親になり 気づく 足りない私 の未熟さを・・・
29歳の 秋だった。
胸にしこりがあるとわかり、病院へ行った。
母は、私が 死んだら 子どもたちの面倒をみるつもりであった。
私も、自分は 死ぬのかもしれない と思った。
(ギリギリであったが)
20代で 腫瘍に侵されたら 進行は早い。
腫瘍を切り取り、私は 今も 生きている。
けれど、いつ、また それが 同じように 増え出すのかは
自分にも わからない。
ただ、他人よりも リスクを持って 生きていることは 確かで
だから、自分の死後を 考えずには いられない。
それは、自分自身が死んだ後ではなく、
遺して逝かねばならない
自分の遺伝子を持った
子どもたちのことである。
私が死んだら、孫の一生をみる と 言っていた
母は、先に 亡くなった。
弟は、突然に 命を 絶った。
それは 突然ではなく、
さまざまな徴を 見せていたのかもしれないが
それに気づいてやれなかった 私にとって
突然に 命は絶える ということを、
INEVITABLEな 現実として
受け入れなければならないと
知ったのだった。
足りない私 ・・・ 人は 皆、足りない部分を抱えて 生きている
だから 学ぶのである。
無知は 恥じなければならない。
生まれたばかりの赤子は 何も 持っていない。
ただ 胎内にいる時から 音は 聴こえている。
この世に 生まれ、
音に 気づき、
母の乳の匂いを 感じ、
乳房に 吸い付く。
やがて、
目が 見え、
自分を 庇護してくれる
母の顔を 認識する。
「ああ」と 喃語が出始め
大抵の赤子は 「まま」が 初めての言葉 であったりもする。
やがて 手先が使えるようになり、
絵や字を 覚える。
丸くぐるぐると描く クレヨンの絵は
「おかあさん」の顔であったりもする。
赤子は 五感を使い、
干支が 一周するまでに、
たくさんのことを 認識する。
英語でも、13歳からは「ティーンエイジ」となる。
12歳 ~ 小学生までのうちは、
五感を使って 事象を認識し 確認する時代なのかもしれない。
親は、生まれた時の赤ん坊に 何を願ったのだろうか?
優しい心。
他人を 傷つけたり、
殺めたりしては いけない。
人間として 生き抜く力を つけてほしい。
そんなことを 願っていたのでは ないだろうか?
13歳 ~ 中学生からの 干支の一周する間に
今度は、12歳までの認識を 生かすための学習を していかねばならないのだと思う。
物事は すべてが 複雑に絡み合い、
それを 紐解いていく 手段や 方法を 学ぶのだ。
教えられることに 疑問を 持ち、
本当に それが 正しいことなのか?
自分で答えを探すために、
考えるために、
生きるために
今が その方法を 学ぶ時期なのだ。
人が 読むことも 書くことも できなかった時代
その無知ゆえに
不幸になったり、
差別されたり、
奴隷のように 使われるばかりだった。
読むことで、
知ることで、
自分のおかれた境遇の不条理を知り
自分が 自分らしく生きるために、
その学びを 深めていった。
学校という場で、
軍国主義を 叩き込まれた子どもが、
失わなくてもいい命を 「お国のため」と
空や海、
遠く離れた地で、
消されていった。
その過ちを、
二度と 繰り返すことのないようにと
教育基本法 が 出来たのではなかったっけ?
足りない私 それが 親
親は、
母親は 特に、
忘れてはならない と思う。
我が子が、
よりよく生きるために
なにが必要なのか…と。
母親面を 大きくして
「子どもは いつまでも 手をかけてはいけない」 と
手はおろか、
目を離してしまう者がいる。
赤子の時代。
這えば 床のものを片付け、
歩けば 転んだ時に 怪我をしないように 角に 座布団を 当てる。
転ばないように、 歩かせないのではなく
歩き出した時に、転んで、
取り返しのつかない状態を 生まないための努力を していたに違いない。
中学生になった 今。
教科書に マンガを隠して読む 少年少女に
「そこまでして読みたいの?」
と、多少の軽蔑を込めて、
そんな行為の不可思議な気持ちを伝える。
友だちの姿を携帯で撮り、他人に送る。
「やめてって 言ってるよ」
まるで、
幼児が お砂場で
いきなり 他人のシャベルを 取り上げる時
「それはお友だちのもの。
貸してって言ってごらん。
使ってもいい?って聞いてごらん」
そう、母親が 教えるべきことを
教えてもらっていないまま
中学生になっているのだろうと思う。
今の子は、
寝ながらに 携帯電話を手に持ち、
深夜でも メールがくれば 返信する。
親は、
そんな我が子に 気づかない。
夜回り先生が
「2時, 3時の 子供部屋を のぞいてみなさい。
我が子が 何をしているのか?
リストカットは この時間に行なわれる。
まず、それを知ってください」
と、毎日毎日、声を嗄らして 訴えている。
足りない私 は 公教育に期待している
我が子の 本当の姿に 気づかなくてはならない。
我が子の 心の動きに 敏感であってほしい。
私には、
他のお母さんのように
80歳まで 自分が生きられるとは 思えない。
そんな根拠のない安心感で
生きていられる人を
しあわせな人だなと思う。
絶対なんてありはしない
残された 足りない時間の中で
どれだけのものを 我が子に伝えられるか?
を、 私は 常に考えている。
自分の人間としての価値も、
足りないだらけの私で
本当に 子どもたちに 申し訳なく思っている。
だからこそ、
親として 自分の足りない部分を 補ってもらえる
公教育に 私は 期待をしている。
子どもたちの教育現場で 出会った先生に、
教育を放棄している教師はいない。
誰もが精一杯に、子
どもたちと関わってくれている。
一方で、
教育を 放棄していると感じる 親が、
これほどに 増えていることに 不安を感じる。
無知ゆえに、
ものを知らない子どもには、
我が子であろうとなかろうと
正しいものの考え方を 教えなければならない。
その役目を 学校や 行政に 預け
自分は 何をしているのだろう?
私に 何が できるのだろう?
そう思えば、
自然と 身体が動くはずなのに… と思うのだけれど。
十年後を考え 木を植える
百年後を考え 教育を施す
だから、
今が大切で
今こそ 未来を育てている のにね。
お時間 ございます方は、
COCORO にある FOR WHOM THE BELL TOLLS – 誰がために鐘は鳴る の
拙文を お読みいただけましたら幸いです。
この文章と 同じカテゴリー : 学びの原点
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