過去の自分

心の澱

2009年2月6日

心の澱 を浄化したい・・・

こんなことばかり 続いたら

母が 大切に育ててくれた

私を 壊してしまう・・・


 

本日から 1泊2日で 会社の旅行に 行ってきます。

洗濯では ご迷惑をおかけして 申し訳ありませんでした。

 

お気をつけて…

お子様に お土産を買ってあげたら喜ぶと思います。


 

会社の旅行なのか、どうなのかさえ 分からない。

心の澱

洗濯乾燥機を 買った。
それは、彼の二人のお姉さんが 持ってるから。

 

子どもを 欲しいと言ったのも、
二人のお姉さんが 同じ年に 子どもを生んで・・・
翌年、私たちも 子どもを生んだ。

結婚する時。
結婚式の費用 相手の親戚・友人関係の宿泊代(新宿京王プラザホテルにて挙式) 総額 700万円
嫁入り道具の車 トヨタ マークⅡ 300万円
家具・電化製品 総額 500万円
を、私の両親が負担した。

彼の父親は、彼が大学に入った年に舌癌で亡くなった。
片親であったことをネタに
「うちは貧乏だから」
という言葉を鵜呑みにしていた。

家は、亡くなった父の親が建てたもの。
祖父母も父も死亡し、ローンもなく、
嫁であった当時50歳の義母が、なんの苦労もせず、濡れてに粟で手に入れた。
祖母が先に死亡し、祖父の遺産も、父(義母の夫)の遺産に自衛隊勤務の遺族年金も手に入れた。
さらに、隣家の旅館(日雇い労働者の宿泊施設)の 2階が違法建築で
義母の家の庭の空中上部に、建造物『張り出し』による上空侵犯に当たるため
数十年に渡り、上空部敷地の家賃を月額5万円受け取っていた。
(しかも現金で受け取り(隣家の旅館も違法建築ゆえ、表立った家賃にできなかったからであろう)所得を届けず、脱税を数十年続けてきた)

彼の上の姉も、その夫も自衛隊勤務の公務員である。

そんなことは、結婚して10年近く経ってから知った。

当時、両親のそろった我が家は、相手の負担にならぬように、精いっぱい娘の結婚を手助けした。

そんな中で、食卓のテーブルセットと食器棚は、夫側がそろえるのが広島のしきたりだと、
勝手に、次の姉と、その夫が勤める呉そごう(現在閉店)で、
やたらと重い無垢の木の円形4人掛けテーブルと、
木で回転するやたらとかさばる椅子を選んで(それも次姉の新婚家庭と同じもの)送ってきた。

https://a.r10.to/hUSZZc

転勤族で狭いアパートだから、小さな二人用のダイニングセットでいいと言ったのに、
「みっちゃん(次姉)とこと一緒だから いいじゃん」 ← 今、思うと何が「いいじゃん」なのか意味不明
と、彼と義母で決めてしまった。

いつでも 一緒。
お姉さんたちと 一緒が好きな男だった。

心の澱 は この時から 少しずつ沈殿していたのかもしれない。

 

乾燥機が 壊れたからと、乾燥機を買いに行ったのだけど
彼は 洗濯乾燥機の方がいいと、4時間歩き回った。

 

それまで使っていた洗濯機は、亡くなった母が 買ってくれたもの。
下の子が生まれ、洗濯ものが増えるからと 出産祝いとして買ってもらった。

 

洗濯機はまだ使えるから、乾燥機だけでいい〜 と言ったのだけど・・・
お姉さんが持ってる 洗濯乾燥機が 欲しかったのだろう。

 

彼はすでに、斜型の狙っていた商品があったようで
(ドラム型というらしい)
結局、それを 購入した。

 

洗濯乾燥機は、水の量が極端に少なくて済むことをウリにしているが
汚れ落ちも 極端に悪い。

最近の 香り付き柔軟剤の 飛躍的な伸びは
この洗濯乾燥機の 水量の節約による 衣類に残る
かび臭さのせいではないかと 思う。

 

この洗濯乾燥機にしてから
衣類に残る
雑巾を絞ったままにしておいたような
かび臭さが 鼻につく。

 

私が 彼に「この家は俺の会社の社宅だ!お前は出ていけ!」と言われ
留守にしていた時、
彼が洗濯をしていた。

漂白剤も香り付き柔軟剤も入れず
水量もそのまま。

 

私は、水量を高くして、
少しでも衣類の汚れを落としたいと思う。

だから、水道代の節約にはつながらないのだけど
家族が身につける衣類は 清潔であってもらいたいと願うのだ。

 

留守の間、
彼が洗濯した衣類は
結局、もう一度、洗濯をしなおさねばならない。

彼の分は、彼の責任の元で良いのだが
子どもたちの分は、カビ臭いままで着させてしまうのは忍びない。

「洗濯は自分たちでしなさい。パパの分は放っておいていい」

と、子どもたちに言っておいたが、

「水道代がかかるだろう!」

と、

「金がもったいない。一緒に洗え!」

と、子どもたちを脅したらしい。

 

カビ臭い匂いで干された衣類を

「臭くて、ダメだわ」

と、洗濯しなおした。

それを、嫌味に 感じたのだろう。

 

帰宅して、

作ってあった食事も 見る事無しに

部屋に閉じこもった 彼は

これ見よがしに、

妻のせいで、

自由になれない自分を 演出する。

 

そして、

こうした嫌悪を 感じさせる言葉を 付け足してくれる。

 

 

こんなことを感じる 自分の 心の澱 が 苦しくて 仕方がない。

私の 存在は、

彼を 苦しめているのでしょう。

 

けれど、その苦しみよりも、

私は 苦しさを感じて 日々を 過ごさねばならないのです。

私は、

どこに 行けばいいのでしょう。

 

 


 

 

お時間ございます方は、

過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶

拙文を お読みいただけましたら 幸いです。

 

特に 過去の自分 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。

 


亡き弟が とても大切に思ってくれた 長女 が

亡き母と 弟が 新規事業を起こすために

奇遇にも 長女の生誕の年に 会社を創業しました。

それが ピュア株式会社 です。

手前味噌ではございますが とても優しく そして 精神の美しい PURE な 女性に育ってくれました。

亡き母 亡き弟 の 愛情を一身に受け 素直に成長した結果と

二人の愛情の深さに 心から感謝しています。

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