電車の中で

出来ること

2009年10月1日

最近、とても、忙しいです。

今の事務所から、お引越するので なんだか、慌ただしく毎日を過ごしています。

身体が疲れてるな~って思うけれど
疲れを感じるほど、お仕事をしていられる人間が
どれだけいるのだろう~と思うと
それもまた、幸せなことだよな~と思ったりしています。

 

私のパソコンはMacintoshで、お仕事する時のパソコンはWindowsです。
MacintoshでWindowsのOfficeが使えるソフトを買ったのですが
Wordで文字を打ち込むと、パパパーン~!と Wordがエラーになってしまうのです。

 

おかげで、会社からメールに文書を打ち込んで
家で、メールを開いて、そこに打ち込み また、会社にメールを送るという
なんだか、大変、カッコ悪いやり方をしてます。

 

というか、おうちでは、お仕事できないタイプなので ちっとも進まない(笑)
誰か、私のMacintoshの何が悪いのか教えて~★

 


 

さて、そういうわけで(どういうわけだか…)
お疲れモードの私は、帰りの電車で眠くなるわけです。
でも、寝過ごして、自分の最寄り駅を通り過ぎた経験ありの私は 真剣に寝てはいかん!と、自分に言い聞かせるわけです。

 

で、時折、ハッとして目を開けると、私の親世代の方が立っていたりして「よろしかったら、どうぞ~」と、席を譲るわけです。

 

「いいんですよ~」と、言われて、
でも、やっぱり、お疲れのよう…と思い
「次に降りますから~」 と、席を譲ると座られたりされます。

 

実際、次の駅で降りる場合はいいのですが、違った場合、途中下車したり…(笑)
でも、おかげで、今夜は、自分の最寄り駅より一個手前の駅で降りて
ケンタッキーの新チキンを食べてきました。

 

待っている人のいない独り身は こういう時、待っている人を気にせずに好き勝手できるので、それもまた良し!と思おう。

 

先日は、朝の通勤電車で座れたので ボォーっとして新宿に着いたところ
目の前の女性の鞄に「おなかに赤ちゃんがいます」のバッジ!

 

ついね。
「ごめんなさい。バッジに気づかなくて・・・ おなかに赤ちゃんいらしたんですね」と、謝ってしまいました。
友だちに話したら「それは、別に謝ることではないでしょう」と言われたのだけれど 目の前に、労るべき人がいたのに その人の存在に気づくことのできなかった自分が とても申し訳なく思うのです。

 

寝たフリをするサラリーマン
音楽を聞いて、漫画を読む高校生
なんだかね 「俺だって疲れてるんだ~」って言いたいのだよねって感じる。

 

でも、皆、疲れているんだよね。

 

一日、一生懸命お仕事したら、疲れて当然。
でも、ひとつ言えることは、疲れているのは自分だけではないってこと。
自分がそうなら、他人もそうかな…って思いを馳せることができないのかな…って思う。
だから、私は「どうぞ」って席を譲る。
でも、子どもたちと一緒の時は 「あのおじいちゃまに、よろしかったら、どうぞって言ってらっしゃい」って、中学生に言います。

 


 

中学生は、おじいちゃまやおばあちゃまに声をかける。
「ありがとう」と、こちらの好意を受け取ってくださる方もいる。
「いいんですよ」と、遠慮される方もいる。
好意を受け取ってくださったら、中学生も高校生も私も嬉しい。
遠慮されて「ありがとうね」と言われたら「この子は、若者なので~(笑)」と応える。

 

そして、こっそり中学生に言う。
「お席をどうぞ~って言って、お断りされても恥ずかしいことなんてないんだよ。
だって、若者がお年寄りやお腹の大きい女性や、お身体の不自由な方に
席を譲らない方が、恥ずかしいと思わない?」

 

中学生は、うん!と頷く。
席を譲って断られるのも、席を譲らないのも、どちらも、恥ずかしく思うのだったら、譲って断られる恥ずかしさの方を、私は選びたいと思う。

 

そうして、子どもたちと一緒に過ごす時間の中では、そんな、ママの思いや、周りの人の思いを 感じ取るような一瞬をみつけてもらいたいな~と思う。

 


 

誰かに、貴方もそうしなさいと押し付けることはしたくない。
本当に、徹夜を何日もして立っていられないのかもしれないし…

 

でも、私は、「どうぞ」と言って 一駅前で降りてしまうような生き方しかできない。
そんなママを、どう受け止めるかは子どもたち自身の受け止め方で
でも、あなたたちのママは、こんな人間なんだよ…ってところを見せてやることでしか、ママを知ってもらうことはできない。

 

電車の中にいる、小学生、中学生、高校生たちに、誰かに席を譲ることって、カッコいいことかも…と思えるような青年たちになってもらいたい。
譲れるものを譲らないで 自分が占有することのみっともなさに ちゃんと、気づける人間になってほしいと願う。

 

きっと、とても楽な生き方~というのは気がつかないこと…
気がついても、しらんふりをすること…

 

でも、私にとって、気がつかないことの方が苦しい。

 

気がついて、しらんふりをする自分なんて、生きている価値がないと思う。
私にとっての価値観は、そういうこと…
眠たくて… やっぱり、おうちで、お仕事はできません。

 


お時間ございます方は、

今COCO にある ESSAYS IN IDLENESS – 徒然なるままに

電車の中で の拙文をお読みいただけましたら幸いです。

 

 

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