国語の力

『親ばなれ 子ばなれ 寺山修二と家族プログラム』

2007年1月7日

『親ばなれ 子ばなれ 寺山修二と家族プログラム』

栗坪良樹 著

著者は 40年もの 教員生活を過ごされ

現在進行形の大学教授である。

実は、私も 20年ほど前 著者の授業を受けていた 学生の一人である

従って これから 栗坪良樹氏を 先生 と 呼ばせていただきながら

稚拙な文を 綴らせていただくことにする。


20年前

女子教育専門の短大で

栗坪先生と出会った。

当時、

学ぶということの 本来の意味も

分かっていなかった 私達を

「21世紀の母たち」

と呼び

「賢い母となれ」

と、

たくさんの学びを 与えて下さった

先生の 言葉が

現在、小学6年生、中学3年生と

二人の 思春期の娘を 抱えて

子育てをする 私の心に

今も なお、

いつも 響いている。

 


 

『親ばなれ 子ばなれ 寺山修二と家族プログラム』 には

シュウジ君 という

中学2年生の 少年が 登場する。

母子家庭の シュウジ君は

「今、私たちは 何処に いるのでしょう、

 そして これから 何処へいくのでしょう」

という問いかけを 繰り返す。

 

シュウジ君は 寺山修司という作家と出会う。

寺山修司は もちろん すでに 他界して

この世にはいない。

 

彼の著した

『家出のすすめ』
『書を捨てよ、町へ出よう』
『誰が故郷を想はざる』

との出会いが
シュウジ君を 「ことばの梯子」を 一段一段上らせ

「今、何処にいるのでしょう
そして これから どこへ いくのでしょう」

という
シュウジ君の 命題を考える 手助けになっていく。

 


シュウジ君は寺山修司に学びながら

母親の「『教育』という大義名分」に気づき

一方、血を超えた親子関係の絆として

寺山修司を「幻の祖父」だと発見した。

 

栗坪先生は麻布学園、青山学院女子短期大学で
生徒、学生に「岩波文庫100冊」を読み
感想文を書くことを課していた。

 

その一方で ご自身は

「1年間で 300本の映画を観ますよ〜」

と豪語し

それを 現実にする バイタリティを 持っていらした。

 

教授、教員として、

講義の準備、

学生のレポートを読み

ご自身は 文学研究を怠らず、

しかも 映画を観る。

(銀座の映画館へ 日参されていたのである)

 

24時間という

人間に 平等に 与えられた 時間の中

お子さんもいる

家庭人でもあり

文学者でもあり

研究者でもあり

教育者でもある。

 

私が この本から 受けたことは

栗坪先生の 姿は

やはり

教育者としての姿 であるということ。

寺山修司を 〜 シュウジ君を 〜 通して

「ことば」にこだわる

国語教師としての 姿である

 


「ことばの梯子」

を 上がっていく 訓練は

「読む」ことと

「書く」こと

から始まり

それに 連動して

「話す」こと

「聞く」ことの

訓練が 続いていく。

そして、

今は

「見る」ことの

訓練も 重要だ。

と。

 

すべてが、

ことばの 訓練につながり

ことばは

一人の 自分を 訓練している。

と 示唆している。

 


現在、

思春期の娘を 抱え

「教育の大義名分」 のもと

子どもの気持ちを 見失いそうな

自分が 時に 顔を見せる。

『親ばなれ 子ばなれ 寺山修二と家族プログラム』
 

娘の通う 公立中学、小学校は

共に 荒れを 見せ

学級崩壊、

校内暴力が 吹き荒れている。

 

その中で、

親として 何が できるのか

 

親は 子どもの 何を 見ていくべきか

 

ルソーの 『エミール』のように

少年たちを 見る目を 失ってはいけない。

 

教育とは 算数のように

すぐに 答えの 出るものではなく

国語と 同じように じっくりと 醸成された時期に

(あるいは 親の死後に)

ようやく 答えの出るものであるのかもしれないと

想うようになった。

 


シュウジ君が 寺山修司を

「幻の祖父」と 想うように

私も又、

この著書を通じ 改めて

 

栗坪先生を

「幻の父」だと 再確認した。

 

たくさんの エミール少年

シュウジ君を 育てる
21世紀の母たちに

読んで欲しい 一冊である。

 

2007年1月 に 書いたものである。

 

ここは、誰も 気づかれない 鍾乳洞の 奥の

隠れ家 みたいなものなので

大事なものを 置いておこうと 思っている。

 

今年度で 栗坪先生も 教壇から 離れられるという。

根っからの教育者である 栗坪先生は

教え子を 求めて、

まだまだ 彷徨われるのではないだろうか。

 

ストレイシ―プの 私は

再び 教え子に 戻りたいと

子どものようなことを ねだってしまう。

 

 

 


 

お時間ございます方は、こちらも ご高覧ください。


国語の力

主にこれまでに読んだ本の感想等を記載しております。

 

 

 

 

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