春から 新しい場所で 生活をすることと なりました
転勤族の 性(サガ) で ございます。
引越しは 嫌いだし 面倒くさいです。
でも
頑張ります。
2年前。
主人の 転勤が 決まり、
子どもたちを 泣かして 家族で 引っ越してまいりました。
思春期の 女の子を 二人抱えて、
私一人で 子育てをする 自信もなく
また 主人と離れることを 思うと、
遠距離恋愛 の 末に 結婚した頃の 辛さが 思い出され
「やっぱり、私は 主人と 一緒に いたいんだ」
と 確認した時 でも ありました。
転居して すぐ、
小学校での 信じられないような 学習指導や 授業方法に 呆れ
児童の 問題点を 学校に お話しすると、
とんでもない 生徒指導方法をする 教師たちに
「ここは一体なに?」
と、
疑問で いっぱいの 驚愕の でき事を 経験し
私の理解を 超えた 世界を 味わったのでした。
中学校も 転校早々、
友だちの妊娠騒ぎ
校内暴力と
「ここは いつの時代?」
と、
自分の 中学時代に タイムスリップしたような
わけのわからない世界に
とりあえず、
学校を 知ろうと、
精一杯の 知る努力を 重ね
どれだけ、
先生がたの 努力と 誠意に
感謝の気持ちを 持ったことでしょう。
長女の 高校入試の時、
「公立落ちたら 劇団四季を 受けます!」
と、本気で 言っていたのですが、
きっと 冗談と 思われていたのでしょうね。
合格発表で 長女の番号を みつけた時は、
本当に 嬉しかったです☆
長女も 次女も 本当に 成長しました。
なにより、
私は
長女との 母子関係を、
もう一度 しっかりと
構築する機会 と なりました。
下の子が 生まれて、
いつも 我慢をさせてきた 長女とは
思春期の自我と 甘えと 寂しさと で、
私と ぶつかることばかりでした。
そうした中で、
腹を立てながらも、
彼女を もう一度抱きしめなければ・・・
私は 一生 後悔するだろうと、
それに 気づいた時でも ありました。
他人に 合わせて 生きてきた 長女が
新しい 未知の環境に 順応できるのだろうか?
と、
それが 一番の 不安でした。
最初の 1年。
何が 何でも 長女が 満足できる高校に 進ませて
生涯の 思い出になる 高校生活を 送らせてやりたい
と 思っていました。
そのために、
家族の中で、
長女が一番優先!
と いうスタンスで 最初の1年を過ごし
次女にも 心細さを 感じさせないように、
国立の 附属中学を 受検という
それぞれに
「ママと 一緒に 頑張る 時間」
を 作り出しました。
学力試験・面接は クリアしたものの、
私の くじ運の無さに あえなく断念。
公立中学に進み、とにかく、
我が子は 自分で守らなくては!
と
随分と 先生がたにも ご迷惑をおかけいたしました。
でも、
わかりたい!
わかってもらいたい!
その思いは
伝わるのではないかと 信じています。
主人も 大変な思いをした 最初の1年でした。
パワハラ上司。
心を病んだ 先輩の自死。
すべてのしわ寄せを 自分で背負い、
仕事に 追われる 毎日でした。
おかげで
「自分は 出来るヤツ」
と 思い込み、
随分と 横柄な人間に 変わってしまったので
彼にとっての 異動は、
もう一度、
優れた人間たちの巣へ 戻り
自分自身を みつめ、
たくさんの人の中で 切磋琢磨し
勉強し直す 機会になれば…
と 思っています。
2年 という時間。
いろいろなことを
思い
感じ
考えた
時間 と なりました。
これから、
長女の 新しい 高校選択 にも トライせねばなりません。
なぜ?
こんな 七面倒くさい人生 を
生活をしないと いけないのだろう?
と 思わずに いられませんが
漫然とした 日々を、なんとなく 暮らすよりも
常に 目標をもって 生きることを 選択する方が
人生に 潤いがあるのかもしれません。
時々、
自分て、
損な 人間 なのだろうか?
愚かな 人間 なのだろうか?
と 思ったりもしますが
(実際、そうなのでしょうが (笑))
損得で ものを計るより、
もっと 大事なものを 探したいと
いつまでも 子どものような気持ちで おります。
まりこさん の 夢
子どもの心を 忘れない
他人の気持ちを 慮ることのできる人間になる
私の笑顔で、
誰かの心が 少しでも元気になれる
そして、
一生 成長し続けたい
学ぶ心を
忘れないでいたい
と 思っています。
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