、「ちょうしたのサンマの蒲焼」を食べたり、
動物嫌いの私は、縁側から見るだけだったが、しつけの悪い犬をフミちゃんが怒る姿を見たり、
当時、珍しいファンシーショップが駅近くにできて、フミちゃんと買いものに行ったりした。

年子の1歳下の妹は、祖母が「妹ちゃんも大きくなったら、まりちゃんみたいにきれいで、いい子になれるから」と言われたことに不貞腐れ、
叔母のフミちゃんが、まりちゃんばかり贔屓するのを妬んで、母に、「もう帰りたい」と電話したりしていた。

当時、小学生には遅い 夜 10時から始まる 「古谷一行 金田一耕助シリーズ」を、
ベッドのある 叔父の部屋で見せてもらえたりと、
楽しい思い出ばかりを、思い起こす。

スタンド・バイ・ミー 線路

特に、おばあちゃんとの忘れられない思い出のひとつは、
どこに出かけたのかは忘れたが、雨上がりに、自転車をひくおばあちゃんと一緒に見た虹の大きさだ。

まるで、地球の半径を描くような、大きな大きな虹。

その虹に美しさは、今もって他に類を見ない美しさだ。

 

そんな両親のいない夏休みを終え、母が迎えに来る。
当時の姉ヶ崎の駅は、線路を挟み、上りと下りをつなぐ階段があった。
子どもたちが、駅へ向かうために歩く距離を最短にするために、母と私と妹は線路を歩き、
線路から駅のホームに上がった。

母は、私たちが線路からホームに上がると、駅舎に向かい切符を買った。

祖母は、自転車で駅のホーム脇でたたずんでいた。
電車の出発時間が近づくと
「まりちゃん!また来てね」
と、手を左右に大きく振り、片方の手で涙をぬぐっていた。

私も電車の中で席に座り、おばあちゃんに大きく手を振りながら
「おばあちゃん!ありがとう!また来るね!」
と手を振り返した。

私も妹も、 スタンド・バイ・ミー のように、
電車が来るかも・・・と、
線路のレールに耳をあてるようなことはしなかったけれど、
線路を歩くなんてことはできない今、
線路を妹と歩いたあの日を、映画のワンシーンのように思い出す。


スタンド・バイ・ミー 子ども時代

映画では、家族関係のこと。

自分たちの過去のこと。

将来のこと。

子どもながらに、自分の頭と心で考えること、思うこと、感じることをぶつけ合う。

率直に。

嘘 偽り なく。

 


お時間ございます方は、こちらも ご高覧ください。


小幡万里子の観た映画 感想・意見(おこがましいですが・・・ (〃´∪`〃)ゞ)

 

この思い出とリンクした子どもたちの教育現場で見た景色


研究授業その5 理科1年生 2006年 9月

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