憎まれママの子育て日記

読み聞かせ

2010年9月13日

読み聞かせ を 以前の小学校でしていました

全くの ド素人の 私が

なぜ 読み聞かせ を始めたのか?

 

国語 が大好きだったからかな?

子どもの世界が 大好きだったからかな?

 

次女の お友達の お母様が、

地域の中で 読み聞かせ を されていました。

 

長女と次女の通うこの小学校には

司書の先生が いない。

 

担任を持つ先生が

図書の仕事を割り当てられている 状況の中、

子どもに 本を薦めるだけの

時間も 余裕も ない。

 

図書室に 足を向ける子は 限られている。

 

本離れが進む 現在、

小学校で 本に親しむことが 大切ではないか。

 

読み聞かせ が

一種のブームになっていることに乗って

なんとか

子ども達に 本の楽しさ を 知る機会を与えたい。

そんな思いを持つ お母様が、

たった一人で 活動を始めました。

 


 

それはまず

自分の子の教室で 読み聞かせ を させてもらう~

と いう場をもらうことでした。

 

それから

その学年の 各クラスで 読ませてもらう~

そんな

ひとつひとつの ステップから 始まりました。

 

私は、

次女が 小学校入学前に

母を 亡くし、

その半年前には

弟も 亡くし、

肉親を 立て続けに 失ったことで

総てのことに 無気力になっていました。

 

次女の入学式も

ただただ 行かねばならぬ!と

義務を果たし、

義務以外のことには

何も 自分から やれない状況でした。

 

そうした私に 家族はひたすら

「ママが 大好き」

という愛情を

私に 与え続けてくれました。

 

次女の入学前 ~ 1年生時代

長女の 3~4年生時代

の 1年間は

彼女達の 学校生活の 記憶が 全くありません。

 

朝、

ベッドの中から

「いってらっしゃい」

と 声をかけ、

帰ってくるまで

ひたすら眠り続けていました。

 

でも、

眠ってはいなかったのかもしれません。

 

妻として母親としての責任を果たしていたかと言われれば、

何もせずただ生きているだけの母親でした。

 

長女は、

決して

「ママ!しっかりしてよ!」とは言わず、

自分でできることは やってくれました。

朝ご飯も 自分でパンと飲み物を用意し

次女にも そうするよう指示します。

 

そうして

家の鍵をかけ

学校へ 向かって行きました。

 

そんな私でしたが、

苦しいときは

いつも次女が

家族を 救ってくれるような 巡り合わせでした。

次女は、何かと ママに やってもらわねば 気が済まない。

 

遠足は

「お弁当、お花のウインナーと卵焼き!」
「ママ、絶対授業参観来てね。」
「可愛いお洋服来てきてよ。」
「さやはママがだ~い好き!」
「だからママと一緒がいいなあ。」

 

そうして

私を 外へと 連れ出してくれました。

 

ちょうど、

彼女は 子どもタレントとして

CM の お仕事のオファーが 重なった頃で

まだ、小学校に入りたての 幼女が

一人で 活動することもできない状況でした。

 

マネージャーとして

私が 付き添わねば

多数の方々に 迷惑をかけてしまう…

なかば、

やらざるを得ない環境に

彼女と 彼女のお仕事が、

逆に、

私に生きる術(すべ)を 教えてくれたのです。

 

そして 私が動けば動くほど

彼女の 明るく人に好かれる性格が 周りを巻き込み

笑顔の連鎖を くれるのです。

 


 

長女が 5年生になった頃、

このままでは いけないなと

やらねばならなかった

PTAの役員を 引き受けました。

 

そんな中で、 読み聞かせ と出会いました。

 

読み聞かせ 出会い

 

最初は

「次女ちゃんのママ、見に来ない?」

と言われ、彼女の読み聞かせを 見せていただきました。

淡々と語る言葉に

子ども達が 引き寄せられていました。

 

そう、子どもの頃、母が お話を読んでくれたっけ・・・

 

本を 読むことに、

母は とても寛容でした。

 

漫画で あっても

子どもが 読みたいと言えば

本屋さんに 毎月 お取り置きを お願いし

発売日には 手に入りました。

 

小さい頃 「世界名作全集」を揃え、

お話のレコードを 買い聞かせてもらいました。

その頃聞いた 赤いろうそくと人魚の 波の音を

今でも 思い出し、

赤いろうそくが、

ゆらゆら揺れる イメージが 浮かびます。

 

ホームズやルパンにハマると 全巻揃えてくれ、

小学校6年生の頃には

横溝正史の角川文庫にある 全ての本

クリスマスプレゼントにもらったこともありました。

(後日、横溝正史館 を訪れた際に、「随分、おませな小学生ね」と言われました(笑))

読み聞かせ 横溝正史博物館 読み聞かせ 横溝正史博物館内

 

母は 7人きょうだいの 2番目 で

漁をしていた家の中では 働き手でした。

「学校へ行かなくともいいから仕事を手伝え!」

「下の子の世話をしろ!」

 

そんな環境の中、

本を読みたくて 友達から借りた本 を 読んでいると

祖母は いきなり 焼いてしまったそうです。

 

私には、

とても 優しい祖母であったので

とても 信じられなかったのですが……

だからこそ、

母は、我が子には、

本の好きな子になってほしい

本に関しては

与えられるならば 与えてあげたい~

という気持ちがあったようでした。

 


 

「本は好きだったんだ。

そういえば マザーグースも好きで

セットで買って もらったこともあったの」

 

なんて話をしているうちに

 

「ちょっと やってみない?」

 

「やっちゃって いいのかしら?

だって なにも 知らないのよ。」

 

そこで彼女は、

自分の通う 勉強会に誘ってくれ

本の持ち方から

何から何まで教えてくれました。

最初にやったのは

 

「やさいのおなか」

という

野菜の切り口から その野菜を当てるという

子どもと やりとりする 参加型の絵本でした。

 

ページをめくるだけで

子ども達から

わあ~~~~~

と いう 感嘆の声がもれるのです!

 

読み聞かせ 小幡万里子

 

子ども達の 素直な 心の声 は、

子ども達の キラキラ輝く瞳 は、

私に 生きてる! っていう

力をくれました。

 


たった二人の 読み聞かせ

それがきっかけで、

まずは、

たった二人で

読み聞かせを始めることになりました。

本が好き

読み聞かせ の 勉強をしている

子どもが好き (私はこのタイプ?)

そんな お母様達が 集まり、

今も

頑張って 活動して下さっています。

 

今は、

私の 聞き手は

次女 ひとりになってしまいましたが、

それでも キラキラとした瞳で

聞いてくれる 彼女に、

いつまで 相手をしてくれるかな?

と 思いながらも

時々

今も 読んでいます。

 

 

 


 

お時間ございます方は、

COCORO にある FOR WHOM THE BELL TOLLS – 誰がために鐘は鳴る

拙文をお読みいただけましたら幸いです。

 

特に 子育てママの憎まれ日記 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。

 

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