教育の引き出し 高校見学

教育相談

2007年12月5日

学校教育相談の定義
学校教育相談とは、教師が主体になり、すべての児童生徒の成長・発達や適応を図るため
学習・キャリア・生活面における教育ニーズに応じて行なわれる指導援助実践である

というわけで、学校へ行った。

次女は大変緊張して、お腹が痛くなったのだそうだ。
そこで、お腹にホカロンをつけて臨んだ(笑)

後で聞くと、学校には秘密の特別マル秘文書があり、
自分の生い立ちから、学校での生活のすべてが、インプットされ、
それについて話されるのではと恐れおののいていたのだそう。

そんなものがあったら、ぜひ見たいものだわと、爆笑してしまったが、
子どもって、本当にどこからそういう考えが生まれるの?という発想をするものだ。

今回は先日終了した定期考査についての学習指導であった。
というわけで、先日の試験問題と解答用紙を抱えて学校へ向かった。
というのも、担任の先生は自分の教科については子どもの何が足りないか
ということは把握されていても、他の教科については点数でしか判断できないわけである。
具体的な本人のウィークポイントを知ってもらいたいという思いがあった。

今回、次女は数学のお点が、母としては不本意。
だって、だって・・・
正負の計算、文字式の計算という基礎的な部分で、符号のつけ忘れで
5問も!ミスしている

しかも、難しい計算が2点配点なのに、単純計算の配点が3点。
ということは、15点も凡ミスしてるという事実。

落ち着いてその過ちをしなかったら、90点台をとれるだけの力があるのに…
と、思うのである。
本人は学年でトップ10に入り、クラスで1位だったということで喜んでいる。
母としても、嬉しいの。
とってもとっても嬉しいし、亡くなった母が生きていたら、直ぐさま電話して
「ちょっと!さやのんはクラスでトップの成績よ☆」
と思い切り自慢の二乗も三乗もしてしまう。
そういう相手がいないことがとっても残念なのだけどね…

先生に言われた。
いまをキープすることは、いま以上に頑張り続けなければならない。
それがプレッシャーになるようでも困る。

母としても、そのためには、しっかりと、自分のウィークポイントを
先生にも知ってもらい
より良い指導と声がけをお願いしたいと思うのである。

順位を保ちつづけることの圧迫感はおとなであっても厳しい。
まして、子どもに順位のために頑張れということは虚しい。

英語も、社会も、数学と同じような凡ミスの嵐で、それがあるから次女らしいし、
それを悔しいと感じずに、
「えへっ。やっちゃった」というのが彼女の可愛らしさでもあるのだけどね。

先生が、私が次女の成績分布表の位置に○をつけたプリントを見て
「本当にトップクラスの点数を取ったのは国語だけなんですね。
それで学年でトップ10に入る成績を取るということは、
その科目も満遍なく学習成果を出しているということですね」
と言われた。

その言葉を伺って
改めて、満遍なく基礎学習を身につけることの大切さが身に滲みた。
で。
後で次女に
「先生がどの教科も基本的な学習が身についているから、教科ごとのトップにならなくとも
全教科で良い成績が取れるのですねって褒めてくれたね。
だから、どの教科も頑張って自分のために身につけることが大事なのね」
と話した。

「え?全部、トップじゃないからダメだって言われたのかと思ってた。叱られてたのかと思ったよ」

と言うので、

「褒めていただいてたんじゃないの(呆)」

子どもの発想って、どこからどう湧いて来るのでしょう???

決して順位にこだわるわけではないけれど、
得意な教科や好きな教科はもちろんあってしかるべきで、
それがなければ、学習はただの点数を取るだけの機械的な暗記になってしまう。
けれど、基本的な身につけておきたい小中学校の学力という点では、
ある程度の均等なバランスをもっておくことは、
その後で自分の極めたい学問を見つけた時に、やっぱり自分の武器になるのではないかな?
って感じる。

ベストセラー『博士の愛した数式』も、小川洋子さんの作家としての才能と
数学者藤原正彦氏との出会いによって、創造せられた。
そこには、文学だけでない、数学という力、また、記憶障害という症例についての
勉強・考察がなくては存在し得ない作品である。

生きていることは、単体の学問によって存在しているのではない。

蜘蛛の糸のように、縦横無尽に張り巡らされた、必要ないと思われる知識も
(本人も気づかないうちに)いつかどこかで役に立っているのかもしれない。

私の大好きな若き東大大学院生おーきくんのブログの一言コメントに
自分の人生は自分しか知ることができない
と書かれて久しい。

彼はこの若さで、どうしてこんなにも物事の真理を追究することができるのか?と感嘆する。
そして、年を重ねた私は思う。

自分の人生で自分でも気づかない恩恵を私はどれだけ受けているのだろう

と。

本当はね。
理想の子どもでなくたっていいのだよ
次女くらいオマヌケちゃんも大好きだし、長女のように馬耳東風でも大好き☆

でもね。
先生がこう言ってくださった。
「中学校の勉強なんて、おとなになって100のうち3しか役立たないかもしれないけどね。
その3だけでも役立ったならば価値あることだと思うな。
それだけで、今、勉強している価値はあると思うな」

私もね。
「お母さんになった時に、自分の子どもに教えてあげられるだけでも
今、お勉強していることは役立ってると思うなあ」
と、言った。

勉強することが楽しいと思えるのって、やっぱり、この時期には難しいことなのかもしれない。

勉強しなくとも、おとなになってから困らないかもしれない。
でもね。
やりたくないなって思うことを、今、この中学生という時期に
やり通すことも、生きていく上で必要な時間であり、経験なのかもしれないなって思う。

ママだってお掃除をしたいわけでも、お洗濯したいわけでもないけどね。
それでも、やっぱり、やらなくちゃいけないからやってるのよ。
おとなになっても、やりたいことだけやって生きてるわけじゃないのよね。
(子どもにとっては、ママは好き勝手してると思うのだろうけどね)

数学の単純計算の問題を、ママが作ってくれたらやる!
というので、ノートに書いてやったら、
「難しくて、できない!」と。
私だって好きでやってるわけじゃなぁい!
誰のためにやってると思ってるのと言いたい気持ちを抑えてね。

ちゃんと身についてることはそれでいいと思うのだけどね。
身についていないから、確認するためにやるんだよ。
全部、わかってすぐに答えがわかるようになれば、それでいいけどね。
そうでないうちは、練習しないといけないんだよね。
だから、やれる範囲でやろうね。

20~30分という短い時間。
だけどね。
いっぱいいっぱい勉強になったと感じる。
やっぱりね。
学校での親の見えていない顔もあったり。
それでも、学校であった話をしてくれる。
それが、家庭で安心感をもってくれている証だと思いたいなと思った。

(PHOTO BY CLUB MANAGEMENT)

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