『人生のほんとう』 池田晶子
大事なことを
正しく考えれば
惑わされない
迷わない。
「常識」
「社会」
「年齢」
「宗教」
「魂」
「存在」
のテーマで行われた
6つの連続講義。
生と世界の謎を探求する 明晰で感動的な人生
目次
1. 常識 ― 生死について
処世訓よりずっと大事なこと / 根本にある謎 / 人生を見直す視点 / 常識とは何か / 当たり前を生きる強さ / なぜ生きて死ぬのか / 存在の謎に気づく / 見方が逆転する / 人の死は悲しいのか / 一期一会ということ / 死ぬのに死なない / 問うているのは誰か / 人生の公式 / 言葉と定義 / ライフプランという不自由 / たかが人生という覚悟 / 覚めてみる夢 / 不可思議な構造
2. 社会 ― その虚構を見抜く
「国家」はどこにあるか / 「思い込み」と「作りごと」 / 戦争はなぜ最大の愚行か / 社会と個人は対立しない / 私は「日本人」ではない / お金というフィクション / 会社のせいにはできない / 血縁の考え方 / 親子の不思議 / 家族という虚構 / 「世間」とは何か / 「皆」と「世論」 / 虚構と自覚して生きる / 心理的な落とし穴 / 愛と孤独 / 理想の共同体 / 精神の革命
3. 年齢 ― その味わい方
アンチ・エイジング / 鶴亀だって年をとる / 隠居・長老はどこへ消えた / 「ピンピンコロリ」の矛盾 / 人生の皮肉 / 年齢の秘密 / 経験の意味 / 形而中の味わい / 過去はどこにあるのか / 物語化の欲望 / 中年期以降が楽しい / 「時熟」の味 / 内省する習慣 / 合わせ鏡の構造 / 歴史が面白くなるわけ / 意識の宇宙史 / 私はすでにボケている
4. 宗教 ― 人生の意味
宗教はいかがわしいか / 真贋の見分け方 / 宗教を求める心理 / 一神教とは何か / 神のパラドックス / 一神教の限界 / 禅の面白さ / 自分の意志では生きていない / 「信じる」から「気がつく」へ / 科学的般若心経の間違い / 論理で語り得ないもの / 救いとは何か / 何ものでもないという原点 / 大安心とは / 色即是空の意味 / 宗教はメタファーである / 解脱に逢うては解脱を殺せ / お釈迦様は覚ったのか / 一休さんの人生
5. 魂 ― 自己性の謎
哲学の向こう側 / 私の嗜好はどこから来たか / 魂のイメージ / 心理学における魂 / ユングの語り方 / エゴとセルフ / 「胡蝶の夢」 / 魂という宇宙 / 唯魂論 / 自我という錯覚 / ヘラクレイトスの断片 / 科学的アニミズムの不気味 / キャラクターの不思議 / 「運命は性格にあり」 / 俗流・亜流のつまらなさ / 成功哲学は行き詰まる / 輪廻転生という型 / 語りの二つの方向 / カルマの物語に巻き込まれるな / 実体ではなく関係性 / 元型としての神話 / ピュタゴラスへの悪口 / プラトンの苦心 / 物語を自覚する
6. 存在 ― 人生とはなにか
人間が崩れてきた /ネット社会の悪弊 / 脳ブームと痴呆化 / 多勢に無勢 / 無意識とカタストロフ / 自分さえ善ければ / 「欲をかくな」 / 「時代精神」とは何か / 現代の時代精神 / 不可知のX / 語りのレベル / 謎を生きている自覚 / 池田は死ぬが私は死なない / 縁起と空 / 言葉は沈黙を伝える / 死者の言葉 / 無への言葉 / 若い人は勘がいい / 十七歳からの手紙 / 「メビウスの帯」 / 垂直的な精神 / 可能な限り深く味わう
「晶子」 という名前は、
与謝野晶子 を 思い起こさせる。
女性の強さ を 感じさせる。
かつて、
私の学んだ
青山学院女子短期大学で
「与謝野晶子」研究をされていた
女性の教授がいらした。
彼女はいつも言う。
日が3つで 「あきこ」
日が2つは 「しょうこ」 なのよ。
「あきこ」 は 「晶子」 なの。
「しょうこ」 じゃないのだから
決して 「昌子」 ではないのよ
そして、
必ず、試験には
「与謝野晶子」
という名前を書くように
解答用紙の欄が作られていた。
そこまで、先生に言われても、
なお「昌子」と書く学生に
先生も呆れていらしたことだろう。
先生の晶子研究への情熱も
研究者としての執拗なまでの想いを感じた。
晶子が好き…
というよりも
晶子を信望する先生の念(おも)いの強さの方が
私を熱くさせ、
勉強にも力が入った。
与謝野晶子の鉄幹への
自らを燃やすような女の情熱が
私の女の部分を熱くさせた。
晶子は、激しい女性で
『みだれ髪』
の溢れる情念は
男性にとって、時に鬱陶しく、
時に驚異を超えて脅威だったとしても
やはり、それだけの愛情を受けるだけの
価値ある男として
鉄幹が、存在することを願われた~
ということは
男として、
自尊心も生きる力にも
支えにもなったのではないだろうか?
と、
私の与謝野晶子論は、
横に置く。
ブレない生き方~軸を持て~と
声高に、自己啓発を垂れる勝間さんよりも
あくまで、
哲学から離れない
池田晶子氏に
私の持っているものは近しいと感じる。
哲学なんて、お金になるような生産的なものではない。
それでもね。
生きる上で、大切なことを考えたい。
なぜ、人は生きるのか…
それが、哲学という学問
でも、思うの。
哲学は、学問ではない。
哲学は、ヒト~そのものではないのだろうか?
と…
与えられたものに、
感謝の心無しに
与えられることを当然と受け止めて
なんの疑問も持たずにいる人間と
常に、今あるものを、
その存在が、此処に在ることに
感動して、
その理由を、
考え続ける人間と
どちらが、与えられているものに対して
感謝して大切にするのだろうか?
考えて~考えて~
自分で考えることが大切だと
そんな生き方を哲学と呼ぶのかもしれない。
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