電車の中で

朝の電車

2009年12月3日

 

今朝、中学生がいっぱい電車に乗っていました。

 

我が家の中学生も、先日、音楽鑑賞会に出かけたり
1年生の時は、職場体験もあったりで
きっと、学校行事があるのだろうなあと、
中学生の集団を、微笑ましく見ていました。

 

その駅は、階段が、長くて、ふと、前を見ると
足を固定した、女子中学生が、松葉杖で、階段を上がっていきます。

 

エレベーターに乗ったらよかったのに…と、私は、思ったのだけれど・・・

 

朝の、周りの人たちの波の流れに負けないように
階段を、一生懸命に、松葉杖を前に出す姿に
思わず、頑張れ!と、心の中でつぶやいておりました。

 

その女の子は3人組で、なぜか、2人の女の子は、その子の前を
どんどんと、階段を上ります。
そして、えっちら~と、最後に松葉杖の女の子がくっついていたのです。

 

「ねえ。前に、1人が先に歩いて、道を作ってあげて
それから、杖のお友達を真ん中にしてあげて
最後に後ろから1人、彼女が転んだりしないように、見守ってあげたらどう?」

 

ついね。
母の私は、言ってしまったの。

 

「あ!はい!」
階段はもう、上りきってしまったのだけれど、
素直に、2人の女の子たちは、頷いてくれました。

 


 

我が家の中学生のお友だちもね。
バレー部なのだけれど、靭帯損傷で、手術をしないといけないのって
話してくれた時に、
「じゃあ。松葉杖になったら、うちの子に荷物持たせていいからね」
なんて、話をしていたことがありました。

 

もしも、お友だちが松葉杖で、一緒に電車に乗ることがあったら、きっと、
「できたらエレベーターに乗るか
階段を上がるならば、ゆっくりと上る、その後ろについてあげて
後ろから押されたり、落ちたりしないように、見守ってあげなさいね」
と、我が子に話していただろうなあと思ったのでした。

 


 

別に、その子たちが悪いわけでもないのです。

 

きっと、わからないだけ…

 

松葉杖で、階段を、皆の速さに合わせて上ることが
どれだけ、大変で、どれだけ、怖さを感じるのか…を。

 

自分が、経験したことでなければ、その本当の辛さや苦しさ怖さや悲しさなんて
わかりっこないのは、当然のこと・・・

 


 

でも、だからね。
ちょっとばかり、子どもたちより長く生きている大人の私は
五月蝿いおばさんであっても、心が気づく、きっかけを
大人として、こちらが気づいた時に、指し示してあげたいな~と思うのです。

 

そのお嬢さんたちも、とても素直な「はい」という言葉をくださいました。

 

きっと、今朝、五月蝿いおばさんと出逢ったことで
怪我したお友だちを労るひとつのやり方を、知ってくれたとしたら
私が、今朝、あの電車に乗ったことも、
なにか、そこにちっぽけな意味があったのかもしれない~
私が、今、生きていることも、ちっぽけだけれども意味があるのかもしれない~

 

そんなことを感じた朝でした。

 

少しずつ、日が伸びていくのを感じています。

 

だんだんと、暖かくなって、寒さに震えて、冬眠していた私も
少しずつ、元気になっていけるのかもしれないな~と思っています。

 

感謝の心を込めて…ありがとう…

 


お時間ございます方は、

今COCO にある ESSAYS IN IDLENESS – 徒然なるままに

電車の中で の拙文をお読みいただけましたら幸いです。

 


 

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