研究授業その10 中学2年社会 2006年10月 中学2年 社会(地理 フランス)
授業は、まずは 白地図に フランスの位置を書かせ、
面積人口を 資料から読み取らせる。
次に 日常の中で
「フランス」から 思い浮かぶものを 言わせる。
興味を引くため、
チーズや ボジョレーヌーボーのワインなど、
実際のフランス製の 食品を見せる。
また 国旗から連想するものを聞き、
国旗の 青 白 赤 が「 自由 ・ 平等 ・ 博愛 」であると話す。
残念だったのは ここで
「日本の白と赤は何を表すの?」
という 生徒の問いに、
聞こえなかったかのように 答えがなかったこと。
また 歴史についても
学んだ後だった ということで
多少の振り返りを混ぜても
良かったのではないかと 感じた。
(時間の都合もあるのだろうが)
最後に資料から 農産物や工業、
観光の世界からのフランスの位置を 読み取らせる。
そして そこから分かることをまとめさせ、
数人に発表させ 終わる。
という流れであった。
授業の展開は 欲張ることもなく、
また 教育センターの方の 指導協力もあり、
時間にも余裕があり、
スムーズに 目的の授業を されていたと思う。
子ども達の話しでは、
ちょっと変な先生という噂だったが、
この授業を見る限り、
ごく普通の授業をされていた。
(私は 子どもの目も正しいとは 思っているが)
荒れている学年 といわれているのだが、
授業が始まっても 生徒がいなかったりする。
チャイムが鳴って 遅れて入って来る子が 数人。
最後に入ってきた生徒は 5分後だった。
しかも 教科書も 資料集も 忘れて来た子が 6、7人もいる。
クラスの 1/5くらいの子は 資料を読み取る授業には 参加出来ない。
「見せて」
と言う子も
「一緒に見る?」
という子もいない。
先生は
「忘れたの?」
と一言。
さらには
資料の読み取りの際、
資料がなくて プリントに書き込めない その子に
「がんばって!」
と声をかけただけで 素通り。
私は 自分でも おせっかいと思いながら、
読み取った数値を 発表する際に
「頑張って聞いて書き込んでごらん。」
と こっそり話したのだが、
発表する子の声が 小さく、
しかも 早口で これは 聞き取れまいと、
つい配布されている資料に 書かれたものを こっそりと見せ
「お家に帰ったら、しっかり 教科書の○ページと 資料集の○ページを見てね」
と 声を かけてしまった。
その生徒は その数値を使って
最終的に そこから読み取れることを 一生懸命に考えていた。
忘れ物をするのはいけない
まして 教科書を 忘れるというのは
授業を受ける意志がない
と 判断されても仕方がない。
(高校、大学などは そういった考えの先生が 当然であるし、 教科書は 指針であって すべてではない)
自分が 小学校中学校の時、
何を思ったか 時間割の日にちを 間違えて 青ざめたことがある。
友達と一緒に 他のクラスへ 借りに行ったり、
先生に話して 予備の教科書を 借りたり。
隣の席の子に
「ごめんね。見せてもらえる?」 と頼んだり。
あるいは 隣や近くの席の子が忘れたら
「一緒に見る?」と 声をかけたり。
(自分から頼めない子の気持ちも 分かっていたので)
そうして、授業には きちんと参加するのは 当然だった。
教科書を 忘れた子は 机に突っ伏していたり、
見るべき資料がないために 10分以上鉛筆を 持ったまま、
身体を 緊張させていた。
そういう時、
先生が ちょっと周りに
「そことそこ、見せてあげなさい」
「先生のを借りに来なさい」
と 声をかけてやることは いけないことなのだろうか?
過保護な親の 言い分なんだろうか?
検討会で そのことに触れると、
校長は
「資料から 数字を 読み取ることより
その数字から 何を考えられるか ということが 大事だから
別に資料がなくても 大丈夫な授業じゃないかな?」
と言われた。
私自身も それは 頷けるのだが、
この社会の授業では 資料を読み取るために
早い子は ほんの2、3分で 数字を 入れられるのだが、
先生は、すべての子が 書き込めるまで
かなり長い時間 費やしていた。
そのためか 普段からそうなのか、
騒がしい生徒が 数人、
大声で 雑談を始めた。
教室の 真ん前と 中間と 後ろと 離れている
・・・ わざと 席を 離しているのだろう・・・ にも関わらず。
私は それも 疑問だったのだが
「あえて 子どもに グラフや 表を 読み取らせたかった」
という言葉に
ならば、資料のない子への 対応を
もう少し 考えてもらいたかったのだ。
例えば、
授業準備として、
表やグラフを 大きくコピーしておき
黒板に貼って、
皆がそれを見て口々に
「フランスは 何番目だ!」
などと 口々に 出すことも 可能だったと思うし
(資料集は なくてもいい)
逆に 入試を 意識し、
ペーパーの上から 個人が 読み取るならば、
全員が それを持てる環境が 好ましい。
校長先生の言われる
数字から 生徒が なにを感じ、 どう思うか
が、
一番の 重要な課題であろう。
そのために、
先生が 生徒に
その環境を 作ってやらねば、
この1時間は 無駄に終わってしまう。
教師自身も、
せっかくの 自分の授業を
資料がないために、理解出来ず
1時間を 生徒が 無駄にすることを
なんとも 思わないのだろうか?
確信犯で 先生を 困らせるために
わざと 忘れている生徒も いるのだと思う。
ただ、
私が 気になった 生徒は
ひたすらに 答えの導き出せない
(資料がないため)
プリントを じっと見つめ、
鉛筆を 握りしめていたのである。
時間数を 減らされ、
1時間 1時間が 大切な授業である。
この生徒が おうちに帰って、
ほんの5分でも 今日の教科書とワーク、
資料集を見てくれたら〜と
そう願っている。
(2006年10月)
お時間ございます方は、こちらも ご高覧ください。
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