教育

感情を失う時

2007年12月20日

感情を失う時 ・・・ お話を聞いた時、そんな言葉が浮かんだ。

 

長女が宮城県の県立高校に通っている時、

全人教育と呼べるような非常に良い教育の取り組みをしてくださっていた。

高校生たちの未来への広がりを感じさせる様々な講座を開講し、

その門戸を保護者にも分け与えていただいた。

※ 非常にバラエティに富んだ講座数で、生徒がある一部の講座に集中するため、申込者の少ない講座を保護者が申し込めるようになっていたということもあろうかと思うが(笑)

 


広島で被爆された方のお話を伺った。

広島原爆状況について 平塚矩正氏 提供資料

NHK 戦争表現アーカイブス 「失われていった感情と感覚」

朝日新聞 広島の声 入市被爆

16歳6ヶ月の時、自ら志願して軍へ入隊した。

徴兵された人間とは違い、自分は

家族を守る
家を守る
国を守る

そのために戦うのだと、

最初から死を意識していたのだと言う。

感情を失う時

我が娘も16歳。

その友だちの男の子も16歳。

その16歳の時。

自分の命を投げ出しても
国のために戦う教育を施されてきたのである。

この語り部の方は、
3年ほど前から
広島に原爆の落とされた日のことを語り始めた。

水上特攻隊として
江田島の海軍兵学校にいた先生は

(後に中学校教諭になられたので、こう呼ばせていただく)

8月6日の その朝、
広島市内に向かう敵機を見ても

「いつものことだ」

という感覚だったという。

その後、

広島市内で大変な爆弾が落とされ、

大変な数の死傷者が出たと

その救護のために被爆地へ入った。

そこで見たものは

一面の焼け野原…

歩いている人は、皮膚はただれて裸同然。

 

ヒロシマの空白 : 中国新聞企画記事や被爆前後の写真を掲載している

感情を失う時 ヒロシマの空白

広島平和記念資料館にあるジオラマの蝋人形などは

ボロボロの服を着ているが、

そんな状態ではなかったと言う。

ヒトの目玉が飛び出て

(その言葉は繰り返し話され、その目玉が飛び出るほどの爆風の衝撃が、この先生にとって大きなインプレッションを残したのであろう)

被爆地で、水を求める者に水をやりたくともコップが無い。

川に水を求めて入った者も
次々に息絶え、
川から土手に死体を移すことだけしかできない。

食料や物資を運ぶための道の確保をするために、
道路上のがれきをどかす。

(これは現在でも、災害にあった被災地で、まず交通路・輸送路を確保しなければ物資が運べない状態と同様のことである)

医療を施したくとも医療品はなく、
水を入れた注射をして

「有り難い。有り難い。」

と死んで逝く。

死体や化け物のような人間を扱っていると

「可哀想」
とか
「気の毒」
とか、
そんな人間らしい
感情を失ってしまうんですよ

その先生の記憶の中で、
子どもを自ら庇うような姿で死んでいたのは

すべて、女性だったという。

 



母親というものは、どこまでも子どもを守るのだと感じました。

広島の人間ほど、
原爆を経験されたことを語る方は少ないですものね。

そうお話しすると

被爆されて生き残っている人は
爆心地から2キロ以上離れた場所で
被爆された方です。

爆心地2キロ以内にいた人は、
みんな死んでいるのです。

原爆投下のあの日。

江田島から
午後に広島に入った 自分たち兵隊の生き残りだけが
あの爆心地の惨状を…
真実を見た者なのです

そう話された。


あの時

あの場所にいた者は

皆、死んだのだ

だから、伝えなければ

と、そう使命を感じているのであろう。

この記事を書くことに躊躇していたことに

沖縄の集団自決に関して、
この先生の言われた言葉が
重く私に響いていたからであった。

 

今。

沖縄の集団自決に関して、教科書検定問題も浮上している。

この先生が、講義の中で

沖縄の集団自決に軍の命令があったのか?と隊長に聞いたことがある。

隊長は

軍の命令は無かった。

しかし、無かったと認めると

沖縄の集団自決した遺族たちに国から遺族年金が出ない。

だから、

私は、命令があったとも 無かったとも 口にすること無く これは墓場まで持っていく」

と言われたのだと言う。


軍の命令の有無に関して、

果たして何が真実なのか、

私にはわからない。

真実は、

集団自決で死んだ者にしかわからない。

生き残った者の言う、

死んだ人間の言葉を

真実と裏付けることのできる者はいないのだから…

それでも、そうかもしれなかった

あるいは、そうではなかったかもしれなかった

という視点は

持ち続けていかないといけないのだと思う。

この話を友人にしたところ、

半藤一利氏の「昭和史」を読むことを勧められた。

この正月に読んでみようと思っている。


沖縄で集団自決があったこと
日本で特攻という戦略があったこと
そして、そこで貴重な人命が失われたこと

それは事実である

そこで、死ぬべきではない!
特攻で、日本が勝利するはずが無い!

そう声を出した人間もいたはずなのだ。

ところが、国民の大多数の民衆という
同調意識の中で
お国のために死ぬことは正義
生き恥をさらすことは、日本の恥
そういう馬鹿げた思想が、日本中に蔓延していたのだ。

それに気づかず、みんなと一緒であればいい
自分たちと異なる意見に耳を貸さない!
それどころか、正しいことを正しいと認められずに
真実を見極めることのできない愚かな人間の集まりが
この悲劇を起こしたのだということを、忘れてはいけない。


なんのために学ぶのか?

こんな愚かな付和雷同の国にならぬよう、
自ら真実を見抜くための目を
養うための教育なのだ。

ゆとり教育の悪などと騒ぎ立て、
教育改革が必要だと
本質を忘れて
真実の教育と呼べるのだろうか?


中学の校長にこんなお願いをした。

「もっと、先生がたの自由な裁量で、子どもたちに学びを与えてもらいたい」

と。

校長は、モンスターペアレンツ
(という言葉もマスコミ誘導の言葉だが)
を恐れ
生徒たちの服装検査のために、
教員すべてに朝の登校指導と称し、
門の前で教員を並べる。

それを見て、
親の一部は

「学校はよくやってくれている」

と言う。

ところが、

教員の目の届かない教室では、
いじめや飲食が行なわれている。


真に子どもたちに必要な指導とは?

子どもたちに目を向けず、
外の社会の評判を気にするような教育現場から

一体、なにが生まれるのであろう?

セーターの色があの子は違うと、
目の色を変えて他人の子を批難する親。

その親の子は、
みんながするからと
こっそりスカートを短くし、
ブラウスのボタンを開けている。

もっと、もっと大事なことはあるはずだろうに…

過去の哀しい辛い記憶の
その責任が、
どこにあるのか探ることはもちろん大事だ。

だが、その哀しい出来事を、

二度と繰り返さない

あるいは、
その出来事に関して、
上から下から右から左から

様々な側面で見ること、

考えることを繰り返して

自分なりの

真実や意見、
思想を持ち、
他人のそれも尊重しつつ
発信・発言できる世の中であってほしいし

子を持つ母として、
そういう世の中にしていかねばならないのだと思う。


私。

本当に、ただただ…
子どもを愛するちっぽけな母親…

そんな、ちっぽけな人間が、
この世の中の流れを

怖い

そう感じているのです。

 

感情を失う時 を 子どもたちに与えたくない

首都圏の私のいた場所では、
親も、いろいろいたけれど

真に子どもにとって大切だと思うことに
一緒に考えてくれる人がいました。

そして
子どものためにいいと思うことは、

やってみようよ

そう言える親も教員もたくさんいました。

どこでも、そう思うおとなはいるはずです。

けれど、閉ざされた地域では、
その声をまるっきり無視して
聞こえないものとして通り過ぎるだけなのです。

面倒くさいことは、

知らないフリでいい。

ちょっと外れた人をみんなで責めていれば、

自分は安全。

過去の人間のしたことを思い出してもらいたいのです。

いけないのは命令を下した者?

それも、もちろんいけないでしょう。

でも

いけないことを

いけないと

言えない人間も

いけない

と思うのです。

すべて、起こり得ることの原因は、

自分にあるのだと

自己責任

という言葉は、

そういう意味だと思うのです。

 

 


 

お時間ございます方は、

COCORO にある FOR WHOM THE BELL TOLLS – 誰がために鐘は鳴る

拙文をお読みいただけましたら幸いです。

 

特に 教育 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。

 

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