今日は「いのち」というテーマで、ブックトークをさせてもらいます。
ブックトークというのは本の紹介です。
プリントのリスト にある本を読んで
「いのち」を考えるひとつの手段になってくれたら嬉しいと思います。
「せいめいのれきし」は、太陽があって地球が生まれ、
海、陸、山、植物、生物ができる長い時間の中で、人間が生まれ、
春夏秋冬、1日の時間、そして今のあなたへとつながっていることが描かれています。
劇場で映画を観ているようなそんな絵本です。
長い時間の中で、今、私たちが生きているということが、わかるのではないでしょうか?
「赤ちゃんのはなし」
はじめはとても目のいい人でも、やっと見えるか見えない小さなものでした。
命のもとである、もっと小さなものでした。
遠い遠い昔から今までずっと受け継がれてきたものです。
皆もお母さんのお腹の中で、こんな風に人間になって生まれてきたんだね。
(長女の乳児の時の洋服を見せる)
これ、2歳くらいの子どもの服です。
どうですか?
小さいですよね。
10年で、みんな、こうして大きくなりました。
お母さんのお腹の中では、その変化、成長は40週間で人間が作られて生まれてきます。
それは、すごい出来事なんですよね。
実はここに、私の娘がお腹の中にいた時のエコー(超音波)の写真があります。
将来、皆さんがお父さんやお母さんになる時に思い出したり、
今の自分がここにいるのも、こうしてお父さんやお母さんのお腹の中で
育って生まれてきたんだということを、知っていてもらいたいなと思います。
皆さん、こうして生まれた大切なひとつひとつの命ですよね。
でも、生まれながらに障害を持っている人達。
また、病気になる人達もたくさんいます。
ご存知の方も多いと思いますが、生まれながらにして手と足の無い
先天性四肢切断で生まれた乙武洋匡さんの「五体不満足」です。
乙武さんのお母さんは、赤ちゃんと初対面した時に
「かわいい」と我が子に会えた喜びでいっぱいだったそうです。
そして、それから出会うお友だちや学校の先生も乙武さんを特別扱いせず
仲間として向き合ってくれました。
「ボクには誰にも負けないものがある」
「ボクには手と足がないこと」
(板書する)
特徴~他と比べて目立つ点
特長~そのものを特徴づける長所
「特徴」は単なる違いを表し、「特長」は他と違う優れた部分を表すと
乙武さんは知ったのだそうです。
「その日以来、ボクは自己紹介で「特徴ー手足が無いこと」と書いていたのを
「特長」と書くようになった。」
のだそうです。
目が見えず、耳も聞こえず、言葉の話せなかった三重苦と言われたヘレンケラーは
「障害は不便である。しかし不幸ではない。」
という言葉を残しました。
文庫版では社会人になってからの乙武さんの苦悩も書かれています。
「種まく子供たち」
佐藤さんの次男拓也君は小児がん(骨膜肉腫)で1年2ヶ月の闘病の末、
16歳でその生涯を閉じました。
母親の律子さんが精一杯に生きた息子や、また、同じように精一杯生きて
小児がんという病いと闘っている、あるいは闘っていた7人の原稿を集めた本です。
拓也君は「今はガンになった自分が好きです。だってガンは僕の家族を強く結びつけたし
内にこもる性格から外へ出す性格へと自分の性格もかわってきたからです」という言葉を
闘病中に手紙にしたためていました。
今、日本人の寿命って何歳か知っていますか?
男性77歳。女性85歳です。
皆さんは未年か申年さんの11歳、12歳ですよね。
実は私も未年です。
でも、皆さんの3倍、生きています。
女の子だったら、12、24、36、48、60、72、84と
今の7倍生きるんですよね。男の子だったら6倍ちょっと。
不思議でもなんでもないのですが、もっと幼くして死んでしまったり、
老後は楽しく生きようと頑張って働いてきた人が死んでしまったり、
寿命ばかりはあなたは何年生きますってわかるわけでもなく、
死んで初めて、何年だったって知るのです。
私の母も3年前にガンになり、54歳で亡くなりました。
その時、なんで母がガンになるのだろう。
人よりいっぱい働いて、自分より他人のために生きてきた人なのにって思いました。
そして、母自身も「なんでこんな病気になったんだろう」って言うこともありました。
朝8時に手術室に向かい、夕方5時までかかった大手術を受けた後、
母が言っていた言葉です。
「ご飯を食べられること、周りの美しい景色、そして周りの人達
すべてのものに「ありがとう」って感謝の言葉が出て来るのよ」
この拓也君も「ありがたいなぁ~」という言葉を口にすることが多くなったそうです。
私も、母との最後のクリスマスに、プレゼントとともに
「私を生んでくれて、ありがとう!」とカードをそえました。
母は「あなたを生んで本当に良かった」と、ガンになってから言ってくれていたのです。
この本には、闘病して日常生活を送れるほどに治癒した人、
今は仕事も持って頑張っている人もいます。
残念ながら、亡くなった遺族からの方からの原稿もあります。
「つらくても、苦しくても、それが生きているってことだよね。」という娘の言葉。
生きられることのしあわせを感じてほしいというお母さんの想いを
同世代の若者に感じて欲しいと書かれています。
6年1組、有沢麗音(レオン)通称レオ。
横浜に住むハンサムでバスケが上手で女の子にモテモテの男の子。
そんなレオが同級生の万引きをみつけ、博に謝ってこいと言います。
博は自分の罪をレオに押し付けます。
でも、レオを信じてくれる仲間が
「自分の目で見よう。自分の心で感じよう。信じられるもののために行動しよう。」と
子どもたちの中で、決着をつけます。
この場面、とてもワクワクしますよ。
そして、家族の都合で、横浜から田舎へ転校したレオは
凄まじいイジメを受け、生死を彷徨います。
その時、立ち上がったのは真実を求める子どもたちでした。
この中で、とっても素敵な文房具屋のおばあちゃんが出てきます。
人を責めるのでなく罪の深さを、自分で感じて自分で律することのできる叱り方が
とても素敵です。
この「ハードル」の作者、青木和雄さんの「ハッピーバースデー」です。
映画を見た人もいるかもしれませんね。
「あなたなんて生まなきゃよかった」と誕生日にママに言われた一言から
声が出なくなったあすか。
おとなも辛いことを抱えてることも描かれています。
みんなのお父さんお母さんにも読んでもらってほしいです。
「わたしのいもうと」
いじめた人はほんの軽いいたずらでも、深く傷つき死んでしまったわたしの妹ー
加害者は忘れてしまっても、深い傷を負う人もいることを忘れないでーという本です
「しらんぷり」
いじめられているドンちゃんを救いたくても、自分に降りかかるのを恐れていたボク。
卒業式にふりしぼった勇気を、この本で見てください。
すてきなおばさんのお話。
「マローンおばさん」です。
森の中でひとり貧しく暮らしていました。
月曜日には弱り果てたスズメ。
火曜日にはやせたネコ。
水曜日にはやつれた母さんギツネの子ギツネ。
木曜日にはロバ。
金曜日にはクマ。
それらすべてに「あんたの居場所くらいここにあるよ」と言い続け
天国へと旅立ったマローンおばさん。
みなさんは、どうせ死ぬんだったら、生まれてきた意味があるのかな?と
考えたことはありませんか?
「葉っぱのフレディ」は春に生まれ、冬になると散っていく葉っぱです。
それに、一体なんの意味があるのだろう?と悩みます。
「ぼく、死ぬのがこわいよ」
「死ぬというのも、かわることの一つなのだよ」
そしてフレディは雪の日に散りました。
その時フレディは…
命はリレーされているのですね。
プリントにある、相田みつをさんの詩「自分の番、いのちのバトン」です。
そして、皆さんが国語の授業でお勉強した工藤直子さんの「あいたくて」です。
最後に、スーザンバーレイの「わすれられないおくりもの」を読み聞かせします。
この本は、先ほど話したガンで亡くなった私の母と、それと前後して弟を亡くして
とっても辛くて悲しくて、生きていることがこんなに苦しいなんて…と
思っていた私に、お友だちが送ってくれた本です。
この絵本を読んで、私の心の中、私の生き方の中にも
亡くなった人がずーっといてくれるんだと気づかされ、
辛い時に、こういう絵本を、私のために選び送ってくれる友だちがいてくれると
気づかせてくれた一冊です。
みなさんも、多くの人に出会い、何かを渡すために生まれてきました。
生きていることは、たくさんの人やものとの出会いの積み重ねです。
いろいろな人、ものに出会い、自分の命、他人の命
自分の心、他人の心を大切に生きていってくださいね。
この時、副校長先生もみえられました。
きっと、ひとりの親が児童にどんな話をされるのだろうと、
監視の意味もあったのでしょう(笑)
この翌年。
長女のクラスでの読み聞かせやブックトークが可能になったのは、
長女の担任の先生が、この年に随分と思い切った決断をしてくださったのだと
今になって、頭が下がります。
ブックトークというのは、話し手の者に信頼がなければ難しいものです。
読み聞かせというのは、本の本来持っている力で、
読み手が多少たどたどしくても、子どもたちの聞く力を引き出してくれます。
これらの話を初対面の子どもにすることは、きっと、できなかったと思います。
長女と共に、小学校6年を過ごしてきた仲間だから…
そして、そのお友だちに心から感謝していた気持ちがあったからこそ
出来たのだと思います。
私も、
子どもたちを信頼していられたからです。
次女の学年でもまた、4年生に1時間授業をいただいてブックトークを行うのは
冒険でした。
それでも、やらせていただこうと思ったのは、やはり、彼らが
次女を通じて、たくさんの優しい顔と、素顔を見せてくれていたからこそでした。
親御さんや先生の知らない彼らのいいところを
いっぱい見せてもらっていた、その繋がりがあったからこそ。
信頼に裏打ちされたブックトークの時間を
本当に本当にありがとうございました。
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お時間ございます方は、
COCORO にある FOR WHOM THE BELL TOLLS – 誰がために鐘は鳴る の
拙文を お読みいただけましたら幸いです。
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