おばたまりこ は 魔女修行 中
こんにちは。
クラブマネジメントの小幡万里子です。
2年半前。
東大で お勉強した日の 日記を 記します。
この頃。
東大の「高校生のための金曜講座」に
中学生と 高校生の 子どもたちを 連れて 通っておりました。
子どもたちのため~ というより
実は、
自分が学びたくて、
さまざまにアンテナを 立てていたのだと 思います。
今年の春には、
野矢茂樹 氏 の 講義がありました。
過去には、文学には欠かすことのできない
小森陽一 氏
半藤一利 氏
などの講座も 開催されていました。
漱石論 に 触れた人間ならば、
驚くような ラインナップなのです。
2008年 5月 16日 17時30分から 18号館ホール
と題して
池上 俊一 氏の 講座に 出席しました。
以下は、
当時の 私の 文章です。
東大で お勉強してきた。
http://high-school.c.u-tokyo.ac.jp/index.html
魔女の定義 や、サバト と呼ばれる 夜の集会。
魔女狩りや 魔女裁判など
これまで、
知っていたことだけれど
体系的に お話を 聞く 機会を いただいて
もつと、大変、勉強になる。
我が家の中学生、高校生の 魔女修行 中 の
魔女知識は、
格段に 増えたことだろうと 思う。
魔女はね。
魔女狩りや 魔女裁判が 存在したから、
「魔女」 という存在が 生まれた。
おそらく、
魔女は、とっても優れた 繊細な人間であったのだと 思われる。
周囲が 羨望と 同時に 生まれる 嫉妬や 卑屈な精神から
その人を 貶めようと 生まれた
人間の 妄想の暴走 なのかもしれないと 感じた。
魔女狩りの ほとんどは 身内の告発によって 生まれたという。
私の父は
「俺が 死んでくれたらいいと思うと、そいつが 必ず 死んでくれるんだ」
という言葉を、
よく 口に していた。
もし、
魔女狩りがあったら、
私も 父を 告発していただろう。
また、
妻の不貞を 疑った夫が、
疑心暗鬼に 囚われて
妻を 告発し
無実の 疑いで
火あぶりにあった 女性の遺族が
逆に、
夫は 悪魔に 魂を売ったと
告発の なすり合いもあった。
(今となっては、 自分の不倫を隠し、 裁判で 自分を 有利に 立たせたかった夫が、 私に 探偵をつけたのも、 魔女狩りのようなものだったのかもしれない。 彼の 浅はかなところは、 私に 埃が 一個も なかったにも関わらず、 そういう 卑劣な 真似をし、 私の怒りを 増長させた~ と いうことだろう)
信じ合う 心の欠けた時代
互いに 疑惑で いっぱいになり、
疑心暗鬼の 生じた時代だったのだ。
中学生の 次女の 感想
私は ジブリ の映画が 大好きです。
『となりのトトロ』 に 出てくる ねこバス。
『魔女の宅急便』 の ネコの ジジ。
『耳をすませば』 で 骨董屋のおじいさんのお店に 連れていく ネコ。
悪魔の象徴動物 として ヤギや カエル、 ネコなどが 絵で残されていると 聞いて
ジブリに 出てくる ネコは、
この世界から、
別の世界へと
世界を 連れ出す 役割りをしているのかもしれないなあと 思いました。
中学生の 私には、
難しいと 思うところも ありましたが
とても お勉強になりました。
高校生の 長女の 感想
魔女狩りや 魔女裁判 というのは、
過去の出来事でしかないと 思っていた。
しかし、
周りを見ると 現代の日本の中にも、
ムラ社会の中で起こる
「村八分」といった ある個人を 排除しようとする 感情が 存在する。
魔女という存在は、
中世近世のヨーロッパだけの 作られた存在なのではなく
今も、
人間の心の中には 魔女を作り出そうとする システムがあるのだろう。
本当に怖いのは
人間には 魔女を作り出す 素地が 潜んでいるということかもしれないと 思った。
( 魔女修行 中の 母の 娘 ジジ に 相応しい 感想だこと)
魔女修行 『私』の感想
私は 魔女です。
それを 確認できました。
次女に こんな話をした。
マザーテレサも この時代だったら
もしかして、
魔女にされていたのかもしれないね。
自分よりも、
弱い人を救いたいと 願う心は
権力者にとっては、
ただの 邪魔者だものね。
強い者に 従順に従う者だけを 作りたい権力者にとって
弱い者を助けようとする マザーテレサのような存在は
目の上のたんこぶだったかも。
魔女狩りにあった人達の中には
薬草の知識があって 病気を治したり
心を苦しむ人の気持ちを
上手に 癒すことのできる人もいたかもしれない。
そういう権力者以外で、
人から尊敬される存在があると
自分の立場が 危うくなると感じる 権力者自身が
魔女狩りで そういう人々を
消していったのかもしれないね。
人々の中にも、
妬みや 嫉みがあって
羨ましさの裏の 人間の醜い感情が
魔女狩りを 生み出したのかもしれないね
私は、決してマザーテレサのようにはなれない。
ただ
弱いものいじめをする人間を 軽蔑する。
たとえ、立場は偉くとも、
態度まで 偉そうにする人間に 嫌悪感を抱く。
自分の快楽のために 声を出すことはしないけれど
他人が困っていると、
お節介とわかっていながら、言葉が つい出てしまう。
なにか、おかしいぞ!
胡散臭いぞ!
キナ臭いぞ!
と、感じると、
その疑問をぶつけてしまう。
そういう人間の存在は、
臭いものに蓋をしたい人間
自分で考えるよりも、
誰かに従っていたい
あるいは 従順な者に囲まれたい人間にとっては
消えてもらいたい人間である。
私の物言いや 服装という
「それが あなたに なんのご迷惑を おかけしました?」
と、
言いたくなるようなことまで
いちゃもんを つけられた。
私の存在そのものを 不快に感じる人間というものがいて
それを、
大人にも関わらず、恥ずかしげもなく
相手に負の感情をぶつけることのできる人間がいた。
近世の魔女狩り時代
否、江戸時代の安政の大獄でも
現代でも、私は真っ先にスケープゴートになるのだろう。
なんてことを思って、帰ってきたのであった。
学問は、事実を知識として与えてくれる。
それを、自分に引き寄せて、
咀嚼したり、熟成させて
これから、
どう生かしていくか が
大切なことではないのかな~ と思う。
魔女修行 は大事だ
大学の優れた教授というのは
そうした知識の羅列・整理だけではなく
それによって 生み出されたものを
育む役目を 担っているのだろうと思う。
だから、
中学生と高校生の我が子には
自分の生き方をも 融合しながら
自分の考えを 作り上げ
その あなた自身を
包容力に満ちた世界が待っているのだという感覚 を
少しでも 感じてくれたらいいなあ~ と思うのである。
講座の後、
全国の高校生たちが テレビ電話で質問し
その場で 教授が 質問に答える。
そのシステムには 驚いた。
高校生たちは、本当に知りたいと思うことを質問しているのかな~ という疑問を感じつつ
「どうして、魔女に興味をもったのですか?」
という 女子高生の言葉に
「男にとって、女性というのは理解することが難しくて、魔女のことを研究すれば、少しは理解出来るかな~と思って」
という 教授の言葉に 好感が持てた。
2008年の 5月。
世田谷の 農家の 1 区画の イチゴ畑を
1カ月だけ 買い取って
私は 2日に いっぺん 次女と かごを 抱えて
苺 の収穫に 通った。
摘み取った ばかりの イチゴを
愛しい次女と 頬張り、
翌日の 高校生の 長女の お弁当の デザートにした。
そんな 普通の 生活の 中で
家族を守るはずの 夫だけが 別の世界に いた。
家庭を 守り続けた 私は、
静かに 激しく 傷つけられていた。
自分を 守るために、
学びの場を 求めた。
否。
実は、
子どもたちに 生きるための智慧を つけさせようと
必死に もがいていたのかもしれなかった。
特別では無くても 異端である自分を
未だに、
大人のように 割り切ることや 駆け引きのできない 自分を
こういう人間が、
あなたたちの母親で
「ごめんね」
と、言いたくても言えなくて…
それぞれに、
受けとめてもらえなくても
私はこういう人間(魔女?)だと伝えたくて
金曜講座に 通ったのかもしれない。
この年の夏。
世界が リーマンショックに揺れている時
私のちっぽけな命は
ちっぽけな変化を 遂げた。
魔女と、ちっぽけな人間の男は
そこで 終りを告げた。
魔女の私は、いつでも幸せ。
人が不幸といわれる現実も
自分の成長の前に現れたことだと思えるから。
私は魔女なので、人の数倍の仕事をこなしていると自負している。
世のお父さんの言う「子どもの寝顔しか見れなくて、子どもが学校に行った後に目覚める」ような生活をしている。
高校生になった次女のお弁当も作ることはできない。
彼女は自分でお弁当を作る。
それを、可哀相~という友人がいる。
じゃあ。
だったら、次女のためにお弁当を作ってくれる?
私は思う。
自分のお弁当を自分で作る高校生が
この平成の 世の中にどれだけいるのだろう?
その稀有な人間が、あなたなのよ。
すごいね。
あなたは、とってもすごい高校生かもしれない。
私は、そんな風に子育てをしている。
それは、2008年の 魔女の私と、変わらない私。
この出会いと、時間を共有してくださった方がたに
心から感謝です。
今日も一日…ありがとう。
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 憎まれママの子育て日記 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
そして 教育 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
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