ありがとう お友達の励ましに…
気持ちは、
愛情の無い人と 一緒にいることは
私には無理だ!
と、それだけなのです。
そうできない状況…
子どもたちのことや、
経済的なこと、
一方で、女は 家にいろ~と
家庭に 閉じ込められた 私の時間は、
私を 社会に通用しない人間にしてしまったのだ…
と、
夫に 憤りを 感じてしまったり。
ただ、
子どもを育てる時間は 私にとって、
もう一度、
子ども時代を 生き直す時間であったことも 確かです。
その時間を たっぷりと味わうことができたことは 感謝しているのです。
「なんとかなる」
と 楽天的に構えるのも
一つの手です。
結局 うまくいくなら → 今の不安は もう消えてる…
あんまり悩まなくても いいんじゃないの?…
みたいな感じで。
あぁ☆ とてもいい考え方 ♪
そういう考え方で 生きていると、
自分で 自分を 追い込むことが 無くなりますね。
お友達の励ましに… 感謝
私が 一番いけないのは、
自分で 自分を 追い込んでしまっているから なのでしょうね。
夫はね。
すべて 都合の悪いことは
私のせいだと
私を 責め立ててきたので
それに 飼い慣らされてきてしまいました。
いつでも、
私さえ 我慢すればいいのだと…
我慢しないで 自分らしく生きればいい~
と 思いながら、
今まで 信じていたものが、
(本人は 絶対に 認めなくとも)
証拠を みつけてしまって
(その証拠探しする 自分も また苦しくて…)
夫だけでなく、
人間自体を 信じられなくなってしまっています。
ううん。
きっと 一番信じられないのは
自分自身なのかもしれません。
信じられるはずの人まで
疑ってしまいそうになったり、
誰でも 人を裏切るのかなって
思ってしまったり…
これまで、
ほとんどの人を まるごと受け入れてきた 私なので、
そこが とても 苦しいのです。
変なのは 私なのでしょうね。
心が 弱くて 嫌になります。
そして…
助けて って 叫びたくなる。
本当は 人間は 自分だけの存在で
他人に 頼っては いけないのにね。
まず 自分の足で 生きていける人間が
同じように 自分の足で 生きている人と 支えあってこそ
真の愛情だと わかっているのに
頼る存在を 求めてしまいます。
弱くて 弱くて 情けないですよね…
これから
私は どうしたらいいのかな… って、
不安ばかりに なります。
寂しくて 仕方なくなります。
でも、
今は 必ず 過去になり
未来の私は 今の不安を、
悩んでいても 仕方ないって、
語りかけているのかも しれません。
お友達の励ましに…
ありがとう って思う。
ひとりぽっちじゃないのに…
寂しいと 涙を流すには、
トウがたっていて 恥かし過ぎますね。
なんとか なるのだから〜
結局は うまくいくのだから〜
だったら、
今の悩みは 大したことではない〜
そういう風に 考え方を 変えたいな。
きっと、
そういう風に 時間は流れているのだよね。
悩んでいる〜 より、
不安なのだろう。
前なんて 見えているわけでもなくて
見えているものは、
人は 必ず 死ぬ
ということだけなのだから。
弟が 死んだ姿を 見て、
死は 静かで 恐れるものではないと 思った。
母が 死んだ姿を 見て、
生を 他人に委ねては ならないのだと 思った。
それでも、
私は、
一人が 怖くて
でも、
自分に なりたいと 願っていて
あがいているのだろうな。
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 過去の自分 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
亡き弟が とても大切に思ってくれた 長女 が
亡き母と 弟が 新規事業を起こすために
奇遇にも 長女の生誕の年に 会社を創業しました。
それが ピュア株式会社 です。
手前味噌ではございますが とても優しく そして 精神の美しい PURE な 女性に育ってくれました。
亡き母 亡き弟 の 愛情を一身に受け 素直に成長した結果と
二人の愛情の深さに 心から感謝しています。
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