国語学 とはどのような学問なのでしょうか
一言で言えば、
「言語をめぐる種々の現象・事態を追究する人文科学の一分野」
となります。
もっと簡単に言えば
「言葉に関する学問」
ということです。
国語学 は奥深い学問です。
高校までの授業で、
国語学 的 なものは いくつかありますが
代表的なのは 文法 でしょう。
しかし、文法の分野だけで、
人間と言語の関係は
尽くせるものではありません。
ほかには、たとえば、
音声
語彙
敬語
方言
社会構造との関わり
など
いろいろな分野があり、
それぞれに 現代日本語における
機能と構造を追究する場合と、
歴史的に追究する場合とが
考えられます。
そんな難しいことはさておき、
私は 国語学 って結構好き。
現在、 国語学 という言葉に対して、
ふさわしくないと 日本語学 なる言葉に
置き換えられているけれど、
自分が教えていただいた
国語学 という 言葉の方が
私にはしっくりとくる。
さて、私が
国語が好き☆の原点は ここ
この小学校1年生の時の先生に、
クラスのみんなの前で「幸福の王子」を
お話ししたことが大きな自信と、
語ることの原点になったのだと思う。
そして、小学校5,6年生の時の先生は、
討論会をさせる機会を 多く持った。
それは、
勝手に自分の意見を言い合うのではなく、
予め自分なりに調べたり 考察した考え を述べ、
互いの意見を交わし合う ものだった。
小学校高学年の 夏休みだったろうか?
当時、自由研究は
自分の興味をもった課題に取り組むということだった。
なんの本だったのかは忘れたが、
「平仮名は 万葉仮名から 派生した」
ということを知った。
そのことに、激しい衝撃を受けた
(というと大袈裟?)
「あ」 は 「安」
「い」 は 「以」~
自分の使っている「ひらがな」のルーツを見た!
という感覚でいっぱいになった。
その後、大学の美術史で 徳川先生と出会った時に、
先生の書く文字の 万葉仮名めいた達筆を
読み解くことができた生徒は
私だけだったという
嬉しい思い出もある。
(現代の子どもたちにとっては、徳川先生のお手跡は古の香のようだ)
そんなものに感銘を受ける人間というのは 珍しいのだろうか?
文法というのも 面白くはないものだが
古典の ラ行変格活用
「あり / おり / はべり / いまそかり」
とか、
下二段活用
「れ / れ / る / るる / るれ / れよ」
に ワクワクする私って・・・
変?
大学に入り、音韻を学び
「わ」 「い」 「う」 「え」 「お」
が
「わ」 「ゐ」 「う」 「ゑ」 「を」
であることは 知っていても、
それを
「wa」 「wi」 「wu」 「we」 「wo」
と発音すると知った時には、
歓喜の雄叫びを上げそうになった。
国語学って、今使われている
国語のルーツを探る学問なんだと
私は勝手に思っている。
作品として成り立つ文学はもちろん素晴らしい。
つまんないと思われがちな国語学だが、
結構、奥深いんじゃない?
なんて 偉そうに思うのである。
さて、
国語学 は好きだった。
ただ、教えてくれる 国語学 の助教授が厳しい先生だった。
この国語学のある日、
体調を崩して休んだ。
朝一の講義
午後から 体育があり、
それは出席しなきゃ!
と出て行くと、
今日、国語学でレポート出たよ。
今日休んだ学生には
レポート提出の権利はないって。
「えええ~!」
慌てて助教授の研究室を訪れ、
「体調が悪くお休みしました。
来週のレポートの課題を教えてください。」
と恐る恐る尋ねた。
「ふ~~ん。
休んだのは
君の幸、不幸の問題で
私には関係ないね。」
↑
あまりに衝撃的な発言で、一生忘れられない言葉となった
「それでも、教えてください。」
「へ~~~。レポート出す気なの。
受け取らないかもしれないよ。」
「それでも、私は出します。」
「じゃあ、やれば?」
あまりの冷徹ぶりに、泣いてしまったよ。
・・・私。
様子を伺っていた友人が
「大丈夫?」
と聞いたけれど、
大丈夫じゃなかった。
打ちひしがれておりましたわよ!
その助教授の研究課題が
「成尋阿闍梨母日記」
メチャクチャ読み込み、
調べ、
レポートを提出した。
学年で一番の成績で レポートが返ってきた。
成績はもちろん 「優」
今でも、成尋阿闍梨と聞くと
(日常生活であまり聞かないが)
その助教授の名前と顔が浮かぶ。
成尋阿闍梨母日記で検索したら、
その助教授の研究書が 馬鹿高い値段で売られていた。
テキストで買った
「成尋阿闍梨母日記」も
布張りの馬鹿高い値段だったが
先生!すごいじゃん!
あれから、ずっと研究を続けてたのね。
でも、宮沢賢治や 中原中也にまで
手を付けていたとは 知らなんだ!
先生個人への いい思い出では ないけれど、
多分、ほとんどの友達が 忘れているであろう
「成尋阿闍梨」や
その先生の名前(今や教授!)を
覚えているということは、
私にとって 小さくはない影響を 与えてくれたのでしょう。
先生の授業が嫌で 休んだわけでなく、
本当に 体調不良だったんだけどね~。
社会に出る前に、世の中の厳しさを知り、
優れたもので 勝負すれば 結果はついてくる
と 知ることのできた できごと。
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