徳川義宣先生 「言語道断」
私の恩師に美術史を教えてくださった先生がいらっしゃいます。
徳川義宣先生です。
尾張徳川家の21代当主で名古屋の徳川美術館館長をされていました。
とてもダンディな方で、美術と珈琲をこよなく愛されていらっしゃいました。
ある日、授業で 根津美術館 へ連れて行っていただきました。
尾形光琳の国宝「燕子花図」について国文専攻科で美術史を選択した私達10名ほどの生徒に
徳川先生のユーモアと知識を惜しむことなくレクチャーしてくださいました。
「いいかい。これは屏風でしょ。こうして折り畳んだ時に光琳の遊び心が分かる?」
そう尋ねられ、
「あっ!開いていると波のようで、折った部分を並べると左から右へ上から下に落ちてくる!」
そう答えると、
「よく気づいたね。屏風という特性を生かした光琳の遊び心だよね。」
とにこやかに応えてくださいました。その後、皆で根津美術館の庭園を散策し、
「お茶でも飲んで行こう」
という徳川先生の提案でヨックモック本店に連れて行っていただきました。
学生の分際でお札を出してお茶を飲むというのに全員ちょっとびびっていました。
先生は
「僕はね。珈琲にはちょっとこだわるんだよ。」
そうおっしゃって、そして皆に
「お好きなケーキも選びなさい。ご馳走するよ。」
皆、一斉にケーキの並ぶショーケースに走ったことは言うまでもありません。
そんな女子大生の私達をニコニコと笑顔で見てくださっていました。
時に帰り道でご一緒すると、「ここの珈琲はなかなかいいんだよ」と学校帰りにご馳走になったり。
夏休みには名古屋の 徳川美術館 に呼んでくださり、7名ほどの友人と訪問しました。
美術館にありがちなガラスケースの奥に美術品が陳列するという様式ではなく、
尾張藩主(大名)の公的生活の場であった名古屋城二の丸御殿を、
部分的ながらも時代考証に基づき復元しており、
美術品とそれらが使われた空間との一体的な体系展示によって、
美術品単体の美にとどまらず、
日本の伝統美である「構成の美」あるいは「取り合わせの美」が
鑑賞できるようになっています。
またお能の舞台が美術館の真ん中に設置されており、その高さ、優雅さに圧倒されました。
すべて、これらは過去に実際に使われたものだから、
その当時の様子が分かるように展示しないと意味がないでしょ?
そう片目でウィンクしながら茶目っ気たっぷりに話された徳川先生に
「こうしていると、当時のお姫様になったような気分になりますよね。」
と話すと
「毎年、ひな祭りにはお雛様を展示するのでまたいらっしゃい」
と言ってくださいました。
今考えると館長直々に案内をしていただくなんて、なんてぜいたくなことだったのでしょう。
卒業前には
「皆さんとフランス料理を食べましょう」
と声をかけられ、表参道に近い
ちょっと豪華なランチの時に使っていたビストロを皆で提案したところ
「見てきましたが、きちんとした本格フレンチをフルコースで食べてみるのもいい機会です」と
な、
なんと!
帝国ホテルのフレンチを食すことになりました。
生徒は少々の金額を会費で納め、徳川先生がご招待してくれたのです!!!
グルメな母と百貨店のホテルから出展されたフレンチのフルコースは食べたことありますが
超一流ホテルの本格的なフルコースをナイフとフォークでいただくことに
ちょっと緊張の私達でした。
外側からナイフとフォークは使うと知りつつ、
皆で「これでいいんだよね」と
目と目でアイコンタクトしながら食事をしておりました。
と、その時。
「君たちに教えておくよ。パンはね。スープがきてから口にするんだよ。」
私はメインのお肉をいただく時にと思っていてセーフでした。
中には思いっきり食べまくっていた子もいたので見かねて教えてくださったのでしょう。
そのおかげで、その後、母とフレンチの時は「パンはスープの後!」と合い言葉になりました。
徳川先生はワインを選び、結構お酒好きな友人はいい具合になっています。
徳川先生も相変わらずの軽口で私に問いかけました。
「ねえねえ。浩宮様とご結婚てどう思う?」と。
徳川先生と現天皇陛下は学習院幼稚園からの御学友です。
講義の中でも意外なお話をこっそり伺ったりしていました。
宮中に伺う時は「殿下」でもお会いすると幼少の頃の呼び名だったりと。
「え!それはないですう。礼宮様(現秋篠宮様)なら考えるけど、
浩宮様(現皇太子殿下)はありえない!」
等と、ずいぶん失礼なことを話していました。
(そりゃあ、殿下達の方から見てもあり得ない)
「う~ん。そんなものかあ」
とおっしゃる先生に
「浩宮様はいずれ天皇陛下になられる方ですし、お相手はかなりの覚悟が必要でしょう。
礼宮様の方がのびのびとされていらっしゃるからきっと楽しい家庭を作られそうですよね。」
とお話したのですが
その後、礼宮様と紀子様とのご婚約を知り、そういうことを内々にお知りになっていたのかも
なんて、思ったりもしました。
そうして卒業し、私は早くに結婚をしました。
そんなある日。徳川先生がお書きになった「言語道断」という御著書をお贈りいただきました。
徳川先生が美術史を教え始めてから100点をつけたのはこの本の中に出ていらっしゃる卒業生と
あなた(私)のたった二人です。というお言葉をいただきました。
本当に光栄でしたが、自分ではなにが100点の理由なのかも分かりませんでした。
岡山で長女の生まれた後、岡山の美術館に行くのでお会いしませんか?と
ご連絡をいただきました。
その時、岡山駅の桃太郎像の前でしばらくお話をし、この後、美術館へご一緒にと
お誘いいただきましたが乳児連れではご迷惑と思い、ご遠慮いたしました。
それが徳川先生のお顔を見た最後でした。
その後も、ぜひお嬢さんを連れて徳川美術館のお雛様の展示を観にいらっしゃい。
軽井沢の別荘へご家族でいらっしゃい。とお誘いをいただいたのに義理を欠いたままでした。
「お子さんを育てあげられた後にでも、あなたに出来ることが必ずあります。」
そう常に励ましていただきました。
数年前に闘病され、またお元気になられたとお聞きして
徳川先生は私の中でずっとダンディな
ユーモアたっぷりの素敵な紳士でいらっしゃいました。
今年の年賀状のお返事は
一昨年11月23日に71歳でご逝去されたというお葉書でした。
御著書の中で週1回の授業で大勢の生徒の名前と顔を一致させることは難しいとおっしゃっっていた
徳川先生。
ずっとずっとと、こんな私のことを心にかけていただき、本当にありがとうございました。
全然、先生の期待に応えられなかったダメな生徒ですが、
美しいものを感じ、
そこに潜んでいる作者や人の心?歴史の奥深さを知ることの大切さを
我が子にも伝えていきたいと思っています。
達筆で常に筆で書いていただいたお手紙はずっとずっと大切にしています。
天皇陛下のお誕生日は12月23日。
そして親友であった徳川先生のご逝去の日が11月23日。
なにか運命というものを感じます。
徳川先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
「言語道断」
目次
アンパイヤー
月光の曲
大きくなったら
言語道断
清正が退治した虎
太田道潅と加藤清正
妙なる調和
垣間見と忖度
数学と物理と美と
ところ変れば
国宝とミイラ
昭和64年1月7日
神異
日本海
花積
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