恩に着ます は いつの時代の 言葉でしょうね。
こんにちは。
クラブマネジメント の 小幡万里子です。
次女が 中学 1年生の頃のこと。
あまり 学校での話を しなくなりました。
ま。
そういう時も あるわよね~
と。
ちょっと 寂しく感じてた 私です。
ベッドの中の 次女が、
髪を乾かす 私に こう言いました。
「ねえ~。 ママ。 あのね~、 今日ね~」
「うん」
「『姫』 (我が家では 彼女を こう呼んでおりました)の机、 汚れてて お友だちが ティッシュくれたの」
「うん。 よかったね」
「それでね。 恩に着ます m(_ _)m って言ったの。 そしたら 先生が 噴き出したの」
私も 爆笑!
「なんで 笑うの~!」
「いやあ~。きっと、それ。 ママが 使ってると 思われたかもしれない」
「おかしい 言葉だった?」
「お友だちには 通じた?」
「うん」
「じゃあ。 いいんじゃない。 ありがとうの気持ちが 通じたなら。 それでいいと 思うよ」
昭和はおろか、 明治、 大正?
昭和生まれの ママは 古い女です~
と
平成生まれの 次女に 言うと
「姫の 阿呆さは ママ譲りだね」
「阿呆さ(あほうさ)」
と 使う時点で、
ママの時代を 超えていると 思うのですが…
私でも 滅多に 使わぬ この言葉たち。
いったい、
どこで 身に つけているのでしょう?
(多分、私の 血のせい?)
恩 (おん) に ◦ 着る
受けた恩を ありがたく思う。
【 補説 】
「恩に着ります」 とするのは誤りで 正しくは 「恩に着ます」。
「恩にきります」 と誤用されている例が 見受けられます。
音だけを聞いて 「おん – に – きる」 の 「きる」 から 「切る」 という字を思い浮かべ、
その丁寧語の 「切ります」 から 「恩に 切(き)ります」 という 誤用表現に つながったようです。
「着る」 を 「身に引き受ける」 という意味で用いることは、
日常生活では 少ないかもしれませんが、
慣用句の意味が きちんと分かっていれば 誤用することもなくなるでしょう。
※ 引用 虎明本狂言・ 禰宜山伏 (室町末‐近世初)「それは人のおんにきぬ、めんめんのたてはでおりやる」
大蔵虎明本 狂言集総索引〈全八巻〉3 聟類・山伏類 : 著者(編者) 北原保雄 / 小川栄一 編
『大蔵虎明本狂言集』は、 大蔵弥右衛門虎明が寛永十九年(一六四二)に書写した 大蔵流狂言の祖本であり、 室町時代末期から江戸時代初期にかけてのころの 狂言の状態、 あるいは 当時の国語の実態を知る上で、 きわめて貴重な資料である。 本索引は、 『大蔵虎明本狂言の研究本文篇』(池田広司・北原保雄著、表現社刊)を底本として 、部類ごとに作成された総索引である。
大蔵虎明本 狂言集総索引〈全八巻〉7 集狂言之類 判型 A5判上製函入 頁数 148頁 刊行日 1986年5月30日
この 「 恩に着ます 」 の 最古(?)の引用 虎明本狂言 編者 は かの
かつて 「明鏡さんに聞いてみた」 と言われた 明鏡国語辞典 編者の 北原保雄 氏である。
https://www.taishukan.co.jp/book/b197673.html
実は、私。
初版の明鏡さんを持っています。
この出会いと、時間を 共有してくださった方がたに
心から 感謝です。
今日も一日… ありがとう。
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 憎まれママの子育て日記 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
亡き弟が とても大切に思ってくれた 長女 が
亡き母と 弟が 新規事業を起こすために
奇遇にも 長女の生誕の年に 会社を創業しました。
それが ピュア株式会社 です。
手前味噌ではございますが とても優しく そして 精神の美しい PURE な 女性に育ってくれました。
亡き母 亡き弟 の 愛情を一身に受け 素直に成長した結果と
二人の愛情の深さに 心から感謝しています。
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