「男だに才がりぬる人はいかにぞや。はなやからずのみはべるめるよ」と、やうやう人のいふも聞きとめてのち、一といふ文字をだに書きわたすはべらず、いとてづにあさましくはべり。
読みし書などいひけむもの、目にもとどめずなりてはべりしに、いよいよ、かかることききしはべりしかば、いかに人もつたへ聞きてにくむらむとはづかしさに、御屏風の上に書きたることをだに読まぬ顔はべりしを、宮の、御前にて文集(もんじふ)のところどころ読ませたまひなどして、さるさまのことお知ろめさまほしげにおぼいたりしかば、いとしのびて、人のさぶらはぬもののひまひまに、をととしの夏ごろより、楽府といふ書二巻をぞ、しどけながら、教えたてきこえさせてはべる、隠しはべり。
宮もしのびさせたまひしかど、殿もうちもけしきを知らせたまひて、御書(ふみ)どもをめでたう書かせたまひてぞ、殿はたてまつらせたまふ。
まことにかうよませたまひなどすること、はたかのものいひの内侍は、え聞かざるべし。
知りたらば、いかにそしりはべらむものと、すべて世の中、ことわざしげく、憂きものにはべりけり。
「男性でも学問を鼻にかけた人はどうでしょう。
決まって栄達されないようですわね」
と、どなたかが言われるのを聞いて
「一」という文字さえもきちんと書けませんし
私は不調法で自分を呆れるばかりですわ。
書籍を読むなど、誰かに見られたこともございませんし
このようなことを聞きますと
うわさ話とは本当に嫌な、恥ずかしいことですのにね〜。
屏風に書かれたことさえ読めない顔をしておりますのに。
中宮さまが、天皇のお側で『白氏文集』の白楽天の詩を
ところどころ、私にお読ませになり
お勉強されたいようであったので
人目を避けて、誰もいない時に
一昨年(寛弘五年)夏頃より、「楽府」という
『白氏文集』巻三・四の二巻を、正式ではないけれど
お教えあそばせたことも隠しておりましたのに。
中宮さまもこっそりとされておりましたのに
殿道長も天皇も様子をお知りになって
書を素晴らしくお書かせになり、献上させられるのです。
ほんとうに、このように私に読ませておりますことなど
あの口うるさい左衛門内侍は、知らないのでしょうね。
もしも、知ったならば、どれだけの悪口をいうことかしらん。
ほんとうに、世の中というものは
なにかと煩わしくて、嫌になってしまいますわ。
当時、女性は漢籍を学ぶ必要が無く
正式に学ぶことはなかった。
そういう中で、漢学に触れる機会のあった
紫式部は、漢学の奥深さ、面白さに惹かれたのであろう。
しかし、女が才のあることを周りに表すことは
恥ずかしいことと思われており
自分にその知識のないことを棚に上げて
紫式部の陰口を言う女房達もいたのであった。
現在もそうだが、女というと
若くて、ものを知らぬ方が生きやすい生き物である。
そうした中、夫を亡くし20代後半で未亡人となり
この当時、三十路であった紫式部は
女としての価値の無い女性であったにも関わらず
『源氏物語』を書き、その身についた学問で
教養深く、道長からも信頼されていた。
現代も、女の敵は女
とは良く言ったもので
自分より優れた存在を目の上のたんこぶとばかりに
執拗に嫌悪する女がいる。
どう見ても、理不尽なその怒りが問題ではあるのだが
周囲の同じような女を巻き込み
優れた女性を追い落とそうとする。
世の中が穏やかに平和に、良い方向に向かうには
妬み嫉みを捨て、相手の良い面を素直に認め
お互いがそれを伸ばす努力をしていくことが
大切だと思うのだが
平安のまったりとした時代にも
女のイヤラシさは描かれており
千年経っても、変わり得ない人の心というものに
感嘆したり落胆したり…
しかし、だからこそ
『源氏物語』は生き続けてもいるのだろうと思う。
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