こんにちは。
クラブマネジメントの小幡万里子です。
師走の深夜の地下鉄ホームにて
携帯片手に、妙齢の女性が
ご自分の不倫についての相談(自慢?)を
声高にされておりました。
「だって。なつみとは奥さんと別れて結婚したいと思ってたって過去形で言うんだよ。
なつみだって、結婚したいし
でも、奥さんと別れてくれないし
合コン行ったり、友だちと遊んでて
なつみのこと信じられなくなったって言うの。
でも、そんなこと言うなら、結婚するべきだよね。
でもね。でもね。
やっぱり好きなんだもん。
でも、奥さんと別れないのに
なつみのこと縛るなんておかしくない?
でもね。でもね。
やっぱり好きなんだもん」
別に、聞きたかったわけではありませんが
ホーム中に轟くような「なつみさん」の声。
きっと、銀座近くでおいしいものを
奥さんのいる彼と食べながら
「なつみね。あなたと結婚したいの。
いつ、奥さんと別れるの?」
なんて会話から
「なつみは、他の男と遊んでるじゃん」
という流れになったのでしょう。
安い三文小説にもならぬ
女性週刊誌ネタにもならぬ事。
そんなことは、どうでもいいのですが
この人の考察をはじめてしまうのは
私が実は学者だから?
「人のものは盗っちゃだめ!」
って基本を教え込まれていないのかな~というのが
女性として母としての意見。
誰かのものだから欲しい~というのは
私にとっては、あさましい生き方に映るのです。
「だって本気で好きだし彼も奥さんと子どもと別れるって」
好きだったら、欲しかったら、自分のものにして当然なの?
自我と我欲とを混同してはいけないよね。
ただ、寂しいだけで、流されることは
絶対幸せな結果にはならないと、過去の多くの人から学べる。
それでも、どうしても欲しかったならば
うだうだ言わずその不幸を背負いなさい!
それだけの覚悟をもちなさい!
「私が、合コンしたり、友だちと遊ぶから、私を信じられないって。じゃあ、結婚してよって感じ。自分勝手だよね。でも、好きなの」
人を愛するって矛盾に満ちている。
信じているけど、縛りたい。
そういう気持ちは、わからないでもない。
ただね。
地下鉄のホームで、大きな声でそういう話を
携帯で友だちに話す…
その姿は美しくない。
はっきり言わせてもらうと、見苦しい。
人はね。
誰にも、苦しいこと、辛いこと、悩めること、不安なことってある。
けれど、それを誰も見ていないところで真剣に伝えたり考えたりして、
人の前では、微笑むことができる人が
とても美しく強く生きているってことではないのかなと思う。
そして、そういう生き方をしているとね。
自分と同じ、強く美しい生き方をしている人が集まってくれる。
今。
彼女は、そういう彼女レヴェルの男性と不倫しているのだろう。
彼女の「本当に好き」も、
彼女の求める物理的、時間的、世間的な条件に満たす男性が現れたら
きっと手のひら返してしまうに違いない。
たとえ、その彼が、妻子に給与のすべてを与えて、
彼女が二人の生活を支えていくと思えるくらいの覚悟があるならば、それはほんもの。
けれど、自分は傷つくことなく、欠けることなく、
自分の好きだけを通すことはあってはいけない。
相手の背景にいる人間たちを苦しめていることにまで
思いを届かせることのできない「かたわ」な心の人間だと自覚しなければならない。
この不倫カップルよりもなお見苦しいW不倫なんて名づけられた遊びで
家庭を壊し、家族に対する責任を惜しんだ男を知っている私は
どれだけ自分の人生そのものを賭けて、一人の人を愛し抜くことができるのか…。
を、自分の課題として生きていきたいと思う。
人間て貫き通すことに美学があるのだと、私は思う。
ただ、私は思うだけで、あなたに押しつけることはしないけれど…
人のモノを奪う者
他人に渡すべきものを惜しむ者
私は、そういう人間を軽蔑する。
美では無く、醜で生きる人はそれを貫け!
けれど、私は、永遠に美を追求したいと思う。
それは、飾り立てた偽物の美ではなく
自分の内面から香り立つような美しさを…
この出会いと、時間を共有してくださった方がたに
心から感謝です。
今日も一日…ありがとう。
お時間ございます方は、
今COCO にある ESSAYS IN IDLENESS – 徒然なるままに の
電車の中で の拙文をお読みいただけましたら幸いです。
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