私が読んだのは、緑帯のいわゆる岩波文庫。
今、こんなカバーになっていることに年月を感じた。
岩波文庫は帯の色で次のように分類されている。
* 青帯
o 1〜199 – 日本思想
o 201〜299 – 東洋思想
o 301〜399 – 仏教
o 401〜499 – 歴史・地理
o 501〜599 – 音楽・美術
o 601〜699 – 哲学
o 701〜799 – 教育
o 801〜899 – 宗教
o 901〜999 – 自然科学
* 黄帯 – 日本の古典文学。江戸時代まで
* 緑帯 – 日本の近現代文学
* 白帯
o 1〜99 – 法律・政治
o 101〜199 – 経済
o 201〜299 – 社会
* 赤帯 – 外国文学
o 1〜99 – 東洋文学
o 101〜199 – ギリシア・ラテン文学
o 201〜299 – イギリス文学
o 301〜399 – アメリカ文学
o 401〜499 – ドイツ文学
o 501〜599 – フランス文学
o 601〜699 – ロシア文学
o 701〜799 – 南北ヨーロッパ文学 その他
今さら、あらすじを必要とはしないであろう。
被差別部落出身の小学校教師がその出生に苦しみ
ついに告白するまでを描く。
藤村が小説に転向した最初の作品で、
日本自然主義文学の先陣を切った。
夏目漱石は、『破戒』を
「明治の小説としては後世に伝ふべき名篇也」
(森田草平宛て書簡)と評価した。
さて。
なぜ? 今? 「破戒」?
ずっとずっと読み返すべき作品だと思っていた。
私が教育現場で教えてもらった被差別部落とは
江戸時代の「士農工商」の身分の下に、
身分無き身分として作られた存在で
明治になって、身分制度の喪失とともに
被差別部落も無くなったというものだった。
東京という土地で育った私は、そんな身分制度など、
昔々のおとぎ話のような思いでいた。
高校の修学旅行で訪れた長崎で、原爆の被害に遭い
焼けた背中を見せてくれた被爆者の方が語られた一夜こそ
私にとっては、過去の日本の歴史が
今も続いているのだと感じた瞬間であった。
江戸時代に作られ〜終わった身分制度など、
現在を生きる私には無関係で
同じように世間の人々にとっても
無関係な過去の歴史の一部でしかないと思っていた。
初めて「破戒」を読んだ時、
松本清張の「砂の器」のハンセン氏病差別と同じく
自分の出自にどうしてそんなにも
こだわらなければならないのだろうか?
と、現代の医学も科学も発達している今となっては
過去のできごとを
ドラマティックに思い起こすものでしかなく
こういう時代もあったのだ
と、確認するだけの作品であった。
出自よりも、自分自身こそが自分のすべてであり、
自分以外のなにものかで
自分を判断されることはあり得ないことだと思っていた。
結婚し、瀬戸内海を望む山陽の土地で暮らした。
元夫の通う支社には、高卒で就職した
青年と呼ぶには若く、少年とも呼べない男の子たちが数人いて、
私たちの新居に訪ねて来てくれた。
19歳、20歳になったばかりの彼らは、
可愛らしく心優しく、休日には
近くに身寄りの無い私たちと
行動を共にすることを喜んでいてくれた。
彼らの中で男性にしては、線の細い、
とても容姿の整った男の子がいた。
ある日。
いつも密やかに笑顔を見せる彼が、
とても真剣な顔をして我が家に来た。
元夫と彼のためにお茶を入れ、
私は隣りの部屋にいた。
赤い目をして、彼は帰って行った。
「あいつ。結婚を反対されているんだ。」
「20歳で若いから?」
「いいや。彼女の親があいつのことを調べたそうだ。
あいつは部落出身者だったので、
結婚をさせられないって言われているんだ」
「そんなの!おかしいじゃないの!
今はそんな差別はないはずでしょ!」
「田舎っていうのは、そういうもんなんだよ!」
「じゃあ。そういうもんで、彼の気持ちが収まるの?
彼がここに来たのは、
あなたに助けてもらいたいからじゃないの?」
「おれになにができる?どうしようもないだろう…」
「そんなの!おかしいよ!絶対におかしいよ!」
そう言って、私は泣き続けた。
泣いたって何も解決しないことはわかっている。
でも、私には彼のために泣くことしかできなかった。
元夫も何もできない自分に、
腑甲斐なさを感じていたのだろう。
しばらく、私たちは口を聞かなかった。
彼は、しばらくして辞表を出して会社を去った。
まるで、藤村の「破戒」だ
平成になって、まだ、そんなことがまかり通る世の中なのだ。
私の叔母は「みつくち」と呼ばれる
口唇口蓋裂という障害を持って生まれた。
祖母は叔母が21歳の時に亡くなったので、
自分の力で手術費用を捻出し数回の手術を受けた。
母は時に叔母の母親代わりであった。
叔母は結婚式を挙げずに結婚をした。
叔母は口唇口蓋裂が無ければ、
大変美しい女性だと誰もが思うような人だった。
私は、叔母が口唇口蓋裂であろうと、
叔母を大好きだったし、
叔母の言葉を聞き取ることは難しかったけれど、
私は誰よりも叔母の言葉を聞き取ることが上手だった。
叔母は女でも自分の手で生きていけるようにと、
被服の専門学校を出た。
季節毎に、私の思い描く
スカートや洋服をデザインして叔母に見せると
そのデザイン画の通りの布を探して、
見事に作り上げてくれた。
私は小さな頃から、とても細く、
既製服では身体に合わなかったので
母は叔母にたっぷりとお小遣いを渡しては、
私だけの服を作ってくれていた。
私が結婚する時。
一番年嵩の伯母が
「○○(叔母のこと)は結婚式に呼ぶの?」
と聞いた。
「うん!私のウェディングドレス姿を楽しみにしていてくれてるよ」
と答えると
「向こうのお義母さん、大丈夫?」
と聞く。
「え?なんで? ○○ちゃんのどこが恥ずかしいの?
○○ちゃんは素敵な私の自慢の叔母だよ。大丈夫だって」
そんな会話を伯母とした。
結婚式を終え、新婚旅行から帰った私たちは、
義母の元に挨拶に出かけた。
「あの。一番若い叔母さんはお母さんの妹さん?」
と聞かれ
「はい!母と12歳違うのですが、
私とは8歳違いで、姉妹みたいなんです。
すっごい器用で、私の服は
叔母が作ってくれたものもたくさんあるんです」
「そ…そう〜」
義母はそれきり何も言わなかった。
長女が生まれて
「万里子さんの叔母さんみたいな子が生まれなくてよかった」
と言われた。
そういうものか…
「田舎っていうのは、そういうもんなんだよ!」
そう言った主人の言葉を思い出した。
弟が亡くなり、母が亡くなった時。
葬式をするその時。
義母は一人で東京まで来れないと言った。
生まれてから此の方還暦を迎えても一人で電車に乗れない。
新幹線に乗るためには、座席まで連れて行ってもらい、
到着駅で座席まで迎えに行かねばならない。
時間的に主人が迎えに行くこともできない。
なにより、母の病状は知っていて、
死の時は予想していても
弟の死を知らせていない義母に
真相を伝えることはできないと主人が言った。
公には、弟は事故で亡くなったことになっている。
が、人の口には戸は立てられない。
義母の耳に入ったら、
私と子どもたちは一生肩身の狭い思いで生きていかねばならなくなる
と主人が言った。
「田舎っていうのは、そういうもんなんだよ!」
『破戒』の世界は今でもある
穢れとされてきたものには、大きくいって三種類ある
死の穢れ
産や月経にまつわる血の穢れ
そして、皮革や肉食の穢れである
「そんなの!おかしいよ!絶対におかしいよ!」
そう声高に泣き続けた私は、今、たった独りで
世の中の「そういうもの」に立ち向かっている。
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