今日は、午後から次女の通う 東京タワーの見える都立高校 の
保護者会へ 向かいました。

twitter に こんなつぶやきを 残しました
高校の 保護者会。
遅刻常習犯。
東京タワー近くの都立高校って 絶対的な思い出を残してくれる。
それだけで 通う価値あるかも。
何十年経ても 思い出す時間と 友達が 人生を 彩ってくれるのだと思う。
さて、そんな保護者会。
東京タワーの見える都立高校 に行くと、ついつい 写メしてしまう。


遅刻して参加した 学年合同の保護者会では
高校 1年生にも 関わらず
すでに 進路(ほぼ進学)指導の お話。
私自身の 大学進学については
両親は なにも言うことは ありませんでした。
自分たちは、大学へ行っていないので なにも分からない。
ただ、私が 演劇を学びたい! という一心で
芸術学部しか 受験しなかったため
合格した場合、お金がいくらかかるよ… と伝えると
その部分は、経営者である父が
「そこは 分かった」と。
親の出番はそれだけのことでした。
それについては、
後日、書きたいことがありますが
まずは今日、驚いたことは、
盗難事件 の 話でした。
皆さんも 驚かれると 思いますが
どんな進学校でも 盗難は つきものなのです。
(いや、あまり つきものになってもらいたくはないけれど)
私が、そこで 思うのは
では、そうしたことが 起こった場合
どう、解決をして、今後の 予防策は なにか
を、当事者で 考え 実践する ことだと 思うのです。
事件の経緯は、
体育で 人のいない教室。
女子の鞄の中身を 漁り
財布の中の お札だけを 抜いて
鞄に 財布を 返していた。
その数が 10人近く。
想定できること、
学校側が したことを並べてみます。
◇ 外部からの侵入は 可能性が低い。
◇ 10人近くの人間(しかも女子のみ)の鞄を ねらい、お札だけを 抜き取るとしたら、時間がかかり、発覚するリスクが高い。複数犯での仕業が 考えられる。
◇ 他クラスの授業に 参加していない者の(保健室等へ 行っていた)裏付けは とっている。
結局は、完璧な証拠はなく 現在も 調査中とのことでした。
私は、以下のように 先生に お聞きしました。
「警察に 届けることは されないのか?」
学校では、警察に届け出をする権利は 無く
被害に遭った生徒や 家族の届け出が 必要。
しかし、現在、被害届を出している家は 無い。
「鍵のかかるロッカーに お財布を入れていたら
被害に遭う可能性は 限りなく低くなる。
それを 徹底させてはどうか?」
指導はしているが、
面倒くさいということで
なかなか、それが 徹底できない。
なので、教員が、見守りをしている。
私は 思うのです
結局、ちゃんと、ロッカーに入れて 鍵をかけていたら
盗難に遭うことは 限りなく 可能性が 低くなる。
盗みをする人間が 一番悪いけれど
(それを 手癖の悪い生徒がいると 教員も 認識していました)
盗みを誘発する状況を 作っている
被害者 と言われる人間も
危機管理が甘く、
言ってしまえば 自己責任の結果 とも 言えると 思うのです。
ある山の中の神社で
たまたま 賽銭を 袋に入れて投げたままのものが
賽銭箱の奥に落ちることなく 目の前にあり
賽銭泥棒を してしまった。
もちろん。
そんなことをしてしまう人間こそ
罪を 負うべきですが、
魔が差してしまった
ということも 有り得るのが 人間です。
そこで、目にさえしなければ、
しなかった罪かもしれない。
罪を 犯してしまったら
自分の弱さに 負けてしまったら
それは、やはり、自己責任ではあるけれど
神様に お届けするのか
盗人に お届けするのか
はっきりとした区別のできなかった
賽銭を投げた人間も、
罪を 誘発してしまった
一端ともいうべきなのでしょう。
さて。
東京タワーの見える都立高校 で起きた
今回の 出来事です
私が 学校経営する 校長だったら
罪を犯す 生徒に、
いけないことをしたら
罰が 下るということを 学ばす機会として
その生徒の更生に 努めるでしょう。
また、他の生徒に 関しては
犯罪抑制のために、
貴重品は鍵のかかるロッカーに… と
強烈な 指導をします。
それは、
自身の自己管理能力を高めることでもあり
かつ、
犯罪の可能性を 出来得るだけ 低くすることが 出来るからです。
また、学級経営をする 担任だったら
各クラスで、
この事件について
今後の解決策は なにか? を
とことん議論させると 思います。
犯人を みつける!
盗難防止のための自己防衛策を 生徒たちで創らせる。
それが、
どのような答を導き出したとしても
まず、
生徒たちから出てきた提案を やらせてみせる。
それで、
以後、同じ過ちを 繰り返すことのない結果だとしたら
それを、
褒めてやればいい。
もしも、
また、同じことが 起きたとしたら
再び、考えさえ、
より善い解決策を生み出すことに 時間を費やす。
生徒たちも、
自分たちで 決めたことには
責任を感じ、責任を持つと 思うのです。
今の学生たちに 欠けているものは
教師や 親が 決めてくれないと
なにも 自分で 決められないということ。
自分たちの 学校生活は
自分たちで守る と いうことを
しっかりと 身につける時期です。
世の中は、
誰が守ってくれるわけでもありません。
自己責任という 人を追いやる言葉として
誤った使い方をする人間が 多くいますが
本来は、
自分たちの生活を いかに快適に 安全に過ごすかを
自分たちで 考えることなのです。
生ぬるいなあ~ と思いながら
帰宅して 次女には
「学校に 大金を もっていかないこと!」
「貴重品は ロッカーに 入れておくこと!」
を、
親として 約束を させたのでした。
盗まれる ということは
他人が 自分の鞄を 弄る ということ。
そのことの方が、
私にとっては「気持ちの悪い」ことなのです。
小幡万里子を 弄っても
潔癖、清潔、誠実しか出てこないよ
と、
自分をいかに「気持ち悪い」状態にしないための
私なりの 防御方法なのです。
それは、
人として、とてもストイックな生き方ではありますが
これこそが、
他者を 犯罪者にしないための
私なりの優しさ でもあると 思っています。
自分を 律することのできる人間は
他人を 陥しめることはしない…
そんな風に、
私は考えています。
自身には 厳しすぎて、
時に、自分でも 苦しさを 感じることもありますが
きっと、それが、
私らしい生き方なのだと思います。
この出会いと、時間を共有してくださった方がたに
心から感謝です。
今日も一日…ありがとう。
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 憎まれママの子育て日記 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
亡き弟が とても大切に思ってくれた 長女 が
亡き母と 弟が 新規事業を起こすために
奇遇にも 長女の生誕の年に 会社を創業しました。
それが ピュア株式会社 です。
手前味噌ではございますが とても優しく そして 精神の美しい PURE な 女性に育ってくれました。
亡き母 亡き弟 の 愛情を一身に受け 素直に成長した結果と
二人の愛情の深さに 心から感謝しています。




No Comments