主人公の彼女は、女としてのステイタスは
美しさであると信じていた。
そして自分にはかなりの価値があると思っていた。
そして、彼女は実際に、夫のへそくり四百フランで買ったドレスと、
友人から借りた首飾りで、大臣の夜会で女としての勝利を得る。
そうした女としての最高の一瞬を得た代償が
十年間の貧乏暮らしである。
時に、その幸福の絶頂であった夜会を思い浮かべながら…。
そして最後の打撃がくる。
首飾りは紛い物であったのだ。
女は、自分の幸福の秤が各々違っている。
彼女のように、美貌がそれであるように、
名誉、仕事、夫、子ども、金……とそれぞれである。
だが、それに対する執着というのは、
どの女も同じくらいの強さで持っているのだと思う。
私は、彼女の話を聴いていて、
彼女は気づいていなくても素晴らしい宝を持っていると思った。
彼女の幸福のために、、自分の猟銃を買おうと
溜めていた金でドレスを買ってやったり、
首飾りのために十年を無駄にした夫。
普通ならそんな女は捨ててしまうだろう。
それを、慰め励まし、共に苦労をした夫は、
彼女の何ものにも代えられぬものになったであろう。
彼女も心のどこかで、そのことに気づいてたのだと思う。
だから、美貌という彼女のステイタスを失った十年後、
首飾りの持ち主の夫人に、自ら話しかけたのだと思う。
新たに芽生えた彼女のプライドをもってーー。
(昔の見栄っ張りの彼女だったら、おそらく、そそくさと逃げたことだろう)
そして知らされた事実。
だが、彼女にとって十年間という月日は
(あまりに長過ぎではあるが)
決して「無駄」ではなかったと思う。
女として、一人の男に愛されたという誇りと
自分にとっての真の幸福を知ることができたのだ。
彼女は、きっと、その後、首飾りの夫人に向かって
「ごきげんよう」と、にっこりと艶やかに微笑みかけるであろう。
そう、かつての夜会の彼女に勝るとも劣らない微笑みを浮かべてーー。
私はそうあって欲しいと願う。
モーパッサンの『首飾り』は途中でラストが読めてしまった。
(題名からも予想がついてしまう)
しかし、もっと他のものーー『女の一生』もそうだがーー
女の幸福への果てしない追求のようなものがみえてくるのである。
追いかけて追いかけて、ふと振り返ると、
つらい時間、空虚にみえる時間であっても、
そこから、また、何かを生み出すという力強さが私には感じられるのである。
たった、20年しか生きていない小娘がなにを言ってるのだ!と感じるが
この小娘の私。
ずいぶんと、しっかりとした女性観ーー夫婦観をもっているではないか〜と苦笑する。
そうだね。
夫婦って、そんなものかもしれないね。
20歳の小娘!
なかなか、的を射てるではないか〜〜〜ねえ。
若さは失う。
若さだけの美はいつか消える。
20歳の私より、今の私の方が、
年齢を経た美しさを感じると言ってくれた人の言葉が嬉しい。
私にとって、20歳の私は、自分で最も輝いた時間で
怖いものも、失うことを恐れることもなく、
無邪気に自分を信じている部分を持っていた。
今も、その20歳の私は、私にとっては大切な私。
その年齢で、「一人の男に愛される誇り」と言える自分に強さを感じる。
これも、若さゆえ?とは思うけれど。
男は時に揺れて、疲れるパートナーより、
安らげる相手を求めることもあるだろう。
その逆もまた…
それでも、培ってきた時間というものが
夫婦の絆となるのかもしれない。
若さを失った女に、何が残るのだろう?
老いた時、笑顔の皺を刻めるような女性になりたいと思う。
なにが起きても、笑顔で
「そうだね。そういうこともあるよね」
「だいじょうぶ」
と、簡単に大丈夫と言わない私が、心から安心して
「だいじょうぶ」
と言葉をかけられるような
そんな、見事な女性に……
なれるかな?
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