聞こえない歌が 指先から迸(ほとばし)る
そんな経験を 幾度か 与えてくれた時間に 感謝。
中学生の時。
友達に 耳の聴こえ難い子が いた。
クラス替えを した。
新しいクラスで 私の周りに 集まってくる子は
おとなしい子が 多かった。
ワイワイと 集団になって 騒ぎ立てるというより
私が 振った話題に 乗じて
クスクスと 笑い合う~ という グループだった。
ある日、
その子と二人で
しんみりと 話をしていた。
彼女は 片手を 右の耳にあて、
「ごめんね。 私 こっち側の耳が 聴こえないんだ。
だから 左側から 話してもらっていい?」
と 言う。
「えっ? 知らなかった。
今まで 気がつかなくて ごめんね。」
「ううん。
人には あまり 言ってないし。
マリコの声は 響くから
スゴく わかりやすいんだよ。」
「男子から そのバカ声
どうにかしろ って 言われているけど
役に立つことも あるんだね。」
そう言って 二人で 微笑みあった。
それ以来、
私のポジションは 彼女の 左側。
意識して そうしていたのではないが
無意識のうちに
彼女の 聴こえやすい場所に 立ち
なるべくはっきりと 聞き取り易く
ゆっくりと 響く声で 話すようになっていた。
元々、私は 文学少女 で 演劇少女
今でこそ
「山手の奥様」風 マリコ様 で ございますが
ホホホホ
↑
(漱石の 「草枕」 を読み返し 那美さんに影響されております)
小学校 中学校 と 演劇部に所属し
「ガラスの仮面」 のような 特訓を受けていた。
屋上から、校庭の隅にいる 先生に向かって
「あ・え・い・う・え・お・あ・お!」
と 腹筋を使って 声を出す。
先生のところまで 聞こえると
手で 大きな ○ を もらえる。
中学の頃の 日記には
「sa si su se so」の発音をする時に
息が もれる。
これって 致命傷?
なんて 偉そうなことを 書いていた。
しかも 夏休みの課題で
国語の先生に 提出していた (恥)
演劇を始めると 役に没頭し
本を読むと その世界に トランスしてしまう。
天童荒太に ハマった時は、
我ながら 自分で 自分が 痛々しかった。
小さい頃に 身につけた 声や 発声
そういうモノって 一生モノなのかもしれない。
次女の 小学校時代。
転校して 同じクラスになった 男の子。
その男の子のお母様は 難聴でいらした。
そのお母様を 知ったのは
授業で 子どもたちが
手話を 教えていただいたことからだった。
「あのね。 手話って 声を出さなくとも
お話しが できるんだよ」
そうして 習って来たことを 教えてくれた。
これが 家族。
これが お父さん。
これが お母さん。
ね、これ。 お母さん 大好き ってことなんだよ。
「言葉って 誰かに わかってもらいたいって
気持ちが あれば
きっと 伝わるんだね。
ママのお友達にも お耳の不自由な子が いたの。
でも、 お勉強も 運動も ちゃんとしてたよ。
あなたにもできること できないこと あるよね。
ママにもできること できないこと ある。
できることは 頑張って、
できないことは、
どうしたらいいかな? って
考えることが 大事なのかもしれないね。
できないことが あるから
工夫したり、
わからないから、
発見したり。
手話も 誰かに わかってほしい
お話ししたい って思う 気持ちから
生まれてきたのかも しれないね。
できないことが あるって、
もしかしたら
すごく 大事なことかもしれないね。」
小学校で 役員をしていた
子どもたちが 自分たちで、
自分たちの 成長を祝い
親に 感謝の気持ちを表す会を 計画した。
私たち 保護者は、
子どもたちからの 招待を 受け、
そのお礼に コーラスを 企画した。
役員で 歌を 持ち寄り、
侃侃諤諤と 論議し (和気藹々かな)
Kiroro の 『未来へ』と
槇原敬之 の 『どんな時も』 に決定した。
私は 学年の生徒数分の CDを 焼いた。
本屋へ ピアノ伴奏の楽譜を 探しに 出かけた。
最近は ポピュラー系の譜面も 需要があり、
以前と 比べて 充実している。
が、
過去のヒットソングというのは
なかなか みつからない。
何軒もの 本屋と 古本屋を ハシゴし、
ようやく 譜面を 探し当てた。
ピアノ伴奏は 役員の中の
ピアノの先生をされている お母様に お願いした。
音楽の先生に お願いし、
音楽室を お借りした。
子どもたちの 授業のない 昼休みに
練習時間を 3回ほど とっていただいた。
基本的に 子どもには
内緒とのことだったが
子どもたちも お母さんが 家で歌う
歌を聞いて 楽しみにしていた。
準備は 万端だった。
その時
一人の お母様のことに 思いを馳せた。
懇談会の時
手話通訳の方が ついてくださり、
そうして 先生や 私たちの言葉を 受け入れていた。
先生のお顔を 見ずに 私たちの顔を 見ず
手話通訳の方を 見て、
その言葉を 拾っていらした。
歌は… 歌えないよね
どうしよう
どうしたらいい
彼女に ファックスを送った
とても 失礼なことを 言っていると
存じております。
今度の会で 手話ソングとして
手話のご指導を お願いできませんか?
彼女の家を 訪ねた
「ごめんね。 ファックス 見てくれた?」
「実はね。 私、欠席しようと 思っていたんだ。
補聴器って 音の 全てを 拾ってしまうの。
だから 歌を 聞こうとしても
歌声だけでない 機械音とか、
聞きたくない音が 聴こえてくるの。
人と 話す時もね。
声だけじゃない周りの音も 入って来るから
不愉快に なっちゃうんだ。」
「今、 大丈夫?」
「マリコさんの声はね。 すごく わかりやすいよ。
はっきりしていて 明瞭で…
それに 身振り 手振りあるでしょ。 (笑)
私に 伝えたいって気持ちが、
すっごく 伝わる。」
私は 彼女と 会話をする時は、
なるべく ゆっくりと
キーワードを しっかり伝えたいと 思って
話しかけていた。
そう、
それこそ 身振り 手振りを 加えて…
それでも 伝わり難いことは
筆談で 伝えていた。
彼女と 知り合う前だったろうか
過去に 片耳の聴こえない友達が
いたからであろうか
「君の手がささやいている」 というコミックを
次女は 好んでいた。
私も また そのコミックを 読んでいた。
そこには 聾唖である女性が
恋愛や 子育てをしていく姿が 描かれている。
音
ヒトは 世の中に 溢れている音を、
自分に 必要のある音、声、情報として
聞き分ける能力を もっている。
本能的に聞きたい音。
聞きたい声。
それを 選別し、受容しているのだという。
人工内耳や 補聴器は、
そうした人間の能力には どうしても 届かない。
誰かと 話している時に、
自転車の 轍の音
トラックの 振動。
そんな音も 好まずとも 音として
受け入れなければならない。
早口で 言われると
言葉を 追いかけられない。
だから、
ついつい 補聴器を外し
音のない世界に 安住してしまうのだと。
「もし、 嫌でなかったら 手話で 歌えないかな?
手話ソングって あるよね。
『未来へ』 だったら
ゆっくりした 曲だし…」
「でも、 他のみなさん。
賛成してくれるかしら?」
「なに 言ってるの。
この学年で 反対する人なんかいないよ!」
「やって みようかな…」
「もう! ぜひぜひ、やってよ! まず 私に特訓して!」
手話ソング
こうして、
彼女は
歌詞に合わせた 優しい手話を あててくださり、
しかも 誰にも わかりやすい
イラスト付きの図まで 作ってくれた。
「すごい! 絵も上手だし、
才能 豊かだよね~」
彼女は 自分が 中途障害で、
親も なかなか障害を 認めてくれなかったこと。
普通学級で 皆についていくために、
人の何倍も 努力したことを 話してくれた。
彼女のように 中途障害者は、
逆に 手話を 身につけたり
唇の動きで 言葉を読むことが 難しいのだという。
半端に 人の言葉や 音を 理解できるだけに、
いいことと 悪いこと
両方が あるのだと言う。
「私なんて、 耳のことなんて
普段気にせず、 フツーに 接してたから。
きっと 嫌な思いさせてたこと あるよね。」
「マリコさんは 私を 特別扱いしないから。
だから、 楽だよ。
こっちも 気にしないでいられる(笑)
ごめん! も一回言って! って 気軽に言えるもん。」
「そっかあ。 だったら 良かった~」
歌の 練習の時
彼女が 先生になって、
手話を 指導してもらった。
緊張していた 彼女も、
お母様方の 真剣で 優しいまなざしに
徐々に 安心されていたようだった。
短い時間の中で
簡単な手話を 組み合わせ、
しかも 優しさが 手の先から あふれている。
誰もが 優しい気持ちで、
その手話を 学んでいた。
担任の先生がたに、
彼女に 手話を 教えていただき
コーラスと 合わせ
手話ソングを 披露させていただくと 話した。
「誰もが 参加できる機会にしてくださって ありがとうございます。
子どもたちも 授業で 手話を 教えていただいたし、
きっと、 お母様方の 心からの気持ちが
子どもたちに 伝わってくれると 思います。」
当日
彼女は 舞台には 立たないで
児童席の後ろから 手話をしながら 見ていると 言った。
「皆、 一生懸命に覚えて 手話も 完璧だから 良かったら 一緒に舞台に立とうよ。」
「でも…」
「無理にとは言わないけど… ○○君も喜ぶよ。
教室でも お母さんの話 良くしてるんだよ。
うちの子が ○○君は お母さんのこと 尊敬してるんだねって いっつも 言ってる。」
「じゃあ~」
「そう こなくっちゃ! 江戸っ子だねえ~」
「江戸っ子じゃないってば!」
「まあ、いいじゃない。 気にしない。 気にしない。 (笑)」
そうして、その日
その場に 集まった お母さんたちは、
手話の練習に 来られなかった方は 後ろに周り、
一生懸命 手話を 習得した お母さんたちは 前に出し
(私は ど真ん中でしたわ)
ちょっと心配… というお母様は 中間位置に立った。
ピアノの伴奏が 始まった。
伴奏が これまた 上手い。
ポンポンポン ♪
鍵盤が 優しく跳ねる
「ほ~ら 足下を見てごらん」
指先が 足下を 指し
指先が 瞳に 変わる
後ろで 野太い声が 響く
あるクラスの 男性の担任だ
そのクラスの少年は、
父親のトラウマで
しばらく 学校に 来られなかった
そのことで 担任も悩み、
私たちが 間に入り たくさんの話をした
心を 込めて…
心を 込めて…
指先が 言葉をつむぐ
聞こえない歌が 指先から迸(ほとばし)る
目の前に 座っている 子どもたちの
輝く瞳を 見ていると
歌いながら、 こちらの瞳も 潤んでいく。
聞こえない歌が 指先から迸(ほとばし)る
ほら 足元を 見てごらん
これが あなたの歩む道
ほら 前を 見てごらん
あれが あなたの未来
未来へ 向かって
ゆっくりと 歩いて行こう
未来は 遠くを 指差す
そうして、
子どもたち 一人一人を 指し示す
ゆっくりと ゆっくりと 歩いて行こう
興味のある方へ
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お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 憎まれママの子育て日記 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
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