中学1年生だったと思う。
国語の教科書に 「 言葉は魔物 」という 詩が載っていたように 記憶している。
この詩を 読む 国語の先生に 憧れていた。
全然、
(周囲の友達の視点からは)
カッコよくなくて
当時、ポケットティッシュは 一般的では なかったため
いつも ズボンのポケットに 折り畳んだ ちり紙を入れ
「ちょっと、失礼」
と言いながら、
その四角に畳まれた ちり紙で
鼻をチーン! とかむ。
背が高く、猫背の姿勢。
寝癖のついた髪。
毛玉のセーター。
人差し指と中指を眉間にあて、落ちてくるメガネを 持ち上げる。
その
「ちょっと失礼」
という言葉が
とても 繊細に 感じられ、
かんだちり紙を、再びポケットにしまう姿に、おとなを感じた。
そのくせ、少年のように 自分を 飾らない姿が、
とても正直で 誠実に 思えた。
声変わりをしていない 同級生の 男子たちと比べ、
先生の 鼻にかかった
(それを「蓄膿」と囃す生徒もいたが)
その声が 語る
教科書が 文学そのもののように 思えた。
特に、
この「 言葉は魔物 」というフレーズが
先生のイメージと 重なった。
きっと他に そんな生徒は いなかったのかもしれないが…
しかし、この「 言葉は魔物 」という
詩の作者が どうしても思い出せない。
なんとなく 中原中也っぽいのだが、違うようだ。
北原白秋の「学問のうた」に、 それに近いものがあるのだが・・・
これだったのだろうか?
言葉
言葉はかはい、
綺麗な魔物、
小さな魔物、
生きてる魔物、
ひイとつひイとつはかない。
(中略)
言葉を綴ろ、
珠数だま、むくろんじ、
紅い紅い椿、
げんげの花環、
ひイとつひイとつ綴ろ。
言葉はをどる。
不思議な小人、
三角帽の小人、
ちんから、ちんから、囃して
ひイとつひイとつ踊る。
一連はまさしく、その雰囲気。
なのだが、
その後は まさに 白秋~ というか
谷川俊太郎 チックなのだなあ~。
「ひイとつひイとつ」 も イメージと違う。
私の求めている 詩の中に「言葉は魔物」というフレーズがあったのか・・・
それとも、ここから読み取るテーマが「言葉は魔物」だったのか・・・
やっぱり、違う気がするのだが・・・
昭和55年。
中学1年生だった方。
覚えてませんか?
「 言葉は魔物 」
このフレーズのインパクトが 大きくて~
先生への憧れの気持ちが 大きくて~
自分の「言葉」へのこだわりを感じるようになったような気がする。
先生の話す一言が、同級生の言葉と同じでも、
先生の言葉にだけ「魔物」を感じたり。
高校生になって
彼の君への「おはよう」の一言の中に、別の自分の思いが 秘められていたり。
(そう。「女は魔物」だ)
そんな「魔物」に取り付かれ、
「言葉」を 信用していいのか?
と、悩んだこともあったり。
そうして、人の言葉を信じたい。信じよう。
「言葉」は「心」だと信じていた。
私は 自分に嘘をつけない
それは事実であり 私の真実であっても
その「言葉」を信じる人がいてくれなければ 「心」は通じない。
私は自分の言動(「言葉」)と 行動(「心」)を 同じくすることで
私の真実(「信」)を 見てもらい 理解してもらうしかないと思っていた。
そうして、
「言葉」は「心」と
私の真実をわかってくれている人との 出会いを大切にしてきた。
「言葉」を尽くし、「心」を尽くせば、きっと真実は通じると・・・
今。
私が「言葉」を尽くしても、その「言葉」が歪められ、
逆に心ない言葉に負けそうになる。
まさに「 言葉は魔物 」だ。
じゃあ。どうしたらいい?
「言葉」にせず、行動(「心」)で 真実(「信」)を 得るしかないのだろう。
言葉にしないことで、
私が背負うものは大きくなる。
いっそ、その重荷を捨てて、
すべてを言葉にし、
「魔物」にしてしまえばいい~
と思うこともある。
が。
それを許さない~ 許せない~と、
私の 自尊心が 頭を 擡げる。
私が もの言わぬことを いいことに、
都合のいい言葉で 私を 貶める。
好きなだけ すればいい~
「心」は いつか 真実を 語ると 信じて・・・
2021年2月5日 みつけた! みつけた! 大事な記憶をみつけた!
北原白秋 「言葉」
言葉はかわい
綺麗な魔物
小さな魔物
生きてる魔物
ひィとつひィとつ かわい
言葉は跳ねる
つまめば逃げる
てんと虫のように
アメンボのように
ひィとつひィとつ 跳ねる
言葉は響く
葦の葉の笛よ
鈴虫 小虫
チックタック時計
ひィとつひィとつ 響く
言葉は光る
プリズムの影よ
花火や 蛍
とんぼの目玉
ひィとつひィとつ 光る
言葉はかおる
紅薔薇 野薔薇
山椒の木の芽
牝山羊のお乳
ひィとつひィとつ かおる
言葉は染みる
お蜜や 苺
青梅 山葵
苦い苦い薬
ひィとつひィとつ 染みる
言葉を綴ろ
数珠だま むくろんじ
紅い 紅い 椿
げんげの花環
ひィとつひィとつ 綴ろ
言葉はおどる
不思議な小人
三角帽の小人
ちんから ちんから 囃して
ひィとつひィとつ 踊る
北原白秋 童謡集『祭の笛』 より)
北原白秋の 思いを、
今も 感じ、
次代に その言葉を つなげたいと思います。
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お時間ございます方は、
COCORO にある FOR WHOM THE BELL TOLLS – 誰がために鐘は鳴る の
拙文を お読みいただけましたら幸いです。
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