こどもの日 ゴールデンウィークの思い出
仙台が震災に遭う前に、東北で2年を過ごしました。
そんなゴールデンウィークの こどもの日 に、
蔵王に向かう途中、地元のおばあちゃんたちが、
日常の疲れを癒すために、生活の中にある温泉
(きっと、生活者にとっては、ただのお風呂なのかもしれません)に、
中学生の長女と小学生の次女と、30代後半のママンの私の女三人で、
都会とは違う時間の流れを感じる地元のお風呂に入ったことがありました。
遠刈田温泉街にある2つの共同浴場の一つ 壽の湯
http://toogattaspa.jp/kotobukinoyu.html
80歳を過ぎてるというおばあちゃまと、裸のお付き合い・・・
「まあ。あんた、あの子たちのママだったんかい。
てっきり、ちょっと年の離れた 女子大生のお姉ちゃんかと思ったわ。」
30代後半のママンの私にとって、
女子大生という言葉は、かなりサバを読んだ褒め言葉でしたが、
裸を見て、そう言われた自分を、ちょっと嬉しくなったのは、本音。
(〃∇〃) てれっ☆
それから数年後の こどもの日
次女には、いっぱい辛い思いをさせてしまいました。
彼女の大好きだったパパが、
ママと一緒に寝ている次女のベッドの横に立ち、
真夜中に、ママをたたき起こして
「自分が、あんたと違う女を好きになった苦しみを与えたのは、お前(ママ)のせいだ!」
※ そりゃ、おかしな論理過ぎて、こっちが頭おかしくなったよ
 ̄\(-_-)/ ̄オテアゲッ
父親として大好きだったはずの人が、
大好きなママを悲しませるようなことをした、
その声を聴きながら、ママの傍で、布団をかぶって、
声を出さずに泣いてた・・・次女。
ママとパパは離婚したけど、いつだって、パパのところに遊びに行ってもいいよ。
と、ママに言われ、自分が、ずっと寝ていたベッドのあったおうちへ。
パパとお友達に会いたくて、一人で訪れた元のおうち。
そのドアを合鍵で開けた時、
小学校時代から、たくさんもらった賞状が、
ママが飾ってくれてた 自分のすべての誇りが無くなっていた。
おうちは、すっからかんになってた。
パパが黙って引越したお部屋を、一人で、見つけた時、
彼女は、ママンの私には言わなかったけど、
きっと、一生分くらいの涙を流したのではないかと思ってます。
「おうちに、なにもなかった。誰もいなかった。私、どうしたらいい?」
その電話の声に
「ママのとこに、帰っておいで」
だから、私は、絶対に、次女を、不幸せにしないと決めたのです。
5月5日。
こどもの日
大学生になった次女が大好きな、いちごのショートケーキを買いました。
祝日でも、大学の講義があった次女。
帰宅して、映像編集をし続けるママンのために、
ママンの大好きなまぐろのお刺身を使った、五目ずしを作ってくれました。
お昼には、次女の手作りパンが、ママンのために用意されていました。

母と子・・・

私は、彼女が14歳の時から、
母親らしいことは、したくてもできなくなりました。
父親の役割も担って、経済的に一家を支えることが、
最優先の責任になったから・・・
今、教職課程を取って、未来を育成するための勉強を始めた彼女の姿を見て、
ちゃんと、彼女は、自分の道を探し出そうとしているんじゃないのかな・・・
って感じることができます。
五月病という言葉に甘える人間を見ると、
ふざけんな!
生活ってもんは、頭で考えるのではなく、
寝る間も惜しんで、動くことだよ!
と、怒鳴りつけたくなります。
でも、そんなことに、心も時間も使いたくない。
次女のように、人として、とても美しい心をもった人たちが、
生きてることを苦しまずに済むような、世の中を作りたい!
と、心から思います。
母として、役立たずの人間だけれど、
未来に、私の存在があって良かったと、
思ってもらえるような生き方をしたいと思います。
歌うことと、ギターを弾くこと、ピアノを弾くことが大好きな
万里子ママに愛されてる sayanonです。
高校生活の始まる直前に、ママが私とおねえちゃまと
三人で住むためのお家へ引っ越しました。
高校の 3年間、東京タワーの見える教室から、
あなたの夢をみつけなさい
入学式の後で、ママと約束しました。
センター試験の前に、
「sayanonは、なにがしたいの?
大学でなにが勉強したいの?
どうしても、この大学じゃないと嫌だって思うくらいに、
学びたいことはないの?」
と聞かれ、
「行きたい大学なんてない!」
と、言って、ママを困らせてしまいました。
ママは、おねえちゃまが大学2年生の時、
大きな声で
「自分の夢がないなら、生きている意味なんてないでしょ!
あんなに踊りが好きだったんだから、一生を踊ることと、
踊りたいと思う人たちに、学問としての踊りを創り上げたらいいじゃない!」
と、怒っていました。
sayanonが
「何が勉強したいのかわからない」
と言ったとき、
ママは怒らないで、ただ、悲しそうな顔をしました。
ママは、自分の言葉を生み出して、
誰かのココロに響いて、
そのココロが明日を生きる力になってほしい。
だから、ママは、いっぱいつらいなあと思うことがあっても、
さやのんが素直に「これが好き」って道を歩いてくれたら、
それが一番うれしいんだ。
って、言います。
でも、今は、どうしたらいいのか、
sayanon は、わからないことばかりです。
それでも、ママをみていると、
sayanon が大好きな歌を歌いたくなります。
ただひとつの大切なことを選んで、
自分で自分の人生も運命も抱きしめて、
いっぱい泣いて、笑って、
とにかく一歩を歩き出そうって思います(●^o^●)
♪♬♫
もし僕があの日 少し違う未来を選んだとしたら
人は誰も憧れ傷つき ただひとつ選んだ今を
大切にしながらきっと生きている
ありのままで もう一回歩き出そう 悲しみ越えて
誰のでもない名もなき道を
明日もそう 夢にむかって悩んで笑って笑って
今ここにいる僕が僕の全て それだけは変わらない
僕は僕の 人生も運命も抱きしめていこう
ひとつひとつが輝くために
春夏秋冬も走って走って走って走って
確かなことは僕が作った道 それだけは変わらない
CM:トヨタ、小学館、NTコミュニケーションズ、パナソニック、ECCジュニア,JUSCO,パナソニック、三共 、イオン、JR東海、片岡物産 バンホーテン・ミルク、東京電力
映画:「嫌われ松子の一生」「シムソンズ」
ドラマ:「天使の歌声」(フジテレビ)
テレビ:「ほんとうにあった怖い話」ほん怖メンバー)
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 憎まれママの子育て日記 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。



