日常と異なる 金曜日の出来事
朝。
彼女に一通のメール。
「今日。会社休む。心配しないでくれ」
「気をつけてね」
彼女は、一言、そう返した。
「なに、バカなこと言ってんの!って怒りのメールがくるかと思った」
夜の10時に 帰宅した 夫が 言う。
黙って、
会社に行くフリをしていたら、
気づかないのに…
バカな人だな
心配してもらいたいのか
本気で 心配しなくていいと 思っているのか…
彼女は、
心の中で 溜め息をつく。
「バカなこと言ってないで、会社に行け! って言ってほしかった?」
「そう、言われると思った。 思わず、笑っちゃった」
「そう…」
言われた人間が
どれだけ、
心配するかを 想像出来ずに
自分の 感情だけを、
ぶつけることのできる人間を
羨ましく思った 彼女だった。
「おかげで、気分転換が出来た」
と、機嫌良く 鼻歌を歌う 夫。
彼女は、
こう 自分に 言い聞かせていた。
たとえ、
相手の気持ちを 思いやることのできない人間でも
自分が、
相手を 傷つけているとも思わず
逆に、
自分が傷ついているのは、
相手のせいだと
面と向かって、
相手を罵ることを
恥ずかしいとも 思わない人間でも
死んでほしくはない
気分転換に、
女性に 会うために
新幹線に 乗って
出かけて 行ったとしても
どこかの ホテルで、
逢瀬を 楽しんだのだとしても
夫が 死ぬよりは
それで、
心晴れ晴れとして
妻を 騙し仰せたと 安心して
笑顔を 見せているならば、
それでいいのだと。
翌日。
下北沢に 行った。
彼女は 夫のために、
初夏のブレンド という
香りの良い珈琲を 買った。
珈琲の香りが 部屋に充満し
娘が、言葉をかける。
「珈琲の匂いが、すっごくいい匂い」
その 言葉で、
心を 軽くしようと
自分に 言い聞かせる。
それでも、時々 苦しくなる。
頭で、わかっていても
頭の中で 片付けられない 苦しみが
胸の奥底に 沈んでいて
イガイガとした 紫煙のように
身体中を 縛り付けようとする。
「お前には、心が無い」
と、夫が言う。
彼女は、
心の中で、再び、溜め息をつく。
(心の無い人間がいたら、お目にかかりたいものだわ)
たとえ、醜い心でも
それを 他人に
ぶつけられる人間には 心があって
耐えなければ、
自分の心が 砕けてしまうから
頭の中で、
処理をしようと
自制している人間には
心が無いと言うのだろうか。
ダカラ、言葉ヲ、飲ミ込ンデシマウ
こゝろヲ、閉ザシテシマウ
「太宰を読みたい。太宰を読んで、太宰の気持ちになったら、俺も自殺するかも…」
と、
前日に、夫が言った。
太宰を読んで、
死ねるのならば
死神なんて いらないね〜
と 心の中で 嘯(うそぶ)く。
死にたくとも 死ねない人間が
世の中には たくさんいて 苦しんでいるのに。
本当に死ぬ人間は、
恨みつらみを 乗り越えて
自分以外の者 すべてを許し
感謝して 死ぬのだけどね。
そんな翌朝に、
「今日。会社休む。心配しないでくれ」
とメールを もらって
彼女は
「気をつけてね」
そう、メールを返した 後
夫の パソコンを開いた。
普段の 彼女は、
そんなことは しない。
しかし、
前日の 夫の言葉に、
メールの言葉。
「まさか」
と思うのは 当然だろう。
昔。
高校生の頃。
同級生の男の子が、
学校をサボって 海に 一日中いたと
言ってたことがあったっけ。
でも、彼は、
そんなこと、
わざわざ 親にも言わなかったし
友達にも、
自分から 言ったりすることなかったな。
本当の 孤独って、
そういうものだと 彼女は 思っていた。
夫のウインドウには パスワードがかり
開くことが できなかった。
夫の名前。
誕生日。
子どもの名前。
そんなものを、
次々に 入れる。
エラーが続く。
諦めきれずに、
何度も 何度も トライする。
小一時間も 格闘してただろうか。
突然、
「mobil phone」
と ヒントが出る。
夫の 携帯番号を 打ち入れる。
夫のウインドウが開き、
履歴を探す。
東北の ホテルのサイト。
自宅最寄り駅から、
東北の 聞いたことの無い 駅名までの 乗り換え案内のページ。
東北地方の天気。
おそらく、
朝の早い 新幹線に乗り
東北のどこかで、
心寄せた 女性と
景色の良いホテルで
時間を共にしたのであろう。
そういうことをできる自分を
彼は
どこか 英雄のように
感じているのであろう。
お前は、俺をバカにしている。
そういう言葉を
1年ほど前から 口にするようになり
休日の 土曜になると
誰もいない会社で 仕事をするのだと
娘の習い事の 送迎も 拒否するようになった。
そういう マヌケな妻の立場に
自分がおかれるとは
彼女は 思ってもみなかった。
夫の 一言一言に 傷ついて
夫の 精神を 心配して
一番、おひとよしで
馬鹿だったのは
私だったのね。
彼女は、
涙も出ない 乾いた心を
それでも、
失うまいと 思いながら
自嘲した 笑みを、
自分の顔に 浮かべようとした。
夫を バカにしているのではなく
夫が、仕事上で、
他人から バカにされることのないように
常に 謙虚で、
勉強を 続けることの 大切さを
伝えているつもりで あったのだが
それよりも、
愚かにも、
居心地の良い
生温い 場所を
夫は 選択したのであろう。
実際。
夫を バカにしていた部分も
彼女に あったのかもしれない。
それが、男のプライドを 傷つけ
妻を 裏切ることで
(それは 夫にとって、裏切りではなく 妻への 制裁と 考えていたのかもしれない)
男のプライドを 保とうとしていたのかもしれない。
彼女は そんな時でも
こう思ってしまう。
(そんなもの。つまらないプライドだよね)
さあ。
これから、私は、どう生きたらいいのだろう?
金曜日の出来事
こんなこと。
よくあることなのかもしれない。
売れない三文小説にも、
昼メロにもなりやしない。
それでも、人は生きている。
いつか、人は必ず、死ねるのだから。
潔癖主義の自分こそ、時々、怖くなる。
私こそ、もっと、自分の心を騙さずに生きればいいのだろうか?
でも、それが、幸せになるのかな?
一瞬の喜びが、永遠の力になるのだろうか?
やってみなければ、わからないのかもしれないけれど。
臆病な人間こそが、誠実なのかもしれない。
彼女は、そんな風に思った。
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 過去の自分 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
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