ライブの夜 といえば これ!
プロフィールにて、
音楽好きでバンドを組んで ライブハウスに呼ばれ
ライブの夜 に ライブハウスで盛り上がり って
記載していた。
大したことなんじゃないの~ と
余計なお世話の人たちに 言われると(笑)
黙ってられない 小幡万里子 です。
わたくし。
謙遜はあっても 過大広告はございませんことよ。
というわけで、
正直に 3コード しか弾けない 小幡万里子 でございます。
渋谷のエッグマン とかと比べたら
格下のライブハウスだったかもしれないけれど(笑)
中2階が ステージになっていて
お椅子の無い1階の スダンディングフロアからは
スカートの中身は見られるし(爆)
(私は スパッツ履いたり テニスのアンダースコート完備でしたが…
アンダースコートの フリフリもまた 危ないソソる グッズらしいです)
2階席は ステージが間近で まさに VIP席と呼べる 結構、インパクト抜群の ライブハウスです。
今も、健在なライブハウス。
40年以上も続く老舗ライブハウス。
注目は、紙テープの山と
ノリノリの男の子たち。
「だって、私アイドルだから」(笑)
このノリノリ男の子は、礼儀正しく
自分たちのノリノリ後、次に待機している
ノリノリ男の子へと場所を受け渡す。
ちゃんと満遍なく「もしかしてスカートの中身が…」的
希望を次の男の子にも味あわせていたわけです。
希望の循環を分け与えることのできる男の子たちは
いわゆる紳士的礼儀作法を身に着けていたのでしょう。
さて、キャパ 150名程度のライブハウスに
(300名が集まってくれちゃうという AKB も顔負けだった 「愛花夢」(あいかむ)☆
元々が女の子バンドだったので
メルヘンチックな ネーミングのバンド。
「I come」の意も含めたダブルネーミング。
昔から 「掛言葉」が大好きでした。
この写真の頃はギター担当が作曲
ヴォーカルのまりこが作詞担当。
メンバーから「お嬢様」と呼ばれていた私。
日常のスタジオでの練習や、
高田馬場であったかと思うミーティングに使っていた
やたらとゴージャスな純喫茶で
ニコニコと皆の話を聞いている私が
ライブになると、男の子がノリノリになる
MCとパフォーマンスを繰り広げ
「ライブの歌姫」へと変身するのでした。
リーダーはドラムを叩いていた女の子。
キーボードの女の子2人。
コーラスの女の子。
ギターとベースが、それぞれ男子。
そして、ヴォーカルのまりこというメンバー。
メンバー紹介で繰り広げるエピソードの数々が
実は、メンバー間でも当日になって
まりこの話す言葉に「ぶったまげた」というほど
面白すぎる、かつ、ほろりとする話だったと言われています。
なにを演奏(や)る? ちゃんと練習しなよ!
そんなミーティングと、それぞれに
好きなアーティストについての熱弁をふるう。
そんな青春時代。
小幡万里子 は今もまだ
変わらずに、青春時代を過ごしております。
私ができる社会への恩返しは?
できるかどうかなんて、やってみなければわからない。
だったら、言いわけをみつける時間なんていらない。
言いわけなんてする前に、まず、やってみること。
旅行したいと思うなら、仕事を休みたいのなら
いつかなんて言わずに、今すればいい~と
そういう考え方をする人は、それでいい。
自分に苦をかけずとも、好きなことして生きられたら
その方が、絶対に楽ちんだもの。
それが、普通の人の考え方だと思うから。
ただ。
青春時代。
人が喜び、日常では味わえない「なにか」を
他者に手渡す喜びを感じた人間として
目の前に立ちはだかる壁を乗り越えた時にこそ
誰かに「なにか」を手渡す資格が生れるように感じるのです。
楽をして手に入れたものは
他者に手渡す価値を感じない。
壁を乗り越える苦しみを目の前に
考えて行動して手に入れたものこそが
きっと、誰かの役に立ち、他者の喜びに変わるものだと思うから。
ライブは、本当に演奏(や)る者も
オーディエンスも楽しいものです。
けれど、その日のその僅かな時間のために
苦労も嘆きも体験し、練習という努力を積み重ねてこそ
他者に感動を与える時間を
オーディエンス(観客)に与えることができるのだと
パフォーマーとしての時間を経験した私は
実感しています。
輝ける経歴の経営者の中には
我が身を削ることさえ、厭わない人間がいます。
私は、そういう経営者を尊敬しています。
そういう人に私はなりたい…
そう思っています。
青春とは
汚いおとなになりたくない!
尊敬すべきおとなになりたい!
そういう気持ちを持ち続ける人のことだと思います。
新宿 HEAD POWER について
1968年 OPENの日本最古級ライブハウスとして、新宿アンダーグランド・サブカルチャーを発信してきたハコ。2008年、靖国通りから明治通り沿いに移転。歴史あるHEAD POWERの名を継承しつつ、時代とともに生まれる多様なシーンの受け皿となり、「ライブハウス=音楽演奏」を越えた表現の場として運営。伝説は星々の領域で美しく瞬く。地を耕し、日々の糧を得て生きるうつし世で、歌をうたい、音楽を奏でる意味を問い続ける。
残念ながら、当時のヘッドパワーはなくなってしまいました。
しかし、これからも、そのマインドを残し、多くのミュージシャンと音楽を楽しむ人たちの場であってもらいたいと思います。
カテゴリー 過COノCO途 THE WAY WE WERE – 追憶 想い出すこと にて、これまでの 私の軌跡(kiseki)を記しています。
お時間ございます方・ご興味ございます方は、お時間いただき、ご高覧くださいましたら幸いです。
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