Essays in idleness - 徒然なるままに 徒然なるままに

美しき人

2011年7月19日

こんにちは。
クラブマネジメントの小幡万里子です。

フェイスブックのお友達登録というのは、人を選ぶ権利を有しています。
政治家や芸能人、著名人というのは、ファンを大切にしないといけない方は、あっという間に5000人とお友達になっております。

フェイスブックを活用される大半の方は、ネット上に散らばる「通りすがり」の2ちゃんねるのような人種とは異なり(2ちゃんねる住人さん、ごめんなさい)大変に、レベルの高い人であると感じており、私自身、大変に不遜ながら、その人為(ひととなり)を推し量って、フォローをしたり、お友達承認をしております。

それは、女性でありながらSNSを使っている自衛でもあり、5000人近くもの方の情報がウォールに並んだら、真面目な人間である自分は処理できかねるだろうと思うからです。

たかが、ネット上のつきあいであっても、私は誠実に互いのコミュニケーションを大切に考えたいと思っているからです。

そうした中、ある政治家の方のウォールが、2ちゃんねる化し、他人の宣伝や、政治批判など、見ていて気持ちのよいものではなくなっておりました。
それは、きちんと管理をしない、当事者や政治家のブレーンの甘さだとも感じております。

庶民の声を知るために作成したとしたら、責任をもった管理が必要であると思います。

その管理能力に欠けていると判断されてもいたしかたない状況に陥っているのは、作成した人間に責任が問われるでしょう。

一方で、福島の人間が、動物や風景などの写真に、その政治家の名前をタグつけし、「私たち被災者(この「たち被災者」という言葉が卑しい言い方です)は、食べ物ならば、3カ月以上の賞味期限あるものが欲しい。
こういうものが足りない。誰か送ってくれないのか(めぐんでほしいと言う乞食根性に感じる私は、酷い人間かもしれません)拡散希望。物資を送って!」という、私にとって、浅ましいと感じるやり方で物乞いをする人間や、「原発の責任を問うのは、国民の義務で、それに、このフェイスブックで答えるのは政治家の役割だ」という身勝手なおじさんや、「官僚や政治家が悪くて、国民は損しているんだ」と被害者ぶる人間たちの書き込みで溢れています。

これは、フェイスブックに限ったことではなく、ツイッター、ブログ、マスコミ、テレビ、新聞。

すべてにおいて、文句(批判や提案、解決策の提示とは程遠い、一歩間違えたらいちゃもんにしか思えないこともあります)を言ったもん勝ち的な思想だと感じています。

以前「あたしんち」というマンガの作者が、のんきなお母さまを主人公に次のような言葉を言わせています。
「最近は、なんでも訴訟訴訟ねえ。そのうち、ナスのヘタがちくちくして、手を怪我した。慰謝料払え!なんて世界になるのかしらねえ。怖いわねえ」というセリフがありました。

否。まさに、今はそんな時代になってしまったと、日本人はいったい、どこへ進んでいくのだろう?と憂えずにはいられません。

被災者よりも、もっと不幸な人間はいるわけで、それでも、みんな生きてるわけです。
どうして、皆様、互いを尊重し合うことをせず、自分が!自分が!で、生きているのでしょう。

天災は忘れたころにやってくる。
だから、備えておくべきで、それを怠った自分を棚上げして、国に責任を!と問う人間は醜いと思うのです。

女子サッカー等、スポーツを生業とする人の経済的不遇を他人がとやかく言うべきではないでしょう。
一カ月、10万円で生活してるなんて、誰が言うのでしょう?
スポーツが好きで、サラリーマンになって安定した生活より、プレイすることを自分の人生だと選択したのは、その人。
それを諦めて、できちゃった婚で子どもへの責任のためにサラリーマンになった人も、存在するわけです。
他人が、他人の人生をとやかく言う資格なんて無いと思っています。

できることは、互いの生き方を尊重し、邪魔をしない距離感をもつことだと思うのです。
他人の詮索なしに、自分に自信と自身をもって生きられる、そんな世の中になって欲しいと願っています。

この出会いと、時間を共有してくださった方がたに 心から感謝です。

今日も一日…ありがとう。

 

You Might Also Like

No Comments

Leave a Reply