2006年の研究授業を終えて 感想を 述べたい。
20回の研究授業
2006年 6月から 11月までに 20回もの 中学校の授業を 見させていただいた。
長女が 中学に入学した途端、
中学の 敷居は 高くなった。
学校に 足を運ぶ 機会は 格段に減り
また、
顔見知りの 保護者の方も、
先生も いらっしゃらない。
身体だけは、一人前に成長した 我が子を見るにつけ
幼稚園児の 母のように、
小学1年生の 母のように
学校生活を 心配したり、
不安に感じる要素も 薄らぐ。
なにより、
母親の方も
仕事を開始する人間が増え 忙しくなる。
その 忙しさは、
時間的・物理的忙しさ というよりは
精神的な 余裕の無さを
生み出すのであろう。
だから、
子どもに対しての 心配や 不安は あれど
顔も知らない 他の保護者と 顔を合わせて 気を使うよりも
その時間、
仕事による報酬を 得る方が
よほど 経済も 効率も 良いと 感じるのであろう。
精神的余裕の無さは、
実は 大切なものからの 逃避なのかもしれない
と 自省を込めて 感じたりもする。
そんな中で、
長女は 母親から 見放されたという感覚を
どこかで、感じていたのかもしれない。
中学2年生という、
自己の外も 内も 変化の激しい年齢となった時
彼女なりの 訴えを、
様々な形で 発信していたのであろう。
その ひとつひとつに、
母親である私は 右往左往し
自分の子育てを 振り返り、
元々、
人格を育てる資格なんてないと
そんな大それた人間ではないと
自覚していただけに
子を生み 育てる選択は、
誤りであったのではないか とまで 考えた。
彼女をもっと、知ろう。
我が子であっても、
別人格をもつ、
一個の人間として
わかり合いたい〜
と思った。
そんな時。
転校 というきっかけと
中学校で 行なわれる 研究授業の機会を
我が子を知る チャンスにしたいと思った。
参観者の あまりにも少ない人数に
自分の子どものクラスや 学年だけを
観ることにも 気が引けて
結局、
ほとんどの 先生がたの授業を
観せていただくことになった。
中学校の勉強は 四半世紀ぶりで
授業の工夫も、
意識も、
自分達の 中学時代とは
大違いで
先生がたが、
本当に 熱心に 教育に取り組んでいる姿が
その授業や、
授業後の検討会で 伝わってきた。
学校の持つ 空気を 思い出し
自分の子ども時代が 思い起こされた。
子どもを 生み 育てる 中で
私は もう一度 子ども時代を 生き直しているのだと
乳幼児時代の 我が子の 成長とともに
喜びを 感じていた。
それが、
子どもが 中学生になって
私の 子ども心を、
どこかに 置き去りにしていたのかもしれないと
自分を 省みる機会にもなった。
そして、
子どもたちが
親から(特に母親から)見捨てられ観を
もっていることに
深い苦しみを 感じた。
母親は、
世の中 ではない 「あるもの」 を
子どもに 伝えていたはずなのに…
母親が、
世の中に 出ることで
失ってしまったものが、
たくさん あるように 感じた。
私に なにが できるだろう?
その気持ちを、
常に 忘れないようにしたい と思った。
子どもの心を 忘れないように~
子どもの心を 見失わないように~
お時間ございます方は、こちらも ご高覧ください。
↓
2006年の研究授業を終えて まで 19回 + まとめ を 一度に ご覧いただけます。
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