教育の引き出し 研究授業

研究授業その12 中学2年国語 2006年10月

2006年10月27日

中学2年 国語

「走れメロス」

とても、大掛かりな研究授業で
他県からも、たくさんの先生がたがいらしていた。
生徒に、なにをわかってもらいたいのか?ということが
見え難い授業であった。

「こんこんと湧き出る水」という一語から何が読み取れるのか?
という先生からの質問に、生徒は、聞かれている意味がわからず
鉛筆が止まってしまった。

実は、私も、なぜ、この「こんこんと」を
時間をかけて、取り上げる必要があるのか
皆目見当がつかなかった。

ことによると、先生自身も、授業に対しての
目的意識を感じておられなかったのかもしれない(とほほ)
生徒からのズレた発問に対して、先生は
「う〜ん」と唸り、そのまま、スルーしてしまった。

最終的に「なぜ、メロスは走り続けたのか」を
それぞれに、考えさせるという目的であったのだろうと思うが
一語毎に時間をかけ過ぎて
結局、「責任感」「信じている人がいるから」という解答を
無難に引き出すことはできたのだが
果たして、そのために、必要な働きかけであったのだろうか?
という疑問が残った。

2年生の生徒は、落ち着きの無い
生活面で不安材料が多いにある学年で
それだけに、うるさくせずに、授業を受けていただけで
学校保護者としては、ホッとする面もあったのだが
こうした国語の授業が毎回、されているとしたら
自らの読み取る力など、身につかないだろうし
「書く力がない」
と、どの先生も憂えてはいるが
その憂いを、解決するための努力をしているとは
到底、感じられないことが、とても残念であった。

検討会で「この場面では、「走る」という言葉が16回出てくるのです」
と、先生が言われた。
「走るという言葉が、何回出てくるか、数えながら読んでみよう」
と言葉をかけて、生徒の興味を持たせて、
「なぜ、メロスが走り続けたのか」
「なぜ、走るという言葉を16回も出したと思う?」
というような、持って行き方で、考えさせてもよかったのでは?
なんてことを、ポロッと言ってしまった。

せっかく、生徒が関心を持ちそうなコマを持っていながら
それを活かさないというのは、惜しいことだと思う。

この先生は、生徒指導に一生懸命で
生徒思いのとてもいい先生だ。
それだけに、この先生の持つ、人間的な大きさで
授業も進められると、いいのになあ〜と思ったりした。

この研究授業で、不愉快だったこと。

私が、この研究授業に参観すると知って、
別の教科に参観を変わられたPTA役員の方がいらしたこと。
午後からの研究会は
「先生がたのものですから、一般人は、ご迷惑ですわよ」
と、帰宅を促されたこと。

この研究会のアドバイザーの大学教授に
「午後の研究会もぜひ、参加してくださいね」
と、お声をかけていただいた私だが
なんの権限をお持ちだか、わからない、一保護者の方々の
嫌悪感漂う言葉に負けてしまったことが情けないこと〜。

それでも、小中高、大学院生の教育関係者の集まる場所で
「小学生の子どもが、句読点の句点で改行するという
作文指導を受けている子どもたちに
「お前が間違っている」と言われ、憤慨しておりました。
小学校で、身につけるべきことの大切さを感じています。
それが身についていないことが、中学校での授業に
大きな影響を与えていることも事実なので
初等教育の先生がたにも、多いに頑張っていただき
小中の連携をしっかりしていただきたいと
一保護者としてお願いいたします」
と、声を出せたことは、有り難い機会となった。

しかし、隣りに座った教育委員会のおじさんよ〜。
「この席は、当たりですな〜」とは
教育関係の人間として、恥ずかしくはないですか〜???

(2006年 10月)

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