源氏千年紀

源氏発見

2008年8月24日

毎日新聞 2008年7月21日 21時08分(最終更新 7月21日 23時44分)

「大沢本」として存在は知られながら70年近く行方不明だった「源氏物語」全巻の写本が個人宅に所蔵されていたことが分かった。所有者の調査依頼を受けた国文学研究資料館の伊井春樹館長が大沢本と確認し、21日に大阪府立大で開かれた講演会で発表した。中には鎌倉中期の写しと推測される古い巻もあるといい、伊井さんは「重要文化財級の貴重な資料」としている。

大沢本は、大沢という人物が豊臣秀吉より拝領したと伝えられ、明治以降度々の鑑定を受けたが、太平洋戦争前後にこつ然と姿を消した。

大沢本を最初に鑑定したのは、明治期の古典研究家、小杉※邨(すぎむら)。小杉の覚書「鑑定雑記」を調べている伊井さんは、1907年11月に「大沢氏の子孫が持ち込んだ『源氏』写本を鑑定」という記述を発見し、かねて興味を抱いていた。
また、源氏学者の池田亀鑑は40年ごろに大沢氏蔵の写本を見たが「十分な調査が出来ないまま、大戦をはさんで行方不明になった」と書き残している。
今回、「源氏」本文と共に小杉らの鑑定書も見つかり、「鑑定雑記」の記述と一致することから大沢本と認められた。

大沢本は全54帖がそろっているが、一度に写されたものではなく、不足分をかき集めた「取り合わせ本」。
鎌倉中期の写本も含め、室町末期に体裁が整えられたらしい。

「源氏」は原典が残っておらず、写本には藤原定家校訂の「青表紙本」、「河内本」の2系統と、どちらにも属さない「別本」がある。
大沢本は約半数を別本が占め、例えば「夕霧」巻の末尾は「なにはの浦に」となっているが、この文言が付いた本文は、ほかに例がない。
「詳細な研究はこれからだが、流布している『源氏』とは違う世界が見えてくるかもしれない」と伊井さんは期待する。
現在の所有者は、大沢氏とは無縁の個人。現段階で公開の予定はない。

異本に詳しい加藤洋介・大阪大准教授は「『源氏』が記録に現れて千年たつのを機に、写本の存在が相次いで確認されているのは喜ばしい。
大沢本は質量ともに、近年まれに見る出物。
室町期にどんな系統の本が読まれていたかを推測する手がかりになる」と話している。
※は「木」へんに「囚」+「皿」

産経ニュース【視点】「大沢本」発見 源氏物語研究に一大画期
2008.7.21 18:01
見つかった源氏物語の「大沢本」見つかった源氏物語の「大沢本」

源氏物語千年紀の今年、姿を現した「大沢本」は、源氏物語研究に新たな道筋を開く可能性に満ちている。
何より国文学者たちが注目するのは、これまでの研究では非主流だった「別本」と呼ばれる写本が54帖中、28帖もあることだ。

日本を代表する古典として有名な源氏物語だが、紫式部の自筆原稿(原本)は残っていない。
必要に応じ、書き写すことにより読み継がれてきた。だから、筆写を重ねるうちに相違点も積み重なっていく。

紫式部から約200年後の鎌倉初期、歌人の藤原定家が、さまざまな写本の中から54帖をまとめたのが表紙の色からそう呼ばれる「青表紙本」で、4帖が現存する。
私たちが目にする源氏物語の多くは青表紙本系統の「大島本」をもとにしている。

また、鎌倉中期に源光行父子が校訂した「河内本」も室町中期まで広く読まれたが、定家の名声の高まりとともに廃れた。

一方、大島、河内の両系統に属さず、これまで「別本」と呼ばれてきた写本群がある。
代表は「陽明文庫本」。源氏物語の最古の注釈書「源氏釈(しやく)」(平安末期)と近似し、古い表現が残り、平安期の源氏物語に迫る手がかりとなるという。

“定家以前”の別本研究は最近、新発見が相次ぐ状況にある。そのタイミングで今回、54帖そろった大沢本が出現した意味は大きい。
大沢本の系統別内訳は、青表紙本系統が22帖、河内本系統4帖、別本28帖となっている。

池田和臣・中央大学教授は「源氏物語の研究は、これまでの概念にとらわれず、文献学に基づいて本文を読み込み、洗いざらい初めからやり直さなければならない時期に来ている」と話す。大沢本の公開が、その画期となることは間違いない。(牛田久美)

源氏千年を迎えた2008年。
千年を愛された物語の力もさることながら
千年の今年
紫式部に近づく大沢本の発見は
紫式部の執念を感じる。

今週末の源氏の勉強が楽しみである。

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