電車の中で

遠回りの電車

2009年6月1日

 

土曜日。
子どもたちがお世話になった小学校の先生が、 教職を離れて、ご実家のお仕事を継がれるということで激励会に横浜へ向かった。

 

東横線で渋谷から横浜に向かおう~ 途中、懐かしい母校であり 高校生の通う学校の駅を経由する。
懐かしい時間を、もう一度、振り返りたいものだわ~なんて思いつつ 急行に乗ったので、通り過ぎてしまったのだけれど・・・
そういうわけで、東横線の電車に乗り込んだところ、

 

座席に荷物が置いてある!

えええ~? なに、これ?

 

おばあさまと、小学生の女の子の座る席の間に、バッグだの、傘だの置いて 二人で、7席くらいをキープ。

 

あれれ~!嘘でしょ~

 

ふいに、携帯で話していたおばあさま。
「降りるわよ。間に合わないらしいわ」
と、孫らしき、小学生のお嬢ちゃんとともに、出発前の電車を降りた。

 

私は、おもわず苦笑しながら 「まさか、こんなところで席取りしてるなんて・・・」 と、言ってしまった。

 

周囲も、頷く方や、「まったくねえ」と呆れていらした方もいた。

 


 

そりゃあね。
確かに、電車で移動する時は、座りたいわね。
でもね。
小学生の孫に、席取りさせるようなおばあさまは、勘弁してもらいたいな。

 

子どもは、パパとママも大好きだけど、おばあちゃんのことも大好き。

 

だからね。
人として、恥ずかしい真似はしてもらいたくないし、 それを、孫にやらせるのは、やめてもらいたいなって思った。

 


 

以前。
万引き一家が、一番、年少の子どもに万引きをさせていた事件があった。
子どもだったら、大きなお咎めがないから・・・と。
子どもは、おじいちゃん、おばあちゃん、パパ、ママの言うことを聞いて 万引きをくり返していた。

 

それが、その子にとっての、普通のことだったから。

 

大人は、未来の道しるべなんだよ。
だからね。
子どもが、自分で自分の道を選ぶまでは 周りの大人は、自分たちは、未来の道しるべなんだってことを 忘れないでいてほしいな…と思った。

 


 

学芸大学で「都立大学には止まりません」というアナウンスを聞いて ちょこっと苦笑していたら、先の駅で人身事故とのアナウンス。

 

そのまま、電車は止まってしまい、結局、次の駅で乗客全員が降ろされた。
そこから、市営地下鉄でセンター北まで行き、さらに別の市営地下鉄に乗り換えて 横浜についた。
1時間で行けるはずが、2時間半を費やしての長旅になった。

 

生まれて初めて、「振替切符」なるものを手にした。
土曜日は、ママ風ファッションで、出かけた。
いろいろな思いを抱えながら、お友達ママと会った。

 


 

先生の選んだ道を 「もったいないから、絶対にまた、先生に戻ってください」と力説するお母様。
本当に、とても素晴らしい先生だから、教職を離れられることは、残念だな…とも思う。

 

でもね。
今、先生が選ばれた道に、笑顔でエールを贈ってあげることが 自分の子どもたちがお世話になった先生への、最高の贈り物なのではないのかな…

 

お母様たちの口から出る言葉は もったいない~もったいない~ばかりだったけれど
先生は、お母様のお仕事のお手伝いをして そこでも、人と関わることができるのではないかな~と おっしゃっていた。

 

私は、先生とお話しながら
「きっと、先生のお母様が、頑張って生きてらした姿を
先生は尊敬されてらして、お母様のお手伝いをしたいと思われたのでしょうね」
と、申し上げると
「あ~、そうかもしれません。それに、子どもと接してきたように
母の話を聞くと、人と関わる仕事だって痛感したんですよね」
と、おっしゃっていらした。

 

「そうですよね。その方の人生設計のお手伝いをするお仕事ですものね」

 

その先に、再び、新しい選択があるのかもしれないけれど
でも、今の先生の新しい門出を、応援したいな…と思った。

 


 

お母様のお一人が
「私たちって、20歳から、変わっていないのよね~。
20歳から、成長していないって感じで、精神年齢が若くて~」
と、おっしゃっていた。

 

ついね。 黙っていればいいのに、言ってしまった。

 

「だめよ~。根っこは20歳の頃の思いを抱えていても
ちゃんと、成長しなくちゃ、子どもたちに恥ずかしいじゃない」

 

胸を張ってね。
未来の道しるべのひとつになれるように、頑張らないといけないな・・・って思った。

 

遠回りしてもね。
目的地に着く方法は、ちゃんとあるんだよ・・・って。

 


 

「人身事故の影響は3万人だったって。
万里子さん。生きていようね」

と、翌日、お友達ママからメールをもらった。

 

ありがと。
ちゃんと、生きていようね。

 

こんな私でも、未来の道しるべとして、ちょこっとでも役立ちたいな…と思うから…

 

それからね。
「私たち」って言うのは、もう、よそう

 

「私」は「私」として、きちんとお話するのが、大人だよね。

 

 

20歳から変わっていないお母様の「私たち」という言葉に
実は、ちょこっと違和感を感じた私。

 


 

四十路を過ぎた私は、20歳の自分とは、やっぱり違う。
自分の奥底にある変えられない部分は、もちろんあるけれど
そこに止まって生きていられるほど、暇な人生を歩んできたわけではないもの…

 

20歳のまま~と言える人は、幸せで不幸せなのかもしれない。

 

でも、それが一人称だったら、ふ~ん…で終わったのだけれど、
「私たち」だったことが、心の狭い私に違和感を齎した。

 

20歳のままでは、いられない~と、言う私は、
同じく、幸せで不幸せなのかもしれないけれど
変わりゆく自分は、今を生きているということ
今、まさに生きているということだと、感じているから…

 

 

たくさんの、ありがとう~を届けたい…
ありがとう。
感謝しています。

 


お時間ございます方は、

今COCO にある ESSAYS IN IDLENESS – 徒然なるままに

電車の中で の拙文をお読みいただけましたら幸いです。

 

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