こんにちは。
クラブマネジメントの小幡万里子です。
昔々
私は大変、恥ずかしがり屋さんで
小学校1年生の時、
学校で言葉を出せない女の子でした。
外で言葉が出せない分、おうちでは口達者であり、
ご本が大好きで
「幸福の王子」は何百回と読んで
諳(そら)んじることができました。
百瀬先生と出逢った時、
「何百回も読んだ本がありますか?」
と、聞かれ、
私は「幸福の王子」の話をしました。
ある広場の銅像であった幸福の王子は
通りがかりに羽を休めたツバメさんにお願いして
自分の剣のルビーや、身体にちりばめられた宝石
身体を包む金箔を貧しい子どもたちのために
届けてもらいます。
最期には、目であるサファイアも与え
ツバメさんに早く南の国へ行くように言うと
ツバメさんは
「王子様はもう目が見えないではないですか」
「私は、王子様の目の代わりになって
貧しい人たちの様子を王子様に伝えます」
そうして、ツバメは一生懸命に王子様の体から
すべてを削り、貧しい子どもたちを救います。
もう、何も削るものが無くなった時
王子様が言いました。
「ツバメ君。早くあたたかいところに旅立ちなさい」と。
すでに冬がやってきて、ツバメには旅立つだけの力がありませんでした。
「王子様。もう、これでお別れです」
ツバメがそう言うと
「ああ。ようやく、ツバメ君は南の国へ行くのだね」
「いいえ。すでに、私は飛ぶ力はありません。
今日で、命絶えるお別れです」
そうして、ツバメは王子様の足元で死にました。
王子様の胸の奥でパチン!と音がしました。
地上では、王子さまの銅像を見上げた市民たちが
「王子様の銅像はずいぶん汚くなったなあ」
「じゃあ、壊してしまおう」
そうして、王子様の銅像を捨てました。
天上から神様が天使に言いました。
「この世で最も美しいものを2つ地上から持っておいで」
天使は、ツバメの死骸と、王子様の胸の奥で割れた
心臓をもって神様のもとへ行きました。
引っ込み思案で、毎朝、学校に行くのにお腹が痛くて泣いていると
優しい母が、私をぶちました。
小学1年生の初めての家庭訪問で、
担任の年配の先生は
私の読書好きを母から聞いて
クラスのみんなの前で、
「幸福の王子」を暗誦させました。
私はそこから、変わりました。
いいえ。
周囲のクラスメイトの
私を観る目が変わったのだと思います。
今も、その頃、諳んじた
「幸福の王子」のような人生だと
自分で思います。
だって
どうせ、人間は死ぬのです。
その時に着るのは一枚の死装束(しにしょうぞく)
そして必要なのは、焼かれる棺桶だけ。
だから、不必要に、お金を稼ぎたい!儲けたい!とは全然思いません。
学生の子ども二人の日常の生活を守れたら
それで十分と思っております。
それよりも、なお、苦しみを感じる未来の命を救いたいと思います。
20年前、結婚のため家を出ることになった私に
母が揃えてくれたコートが健在です。
自分のものを削っても、誰かのために成るならば…
それは小学校1年生の「幸福の王子」を
恥ずかしがりながらも、
朗々と語った自分に恥ない大人になったと
胸を張れる自分です。
子どもの頃。胎児の頃。
その頃に出会った言葉は、その人間の根本を形創る。
まさに、私は、「幸福の王子」のような生き様だ~と
苦笑しつつも、生きております。
たとえ、生き方べたと言われようとも…
女が生きるって、とても大変なこと!
でも、悔しいことがたくさんあっても、すべて生きる力にしたい。
守られる女性は、守られる地位を守って欲しい。
他者の平和を破っては、ルール違反。
自分で闘う女性は、無理しないで、
できること~できないことを見極めて。
そして、自分にできることを精一杯に頑張ればいい。
別に、それを自慢しなくても、観てくれている人はきっといる。
誰も、観ていなくても。
私は、あなたを、ちゃんと観ています。
だから、明日もいきましょう。
前を向いて、胸を張ってね☆
みんなで声を出しながら順番に音読をするって
とても楽しい時間です。
小学校の国語の授業を思い出しますね☆
おとなになると、どうして出来なくなるのでしょう?
おとなになると、どうしてしてはいけないのでしょう?
こどものように、そんなことを自分に問いかける私です。
この出会いと、時間を共有してくださった方がたに 心から感謝です。
今日も一日…ありがとう。
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