ドライブ するのが 好き
車を 運転するのが 好き
初めて買った 軽(自動車)の セルボ。
中古車屋さんで 一目惚れした。
Wikipedia によると 私の CERVO は 三代目
3代目 CG72V/CH72V型 (1988年 – 1990年)
スズキ・セルボ( 3代目 ) ← ちょっと スケバン刑事 っぽい言い方ね
※ スケバン刑事とは Wikipedia
CG72V/CH72V型
(赤より、絶対 私のセルボ の 白 が かっこいい!) ← 世田谷在住で「品川」ナンバーだった 私のセルボだし (^^)/
販売期間 : 1988年1月-1990年7月
乗車定員 : 4人
ボディタイプ : 3ドアハッチバック
エンジン : F5B型 0.547L 直3 SOHC 12V キャブレター
駆動方式 : 4WD / FF ( 私は FF )
最高出力 : 40 ps /7 ,500 rpm(ネット値)
最大トルク : 4.2 kgm / 4,500 rpm(ネット値)
変速機 : 3速AT (CG72Vのみ設定) / 5速MT ( 私は AT )
サスペンション
前:マクファーソンストラットコイル
後:アイソレーテッドトレーリングリンクコイル
全長 :3,195 mm
全幅 :1,395 mm
全高 : 1,330 mm
ホイールベース : 2,175 mm
車両重量 : 590 kg
データモデル : CGXF 5速MT 1988年式
生産台数 : 不明
1988年 軽自動車の規格変更に伴い 660cc の 軽自動車が販売されていました。
(この次世代の軽を見ても、心動くことなかった 私 )
長さ :3.40m以下
幅 :1.48m以下
高さ :2.00m以下
排気量:660cc以下
※ 私の セルボは、一世代前の 550cc で、私は 次の 大きくなった セルボ が 格好悪く感じ あえて 否 どうしても、この セルボ しか 選べなかったのだった。
1988年(昭和63年)1月 – フルモデルチェンジにより 3代目に移行。
CMには、当時人気絶頂だった 大西結花を起用した。
4ナンバーの 軽ボンネットバンの設定だけとなる。
その為、初代から続くスペシャリティ路線は踏襲しつつも、クーペからシューティングブレーク(3ドアクーペ風ワゴン)を意識したボディへと変化している。
外装は2代目アルトをベースとして主にボディの後部を変更。
「ウェービールック」と名づけられた、後端に向けてうねったルーフ形状が特徴。
Cピラーが太く、その付け根に「小さな翼」をイメージしたスポイラーを装備。
ルーフ前半はブロンズガラス製のグラスルーフとなっている。
内装はダッシュボードは2代目アルト、ステアリングは2代目アルトツインカムから流用。
ドアパネルも初代アルトワークスをベースにする等、共有化が図られる一方で
インテリアコンセプトに「西部劇に出てくるアメリカの子供部屋」を掲げ、
フロントシートはグレーとレモンイエローの2トーンバケットシート、
リアシートからトランクルームにかけてはグレーを基調としてアクセントにレモンイエローを配色して天井までフルトリム化している。
また10カ所以上収納スペースを設け、収納力にも配慮している。
エンジンは、新開発F5B型550 ccの直列3気筒SOHC12バルブを搭載し、
シングルキャブレター式の3気筒SOHC12バルブエンジンで最高出力は40馬力。
駆動方式は前輪駆動とパートタイム4WDの2種類で、
4WDは5速MTのみだが前輪駆動には5速MTとロックアップ機構付きの3速ATを設定した。
グレードの設定は無い代わりに、AMラジオ、フォグランプ、リアワイパー、運転席シートリフター等が標準装備となっている。
後に追加された特別仕様車「ごきげんパック」はエアコン、世界初の電動式パワーステアリング、オーディオとCピラースピーカーにDIATONE(三菱電機)製が装備されていた。
またこのモデルは、女性バイクチームの「チームアンジェラ」がサファリラリーにエントリーし、クラス優勝を成し遂げている。
1990年(平成2年)6月 – 生産終了。
以後は在庫のみの対応となる。
7月 – 販売終了。
軽自動車の規格変更と、
奇抜過ぎるデザインに因って販売が芳しくなかった為、
2年6か月という短命な モデルライフに至った
※ 奇抜なデザイン というが、このデザインを GOOD! と思わない感覚が センスないと思う。
そして、短命な理由は、 規制が 550cc から 660cc に変更となった過渡期で、
あらゆる軽自動車は、 660cc へのモデルチェンジを待つ人が多かっただけのこと。
センスより コストを重んじるのは 今も昔も 同じ。
って こと。
1988年 12月9日。
私は 免許を取得した。
教習所の費用は、母が負担してくれた。
(当時、マニュアルのみの教習で、40万円くらい明大前の 京王自動車学校に 寄付した。(笑))
今、京王自動車学校は消滅し、跡地は ファミール明大前(000年3月竣工)となっていた。
変わっている場所、変わらない場所。
いつか、 私の松原5丁目 を 残しておきたい。
私は 学生の分際で 自分で ローンを組んだ。
自分の力で手に入れた 小さな可愛い 軽自動車だった。
私の ドライブ の 相棒だった。
誰もが、マリコらしいと言い
マリコのセルボに 乗りたがった。
次の車は、
嫁入り道具の マークⅡ
車はトヨタ。
しかもマークⅡ。
というのは、実は、大好きだった先輩の受け売り。
そんな話をしていた 私を見て
マークⅡ を 選んだのは 母だった。
その後、
古くなったマークⅡは 伯母の旦那様に譲り
運転が危険で、
車に乗らなくなった 弟の車を譲り受けた。
母が 病いに 倒れ、
トヨタの ワンボックスの ノア を 夫が買った。
弟の車を 下取りし
病気で 動けない 母のために
座席が フラットになるから
母も 乗せられると 言われた。
私は、ワンボックスの車が 大嫌いだった。
それでも、
母を 想ってくれている気持ちに 感謝した。
大嫌いだった ワンボックスがやってきた。
結局、
母は そのワンボックスに 乗ることもできず 死んだ。
活躍したのは、
夫の実家である 広島に行った時、
義母や 甥姪たちも 乗せられること。
二人の義姉たちの車は、
とっくに ワンボックスカーであった。
本当はね。
セダンの車が 好きなんだよね。
そう、話していたのだけれど
「いい加減、俺の 乗りたい車に させてくれ」
と、言われ、私や、嫁入り道具の車は
「俺の乗りたい車」 ではなかったのだと
とても 申し訳なく思った。
だから、
俺の車の ガソリンが高ければ
他人に 乗ってもらいたくは ないのだろうし
俺の車に 傷をつけられたら、
不愉快なのだろうと 思う。
嫁入り道具の (私の) マークⅡを、
里帰りした時に
私が 電柱に当ててしまった。
凹んだバンパーよりも、
なお、凹んでいる私に
「なにしてんだよ!」
と、怒鳴りつける夫に
「車は直せば済むことでしょ。言いたくないけれど、嫁入り道具で持たせたものなのに」
と、
母は、力の無い 私をかばっていた。
修理代は 母が払う〜 と、
夫に言った。
車を 運転するのが好き。
自分で、その場所に 行き着くことが できるから。
その狭い空間が、自分だけの 居場所に 感じられるから。
セルボは ツードアで、
とてもとても狭くて 小さな空間だった。
けれど、
一番、私が 行きたい場所へ
私を 連れて行ってくれたような気がする。
マークⅡは、
若い私には グレードが 高かったのかもしれないけれど
一番、満足して 運転することのできた 車だった。
フォードアで ゆったりとした シートで
くつろぐことのできる空間だった。
今。
車でなくとも、
行きたい場所へ 行くだけの 勇気と自信を もちたいな。
次の車は、
小さくても、
私が ひとめぼれするような
可愛い車を 持てたらいい。
そうして、免許を取ってすぐの
車に 乗りたくて乗りたくて 仕方なくて
軽自動車なのに、ハイオクガソリンを 入れてたり
毎週、日曜日には 洗車するくらい 可愛くて 大事にした
あの頃のような車に 巡り合えたらいいなと思う。
ドライブ に 行こう!
勇気と 希望と 笑顔をもって!
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある THE WAY WE WERE – 追憶 の
私の 忘れてはならない 記憶の黙示録 の 拙文をお読みいただけましたら幸いです。
亡き弟が とても大切に思ってくれた 長女 が
亡き母の 弟と共に 新規事業を起こすために
奇遇にも 長女の生誕の年に 会社を創業しました。
それが ピュア株式会社 です。
手前味噌ではございますが とても優しく そして 精神の美しい PURE な 女性に育ってくれました。
亡き母 亡き弟 の 愛情を一身に受け 素直に成長した結果と
二人の愛情の深さに 心から感謝しています。
軽自動車の規格 の変遷が分かる URLをご紹介します。
【第1世代】 軽自動車の規格(1949〜1950年)
長さ :2.80m以下
幅 :1.00m以下
高さ :2.00m以下
排気量:150cc以下(4サイクル)・100cc以下(2サイクル)
1949年の車両規定の変更にともない、初めて「軽自動車」という名称が用いられました。このときは車両という扱いの中で二輪・三輪・四輪の区別がありませんでした。
第一世代の規格で四輪の軽自動車は製造実績がありません。幅1.0mという規格から当時はまだ四輪の軽自動車というのを想定していなかったのかもしれません。
【第2世代】軽自動車の規格(1950年)
長さ :3.00m以下
幅 :1.30m以下
高さ :2.00m以下
排気量:300cc以下(4サイクル)・200cc以下(2サイクル)
第一世代から約1年後という早い規格の改定ですが、この改定から二輪および三輪・四輪という区分ができました。
最初の四輪軽自動車の規格ということになります。規格の排気量が倍になり規格のサイズも少し大きくなったものの、四輪の軽自動車はまだ製造されなかったようです。
【第3世代】軽自動車の規格(1951〜1954年)
長さ :3.00m以下
幅 :1.30m以下
高さ :2.00m以下
排気量:360cc以下(4サイクル)・240cc以下(2サイクル)
第3世代の軽自動車の規格変更によって排気量が360ccとなります。
この規格変更によって軽自動車の注目度が上がってきますが、まだこの時代の主力はオート三輪でした。
1954年に東京モーターショーの前身となる日本自動車ショウが開催され、住江製作所の軽四輪自動車「フライングフェザー」が注目を集めました。
【第4世代】軽自動車の規格(1954〜1976年)
長さ :3.00m以下
幅 :1.30m以下
高さ :2.00m以下
排気量:360cc以下
このときの規格変更から、4サイクル・2サイクル別を撤廃しどちらも排気量360ccとなりました。
現在も軽自動車メーカーとして有名なスズキが「スズライト」を販売を開始し、てんとう虫の愛称で親しまれた「スバル・スバル360」などが製造販売されました。
軽自動車規格第4世代から、ホンダや三菱など大手メーカーが本格的に参入し始めます。
【第5世代】軽自動車の規格(1976〜1990年)
長さ :3.20m以下
幅 :1.40m以下
高さ :2.00m以下
排気量:550cc以下
1976年に排ガス規制の対象に軽四輪自動車も含まれるようになり、その影響で軽自動車の規格変更が行われ排気量も550ccとなりました。
規格制定当初は各メーカーともエンジンの対応に苦戦していたようですが、翌年にはエンジンの550cc化が進み、初代「ダイハツ・ミラ」なども販売が開始されました。
第5世代ではハッチバックスタイルのボンネットバンが流行します。
【第6世代】軽自動車の規格(1990年〜1998年)
長さ :3.30m以下
幅 :1.40m以下
高さ :2.00m以下
排気量:660cc以下
第6世代の規格変更では現在の新規格と同様の排気量660ccとなり、キャブレターの電子制御化が進んでいきます。
また軽自動車の欠点であった空間の狭さを克服するため、「スズキ・ワゴンR」など背を高くとった、トールワゴンタイプの軽自動車が登場しました。
【第7世代】現在の軽自動車規格(1998年〜現在)
長さ :3.40m以下
幅 :1.48m以下
高さ :2.00m以下
排気量:660cc以下
現在の新規格では普通自動車と同じ安全衝突基準が採用され、軽自動車の安全性能が向上していき、2000年には高速道路での最高速度制限が80km/hから100km/hとなりました。
三菱自動車工業から電気自動車である「i-MiEV」が発売され、ダイハツからはJC08モードで30km/Lの燃費を実現した「ミライース」が発売されるなど、軽自動車のエコ化がどんどんと進んでいます。
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