教育

無関係なのだろうか?

2008年3月1日

私たちは 過去と 無関係なのだろうか?

週末。

長女の高校で 被爆者の 体験談を聞く。

彼女の 高校は、生涯教育とも言えるような 教育を 土曜日を 使って行ない、

これまでにも 数度、

大学や企業から 1日に 20~30という

様々な 講義を 企画し、

生徒は 自分の興味ある講義を 選択し 受講する。

しかも 保護者にも 人数に 余裕のある 講義を 見せていただける。


今回も、

そんな 30近い 講義の中で、

被爆者の体験談 という 非常に 稀な 機会に恵まれ、

ぜひとも~と、

受講を 申し出た。

保護者枠が あるということは、

生徒たちは 他の分野の講義を 希望したということになる。

長女も 実際に希望した講義には 定員漏れで、

結局 第3希望の 講義を受講する。

他の講義も もちろん、

素晴らしい講師が 招かれているので、

どの講義も 受講したくなるのも 無理は無いのだが、

できれば、

たくさんの 高校生に この講義を 聞いてほしいと思っている。


元配偶者は 広島出身。

 

無関係なのだろうか? 広島 原爆

 

結婚する時、

私の父は

「ご両親は 被爆者では ないだろうな?」

と、聞いた。

 

その時、

我が 父親ながら、

この人は なんという 差別的発言をするのだろうと 呆れた。

被爆された人は

不幸な その瞬間を背負っただけで、

その子孫に なんの影響があるものか!

と 私は思っていた。

が、

父のような考えが 世間一般の思考なのだろう。

「いいえ。違います!」

彼は そう答えた。


被爆2世

原爆の投下された時、

その放射能で 被爆した者を 被爆者と呼ぶ。

その当時、

胎内で 被爆した者、

被爆者から 生まれた者を

被爆2世と呼ぶ。

広島出身のミュージシャンで、

子どもを持たない シンガーソングライターがいる。

父親が 被爆したということを 知って、

生き方が 変わったと言う。

父親は、

ずっと 被爆したことを 隠して生きてきた。

それが、

自分の子どもへ 差別を連鎖させないための 防御であったから…。

主人の父は 40代で 癌で 亡くなった。

現代では 大抵の人は 癌で 死ぬ。

珍しいことではない。

 

原爆による 被爆の2世への影響は 認められないと

放射線影響研究所も

広島大学原爆放射線医科学研究所も

発表している。

だが、

もしかして…

そういう思いは、

広島の人間や、

当時、広島にいた者の心に

どれだけの 傷跡を 残しているのだろう

そして、

子どもや 孫という

現実に 原爆を被っていない者の心の中に

親の 被った 突然の不幸

 

だが、もしかして…

という思いが、

どこかに 刻まれているのではないだろうか?


長女が 父親と

「広島に 原爆が 落とされたからこそ、戦争は 終わったんだ」

という話をしていた。

 

そうなのだろうか?

本当に 戦争は 終わったのだろうか?

彼は 亡くなった 自分の父と、

生きている 母の言葉を 信じ、

自分は 被爆とは 無関係だと思っている。

 

本当に 無関係なのだろうか?

 

そして、確実に、その時、広島にいなかった 父と母から生まれた私も

無関係なのだろうか?

 

広島、長崎では

原爆について 平和教育が 盛んだとは 言われている。

だが、

元配偶者や 彼の母、きょうだいたちを見ていても、

特に 広島市外の 広島の人でさえ、

原爆について 熱心な 教育を受けているとは 感じられない

すでに、過去のものになってはいまいか?

ただ、

真面目に生きて、

戦争をすることが 正しいと教えられ、

そして、被爆した

市井の人々。

自分の 被爆を隠し、

我が子や 孫を守るために 口を 噤み続けてるのかもしれない。

その口を 開かせようとは 思わないけれど、

無関係だからと、

無関心で 済ませたくない。

 


 

お時間ございます方は、

COCORO にある FOR WHOM THE BELL TOLLS – 誰がために鐘は鳴る

拙文をお読みいただけましたら幸いです。

 

特に 教育 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。

 

 

 

 

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