国語の力

素読の効用

2010年9月16日

 

声に出して読むことの大切さを知っていますか?

 

「読書百遍」(どくしょひゃっぺん)という言葉があります。

 

「読書百篇、意自ずから通ず(どくしょひゃっぺん、い、おのずからつうず)」(『魏志』より出典)
難しい書物も繰り返し何度も読めば、自然と意味がわかってくるということです。

 

文字を目で追うだけでは、うわっつらだけで読んだ気になり、
本当の意味を理解できないまま文字だけが通り過ぎてしまうことがあります。
けれど、声を出して読んでいると、
自分の中で意味を解釈して読むことができます。

 


 

 

昔は、教育の場として寺子屋がありました。
寺子屋は、現代の教育の最終目的化してしまった
大学へ行くための勉強とは異なり、試験で点数わけするような
勉強方法と比べたら、遙か遠回りの学習方法に見えます。
けれど、大変効果的で、生きた教育を行っていたと私には思えます。

 

「読み書きそろばん」といわれた教育の場。

 
小さな子に漢文や格言、朱子学などを音読させても
意味などわかるはずがありません。
まるで、お念仏やお経のようなものです。
しかし音読が身につき、自分が成長し、自分の力で生活し
学問に目覚めていくうちに、体に染み込んだ
言葉の真理に気づくのです。

 

 

それこそが寺子屋のねらいだったのです。
子どもの時に培われた、血肉になった言葉は
必ず、自分が必要とする時に、甦るのです。
また、言葉を(特に優れた文章を)
声に出して読むことは、自らの表現力を磨く上でも、
大変重要な活動でもあります。

 


 

 

自分の読みと、他人の読みを比べることで、
ものの言い方
感情の伝え方
客観的に自分を見ること
そして何よりも
ある時には役者
ある時にはナレーター
になれるのです。

 

欧米では吟遊詩人のように、歌を歌うように抑揚をつけ、
嬉々として読んでいるのを見かけます。
日本にも口上、詩吟、歌会始などあります。
みんな、声に出して読むことに喜びを感じているのです。

 

現在、読み聞かせの大切さも徐々に認識されています。
幼い時に、早期教育で有名幼稚園受験対策をするよりも
心わくわくするような、心に響くような絵本を
読んであげることの方が、ほんとうの教育のように思います。

 

 

銀座でも、新橋でも
お酒を飲みながら、会社や上司の愚痴を言い
政治家が悪い、社会が悪い、役人が悪い
と、うっぷん晴らしをしている人はたくさんいます。
どうせ、お酒を飲むならば
夢を語れるおとなとして
楽しいお酒を飲んだらどうでしょう。と私は思います。
楽しいお酒の飲み方を知らないヒトは
ぜひ、平成の寺子屋であり
窓際のトットちゃんのトモエ学園目指す
スーハーサロンで、夢を語り、自らを向上させる姿を学んでみませんか?

 

愚痴らず、自分を成長させ夢持てる大人が増えたなら
未来のおとなになる子どもたちも
大人たちから学ぶことができるでしょう。
そして、21世紀を思う存分に生きる力を手に入れられるはずです。

 

それは、私独りではできません。
日本人の一人一人のレベルが、
ほんの少しずつでも高く上がれば
全体のレベルが上がり、未来の力も強く大きくなるのです。

 


 

 

思い出してください。
小学校の時の自分を…

 

小学3年生の児童が、いじめを苦に首を吊って自殺する
2010年。
それが、日本の現状なのです。
自殺すれば楽になる
その姿を教えているのは、私たち大人です。
どんな環境でも、状況でも、それでも夢を抱いて生き抜くこと。

 

大きな家がしあわせでもなく、高い車がしあわせでもない。
生きていることの喜びを、働くことの喜びを
昨日の自分よりも今日の自分の成長を
自分で感じられる時間を
過ごしてみてはいかがでしょうか?

 

「幸福の王子」を、幼稚園から小学校低学年にかけて
何度も何度も読みました。
自分が、王子様になる日も
ツバメさんになる日もあります。
それでも、本の中の主題はいつも同じです。
あるテーマを語るために登場人物が言葉を話す。
一冊の本に、ぶれない作者の普遍があります。
そうして、ものの見方を学ぶことができるのです。

 

 

この作品の主題はなにか!

 
人生も生き方も、あなたにとっての揺るがない主題はなにか!
言葉が血肉となった時、普遍の自分と出逢うことができるでしょう。

 

 

この出会いと、時間を共有してくださった方がたに 心から感謝です。
今日も一日…ありがとう。

 

 

 

(PHOTO:adamova1210)

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