電車の中で

イヤなことがあった日に

2010年11月22日

 

こんにちは。
クラブマネジメントの小幡万里子です。

 

自分がなにをされたか・・・を数えるよりも
自分が今日できたことを数えたい。

 

電車の中で老夫婦に席を譲った。

「お嬢さん。サンキュー」とおじさまが言った。

 

旅行に来た数人のおばさまたちが地図をのぞいていた。

「どこかお探しですか?」
そして、そのホテルを教えた。
「ありがとう」と言われた。

 

駅のエレベーターで小さな女の子を先に乗せた。

「どうぞ」女の子は私のまねをして「どうじょ」と言った。
女の子の母親が「すみません」と言った。
私は笑って「バイバイ」と言った。
女の子も笑って「バイバイ」と言った。

 

それが私・・・
他でもない私・・・
私だけの私・・・

イヤなことってなに?

 

自分の嫌いな人に直接嫌いって言えばいいのに
他人の口を借りて嫌がらせをして
自分を安全地帯に置く人。

まるで、小学生のようだと思った。

 

でも…
そんなことを思っても仕方ない。

 

直接に「あんた嫌い」って言われたら
やっぱり、ショックは受けるだろう。

 

そのショックを和らげるために
他人の口を借りたのだろう。

 

その思いやりを、鼻でフフンと笑ってやろう。

 

たくさんの人が集まる場所で
ある人が、名前を間違えて書いてしまった。

 

私も「まりこ」というと
真理の子とよく間違われる。

 

昔は「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、の万に里に子」
と、説明をしていた。
今の私は「万里の長城のばんりをまりと読んで子」
と、説明する。

 

私は、今、万里の道を歩いているから…

 

さて、間違われた方は
私の敬愛する与謝野晶子の「晶」の字を使われていた。

間違いを指摘した人は、素直に
「○○さん、間違えていますよ」と伝えた。

 

率直なのは気持ちいい。

 

私は、
「与謝野晶子の晶は太陽がみっつと、
与謝野晶子研究の教授にしつこく教えられました。
○○さんは、お日様がもっともっといっぱいで
輝く光とあたたかさをお子さんたちに注ぐのでしょうね」
と、お伝えした。

 

相手の心を思うことはとても大事なことだと
私は思う。

 

相手を思うからこそ
率直な言葉を投げかけたり
ユーモアをもって、相手に言葉をかけたいと思う。

 

けれど、他人の口を借りて
嫌がらせをするのは
やらせる方も、やる方も
卑怯な人間に感じてしまう。

 

もっともっと。
心寛く生きたいのだけれど…

 

まだまだ、嫌がらせには強くなれない自分がいる。

 

けれど、強くなる必要があるのかな?

 

嫌なことする人を、嫌だな…と思う
素直な心を隠す必要なんてないのじゃない?とも思ってしまう。

 

なぜならば

それが私…
他でもない私…
私だけの私…

だから。

 

この出会いと、時間を共有してくださった方がたに
心から感謝です。
今日も一日…ありがとう。


お時間ございます方は、

今COCO にある ESSAYS IN IDLENESS – 徒然なるままに

電車の中で の拙文をお読みいただけましたら幸いです。

 

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