国語の力

イソップ物語 『卑怯な蝙蝠(コウモリ)』

2013年6月18日

 

こんにちは。

クラブマネジメント の 小幡万里子です。


イソップ物語 『卑怯な蝙蝠(コウモリ)』

あっちがダメなら、こっち。

こっちがダメなら、そっち。

そっちがダメなら、また、あっち。


そういう生き方していると、

自分がわからないままに 死んでいくのだろうなあ。

 

可哀想に 感じるけれど、

それも 現金な人にとっては、

余計な お世話。

 

現金主義って、ある意味、その人の今、もっているもので 生きているのだから、

尊重すべき 生き方。

 

もってないものを 追い求めるのは、

とても リスクを伴うので、

むしろ、現金主義の方が、

安全な生き方なのだ と思う。

 

そういう生き方も、とても大事。

 

ただ、自分を知って、

自分の価値を 認めてくれる仲間と、

もっと 先の未来を創り上げようとする時、

フラフラと自分の定まらない人間がいると、

がん細胞が 増えていくように、

健康な細胞まで 腐食させていく。

 

基本的に、

誰に対しても「おいしいところ」だけを欲しがる人は 信用しづらい。

 

誰だって、

おいしいものは 好きだけれど、

その、おいしいものが、

何で 作られ、

どんな風に 作られ、

手間暇 費用、ど

れだけの価値があるか を、

ちゃんと 理解している人は、

その価値を 提供してもらう価値が、

自分にあることを 知って、

ものにも、人にも、向き合うのだろう。

 

価値を知らない人を 教育するのも、

提供側にとって、役割のひとつでもある。

 

しかし、価値を知る人が 集まらねば、

いきなり、教育から 始めても、

文科省の指導要綱と 同じになってしまう。

 

教育とは、たとえ 少数であっても

(否、少数だからこそ)

ほんものの価値を知る人で、

骨格を 形作らねばならないのだと思う。

現金に、

あっちも、こっちも、なんて人間と関わると、

ろくなことはない。

 

現金な人間は、

あるものだけで 生きているようだけれど、

実は、強欲な人間 ともいえる。

 

無垢な心をもつ少年は、

そんな人間のことも、

自然な笑顔で 吹き飛ばす。

 


 

さあ。笑おう!

 

だって、自分の心に素直に 生きてるほうがいい。

そんな、素直に生きる 自分がいい。

 


イソップ物語 『卑怯な蝙蝠(コウモリ)』

浅ましく卑しく、

卑怯なことが 大嫌いな 私だが、

イソップ物語 『卑怯な蝙蝠(コウモリ)』 は、

「何度も人に背く者は、やがて 誰からも 信用されなくなる」

というのが、

日本で 一般的に 流布されている 教訓である。

中務哲郎訳 「イソップ寓話集」に 収録されている

「蝙蝠と鼬」 は、

「状況に合わせて豹変する人は、しばしば 絶体絶命の危機をも 逃げおおす、ということを弁えて、いつまでも 同じところに 留まっていてはならない」

としている。


先日 亡くなった、

なだいなだの「逃げることは ほんとうにひきょうか」について、

問いかけをしたことがあるが、

いわゆる、この「蝙蝠と鼬(イタチ)」としての 捉え方なのであろう。

 

ただ、私は、蝙蝠にも鼬にもなれそうもないし、なりたくはない生き方をしてしまう。

 

あっちの水が甘い のを 知っていても、

自分が 選んだものに対して、どうしても 投げ出すことが できないのだ。

あっちが 甘くても、この手の中のものを、甘くするのではなく、

価値を 高めて 生きたいと 思うから・・・

 

負債をかかえて生きる生き方かもしれない。

けれど、負債も財産であると、カリスマ税理士 小池康夫先生から、ものを見る視点を 教えてもらってもいる。

 

こうした学びの中で、苦しくても 成長し続けたい と思っている。

「修行だと思って、がんばれ!」

そうした励ましの言葉を 素直に受け止めて 生きたい。

 

この出会いと、時間を 共有してくださった方がたに 心から感謝です。

今日も一日… ありがとう。

 

 


同カテゴリー 「国語の力」 も ご高覧いただけましたら幸いです。

 

※ 参考 : フリー百科事典 『ウィキペディア – Wikipedia -』 卑怯なコウモリ

「卑怯なコウモリ」(ひきょうなコウモリ)は、イソップ寓話の一つ。
「鳥と獣と蝙蝠」 とも呼ばれる。

あらすじ
昔々、獣の一族と鳥の一族が どちらが強いかで 戦争をしていた。
その様子を見ていた ずる賢い一羽のコウモリは、
獣の一族が有利になると 獣たちの前に姿を現し、
「私は全身に毛が生えているから、獣の仲間です」
と言った。
鳥の一族が有利になると 鳥たちの前に姿を現し、
「私は羽があるから、鳥の仲間です」
と言った。

その後、
鳥と獣が和解したことで 戦争が終わったが、
幾度もの寝返りを 繰り返し、
双方にいい顔をした コウモリは、
鳥からも 獣からも 嫌われ 仲間はずれにされてしまう。

「お前のような卑怯者は 二度と出てくるな」
と 双方から 追いやられて
居場所のなくなった コウモリは、
やがて 暗い洞窟の中へ身を潜め、
夜だけ 飛んでくるようになった。

教訓
何度も 人に背く者は、やがて 誰からも 信用されなくなる。

中務哲郎訳 「イソップ寓話集」
(1999年、岩波書店)に 収録されている
「蝙蝠と鼬(コウモリとイタチ)」は、
地面に落ちた蝙蝠が 鼬に捕まって 命乞いをすると
「すべて羽のあるものと 戦争しているので 逃がすわけにはいかない」
と言われ、
自分は鳥ではなく 鼠(ねずみ)だと言って 放免してもらう。
しばらくして 別の鼬に 捕まった時、
今度の鼬は 鼠は みな仇敵だ と言うので、
自分は 鼠ではなく 蝙蝠だと言って
またも逃がしてもらう。

というもので、
訳本によっては
状況に合わせて 豹変する人は、しばしば 絶体絶命の危機をも 逃げおおす、
ということを 弁えて、
いつまでも 同じところに 留まっていてはならない
という教訓にしている。 

 

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